139,強硬手段

(もうこうなったら手段など選んでいられない……ッ! 何としてでもあの女の身柄を確保しなくては……ッ!!)

 追い詰められたヘルムートは、もはやなりふり構っていられなかった。

 エリカ・エインワーズの身柄の場所は分かっている。監獄にある魔族専用の地下牢だ。

 当然、騎士団は独自に自分たちの見張りを配置しているだろうが……それでもやるしかなかった。やるしかないのである。

「ヘルムート様、本当によろしいのですか? 騎士団が確保している魔族の身柄を無理矢理強奪するなど……さすがに問題になるのでは?」

 移動中の馬車の中で、部下の一人がおずおずと進言した。

 いまここにいる部下たちは、森で逃げた部下たちとは違う連中だ。あの連中はすでにクビにしている。

 ヘルムートを含め、彼らは重装鎧グラヴィス・アルマによって完全武装した状態だった。

「……問題? 何が問題だと言うのだ?」

 ヘルムートはバシネットの前を開けて、ぎろりと部下を睨んだ。

「むしろ、あの女の対処については我々の領分だ。騎士団は王都の防衛だけしていればいいのだ。それを連中は何を勘違いしたのか、こちらの捜査を妨害しようと魔族の身柄を占有しているのだぞ。我々は正当な捜査権限に基づいて、異端者の疑いがあるエリカ・エインワーズの身柄を確保せねばならんのだ」

「そ、それはそうですが……」

 部下は口籠もった。

 ヘルムートの言葉は間違いではないが、しかし騎士団が魔族の身柄を確保していることもまた間違いではないのだ。騎士団の仕事は治安維持だ。その職務上、魔族の身柄を押さえていることは何も間違いではない。

 そもそも魔族に関わる事案において、騎士団と異端審問会の権限がお互いにどこまで適用されるのかという線引きは、実は異端審問会が発足した頃から曖昧なままだった。なのでちょっとしたいざこざは、昔からけっこうあったのだ。組織同士の縄張り争いというやつだ。

 それでも、さすがに両者が武力衝突まですることはなかった。そうなる前に政治的判断が下され、不用意ないざこざは水面下で回避されてきたからだ。

 ……だが、今回は事態が最悪の方向に向かい始めていた。

 狂気に取り憑かれたウォルターの一方的な命令と、恐怖に支配され、それを遂行しようとするヘルムート。本来なら回避されるべき事態が、今まさに遂行されようとしていた。

「貴様らは余計なことを考えるな。これは〝王命〟なのだ。分かったならもう口答えするな。分かったか?」

「は、はい!」

 王命という言葉を出されて、部下は怖じ気付いたように引き下がった。

 ……実際のところは王命など出ていない。であるのに王命を語ることは、本当ならばそれ自体が重罪である。

 だがしかし、これはウォルターの命令だ。ウォルターの命令はもはや王命に等しい。なぜなら、もう間もなく彼こそが王になるのだから。

(そうだ、わたしは間違ったことはしてない……ウォルター殿下が王になれば、わたしの地位はさらに確約されたものになるのだ。これはそのために必要なこと――)

 馬車が監獄の門に到着すると、門番が不思議そうな顔で近寄ってきた。

「どちら様でしょう? この時間にどなたかが来るという話は事前に伺っておりませんが……」

 ヘルムートは感情を押し込め、さも当然のような顔で相手に言った。

「異端審問会の長官、ヘルムートです。王命により、先日捕らえられた魔族の身柄を移送しに来ました」

「え? 王命ですか?」

「そうです。ですので、すぐに門を開けてください」

 ヘルムートはそう言ったが、門番は怪訝そうな顔をした。

「そのような命令は聞いておりませんが……おい、誰かそんな話聞いているか?」

 門番は仲間にも確認を取り始めた。

 まずいと思ったヘルムートは、とっさに口調を荒げた。

「早くするのだ! これは正式な王命だぞ! まさか王命に逆らうつもりではないだろうな!?」

「い、いえ!? そのようなことは……」

「だったらさっさと開けるのだ!」

「は、はい! 畏まりました!」

 門番たちは慌てて門を開けた。

 彼らは単なるこの監獄の門番でしかない。肩書きのある人間がそこまで強く王命と言うのならば、それに逆らうことなどできるはずもなかった。

 悠然と門をくぐったヘルムートたちは、すぐに地下牢に向かった。

 当然、そこには騎士団が配置した見張りが立っていた。

 ヘルムートたちが姿を見せると、二人の見張りはすぐに警戒した様子になった。もちろん相手も重装鎧グラヴィス・アルマを身につけている。剣こそ抜かなかったが、気配は抜き身の剣ほどに鋭かった。どうやら配置されているのは精鋭の騎士のようだ。

「貴様ら、異端審問会だな? こんなとこにいったい何の用事だ?」

「王命により、ここにいる魔族の身柄を我々が預かりに来ました。ですので、すぐさまそこをどいて頂きたい」

 ヘルムートはせいぜい偉く見えるように振る舞った。本当は心臓はバクバクしているし、声も裏返りそうだったが、何とか抑えた。

 王命という言葉を出された騎士たちは多少困惑した様子を見せた。

「王命だと?」

「ええ、そうです。我々の邪魔をするのならば、王命に逆らうことになりますよ?」

「……」

 見張りの二人は、お互いの顔を見合わせていた。

 その様子を見ながら、内心でヘルムートは『何でもいいからさっさとどけ!!』と思っていた。

 先ほどのようにうまく行けば、ひとまず余計な荒事は起こさないで済む。頼むからそうなってくれ、とヘルムートは思っていた。彼だってあまり事は大袈裟にしたくないのだ。

 しかしながら、ヘルムートの思いは相手にまったく届かなかった。

「……悪いが、我々は何があってもここにいる魔族の身柄は誰にも引き渡すな、と厳命されている。特にお前らにはな」

「ヘルムート殿、もし仮にこれが本当に王命だと言うのであれば、その証明はもちろんお持ちなのでしょうな?」

 見張りの二人は鋭くヘルムートを睨みつけた。

 その瞬間、ヘルムートは慇懃な仮面をかなぐり捨てた。

 有り体に言えば――キレた。

「ああああああああああああああああああああッッツ!!!!!!! 鬱陶しいッッ!!!!!! つべこべ言わずにそこを退けクソボケどもッッッ!!!!!」

 豹変したヘルムートは隠し持っていた閃光弾をいきなり相手に投げつけた。

 異端審問会の部下たちは慌てて顔を伏せたが、意表を突かれた騎士たちはもろに閃光を直視してしまった。

「ぐわああああ!?」

「くそ、何しやがる!?」

 騎士たちがのたうちまわる。

 ヘルムートはすぐに部下たちへ命令した。

「おい、こいつらの鎧を剥いで手足を縛っておけ!!」

「は、はい!」

 部下たちは一斉に騎士に襲いかかった。もちろん相手は抵抗しようとするので、かなり手荒なことになった。

 その間に、ヘルムートは見張りが落とした鍵を拾って、奥にある鉄扉へと向かった。

 鍵を差し込むと、がちゃり、と重々しく鍵が開いた。

 すぐに鉄扉を開こうとしたが、その前に自分の装備を確認した。なにせ相手は魔族だ。用心しすぎるということはない。

「……よ、よし、開けるぞ」

 ヘルムートが恐る恐るドアを開け、中を窺う。

 最初、人の気配はまったく感じなかった。

 牢獄の中は光がまったく入らず、本当に真っ暗だったからだ。

 おや? と思っていると……暗闇の中に突如、猛獣のように鋭い双眸がと浮かび上がった。

「ひぃ!?」

 ヘルムートは思わず後退ってしまった。

 すると、すぐに弱々しい掠れた女の声がした。

「……誰かと思えば、お前は確か異端審問会の長官だったか。名前は確か……ヘルシェイク?」

「へ、ヘルムートだ!」

「ああ、そんな名前だったな……で、わたしに何か用か?」

 そこでヘルムートはようやく気付いた。外の光が入り込むことで、はっきりと相手の姿が浮かび上がったのだ。

 そこにいたのは猛獣でもなければ、恐ろしい魔族でもなかった。

 囚われていたエリカ・エインワーズは見るからにぼろぼろで、手足には鉄枷をはめられて完全に身動きできないようにされていたのだ。壁に背を預けることで、何とか身を起こしているような状態だった。

 見るからに相手が弱っているのを見たヘルムートは、急に威勢を取り戻し始めた。

「は、はは……何だ、もうぼろぼろじゃないか。これならわざわざ重装鎧グラヴィス・アルマなど着てこなくても良かったな」

「どうした? 以前と少し雰囲気が違うな。あのわざとらしい丁寧な口調はどうしたんだ?」

「やかましい! わたしに生意気な口を聞くな、汚らわしい魔族風情が!」

 ヘルムートはエリカのことを足蹴にして、地面に蹴り倒した。

 彼女は頭を石畳にぶつけ、額に血が滲んだ。

 だが、彼女は多少顔を歪めただけで、すぐにその顔に余裕のある笑みを見せた。

「……女をいきなり足蹴にするとは、紳士の風上にも置けんな。そんなんじゃ結婚できんぞ」

「う、うるさい! 余計な口を聞くな! この! この!」

 相手が抵抗できないと見るやいなや、ヘルムートは強気に出た。何度もエリカを足蹴にして、無理矢理黙らせた。

 いくらエリカが強がって見せているとはいえ、本当に満身創痍の状態なのは間違いなかった。その状態でさすがに何度も足蹴にされては、彼女も軽口を叩く余裕はなかった。

「ヘルムート様、いかがされましたか!?」

 異常があったのかと、部下が飛び込んできた。

 そこでようやく、ヘルムートは過剰な暴力をやめた。

「はぁ……はぁ……ちっ、魔族のくせに人間の言葉など使いおって。おい、こいつを連れ出せ」

「へ? こ、この女性が魔族なのですか?」

 エリカの姿を見た部下は驚いた様子を見せた。どうやら部下は魔族と聞いて、もっと人間ならざる異形の姿を想像していたようだ。

 しかし、目の前にいるのは満身創痍の、それもただの女だ。とても恐ろしい魔族には見えなかった。むしろその姿は痛ましくもあり、部下は余計にどうすべきか困惑している様子だった。

 ヘルムートは思わず舌打ちしていた。

「ちっ、これだから新入りは……いいか、魔族は人間にそっくりな連中もいるんだ。そういう連中こそ我々が警戒すべき相手なのだぞ。見た目に騙されるな。こいつは狡猾で邪悪な魔族だ。こいつこそが先日の襲撃事件の首謀者なのだからな。分かったならさっさと連れて行け!」

「は、はい! 畏まりました!」

 部下たちはすぐにエリカを連れだした。

(よし、これでとにかく身柄は確保した……後はどんな手を使ってでも、あの女にシャノンの立場が不利になるような証言を吐かせるのだ……そう、使――)

 追い詰められた男の眼は、狂気の光を爛々と光っていた。

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