141,二つの大貴族
……三十分後、シャノンとブリュンヒルデは部屋を出た。その時にはもう、彼女はいつも通りの顔をしていた。多少、目元は赤かったが、シャノンはそれについては何も言わず、現状について確認した。
「
「ええ。ちょっと渋ってたけど無理矢理連れてきたわ」
「そうか。とりあえず来てくれたのは良かったが……さて。いまさらオレに手を貸せと言って、手を貸してくれるかどうか――」
話している内に、シャノンたちは大きな扉の前へとやって来た。そこにはヨハンが立っていて、彼らのことを待っていた。
「シャノン、少しは休めたか?」
「ああ。十分過ぎるくらい休んだ。もう大丈夫だ」
どう見ても十分と言えるほどの顔色ではなかったが、ヨハンは頷いた。
それから、すぐに苦しそうに顔を歪ませた。
「……エリカさんのことは本当にすまない。僕が彼女をあんなところに幽閉していたばかりに……」
「お前は何も間違った判断はしちゃいない」
シャノンはヨハンの肩を軽く叩いた。
彼は立場上、最善と言える判断をした。自らを魔族だと言い張り、実際に魔法を使って見せたエリカのことを、人間だと判断する者はまずいない。それに襲撃事件の首謀者を名乗る危険な相手だ。彼女を地下牢に幽閉したことは、立場上当然の判断としか言いようがない。シャノンの身を案じて、異端審問会に身柄を引き渡さないようにしてくれていただけでも十分と言える。まさか向こうがこのような強硬手段に出るなど、誰が予想できただろうか。
「それよりヨハン、騎士団の方はどうだ? ウォルターの側についたやつはいるか?」
「いや、騎士団からウォルターに寝返った者はいない。うまく行けば満場一致で君の派閥に加わるつもりだ。まぁ父上がそう判断すれば……の話だけど」
「なるほど。なら、テディ一人を口説き落とせば騎士団は丸ごと手に入るわけだ。手間が省けて助かるぜ」
「父上は心情的には君の味方だ。それは間違いない。だが……とにかく義に厚い人だからね。君が主君に相応しくないと思えば、どちらに付くこともしないだろう。むしろ敵になるかもしれない」
「大丈夫だ。そういうやつの方が説得しやすい。問題はカールの方だな……ここいらで、カールにも〝顔役〟になってもらう必要があるが――カールにそれだけの器が果たしてあるかどうかが少し心配だな」
「大丈夫よ、お父様もああ見えて実はけっこう野心家だしね。それにいつまでもお爺様の七光りと言われているのも本人は面白く思っていないから、ちょっと焚きつければうまいこと乗ってくれるはずだわ。ウォルターに取り入ろうとしたのだって、ようは自分が当主に相応しい存在だってアピールしたかったんだろうし。ま、わたしのせいで台無しになっちゃったけど」
「なら、カールが悩んでいたらお前がうまく言って焚きつけてやってくれ」
「分かったわ」
ブリュンヒルデはニヤリと笑った。そこにはもう、悲しげに泣く彼女の姿はなかった。すっかりいつも通りだ。
シャノンは両頬を軽く叩いて気合いを入れ、
「よし、じゃあ行くか」
と、目の前にある大きな扉を開けた。
μβψ
すでに夜も遅い時間だったが、部屋の中では二人の男がシャノンのことを待っていた。
一人はテディ・マギル。マギル家の現当主であり、この国で〝最強〟とも言われている騎士だ。
そして、もう一人はカール・ディンドルフ。ディンドルフ家の現当主であり、国務尚書を務める文官のトップである。
二人はすでに向かい合うように長卓に着いていた。その様子は対称的で、腕を組んでどっしりと構えているテディに対し、カールはどこか落ち着きがなさそうだった。
「待たせたな、二人とも」
シャノンが姿を見せると、すぐにどちらも立ち上がって頭を下げた。
二人に「座ってくれ」と言いつつ、シャノンは長卓の上座に座った。ブリュンヒルデとヨハンの二人は、当然のようにそのまま彼の背後に控えるように立った。
再び席に着いた二人の顔にそれぞれ目を向けてから、
「二人にはこんな時間に突然来てもらって申し訳なく思っている。だが、緊急を要することだったので無理を言って集まってもらった。まずこの場に来てくれたことに対して礼を言わせて欲しい」
と、シャノンは堂々とした態度でそう言った。
その様子を見ていたテディとカールの二人は、まるで狐や狸にでも化かされているかのような顔になっていた。
それも当然だろう。シャノンの対外的な評価は〝道楽王子〟なのだ。馬鹿で愚鈍で、何をやってもダメ。どうしようもない遊び人で、しかも女好き。王族の面汚し――ほとんどの人間は、彼をそのように評価している。それが、シャノン本人が意図的に作り上げた〝シャノン・アシュクロフト〟だったからだ。
だが、いま目の前にいるシャノンは、まったくそうではなかった。誰もが自然と居住まいを正してしまうくらいには威厳に満ち、風格が立ち現れていた。
完全に虚を衝かれたような顔をしていたテディだったが、すぐにハッとしたように口を開いた。
「シャノン殿下、お体の方は大丈夫なのですかな? 魔族に危うく殺されるところだったと聞いておりますが……」
「大丈夫だ。剣が胸を貫通しただけだ」
「……それは大丈夫ではないのでは?」
「死んでないなら全てかすり傷だ。そうだろう?」
冗談めかして言うシャノンの顔を、テディは怖い顔でじっと見ていた。まるで相手の心の内を読もうとしているかのような鋭い視線だ。
「……殿下、いつもと随分雰囲気が変わっておられるご様子ですな。それが〝本来〟のあなた様であると思ってよろしいのでしょうか?」
「ああ。もう馬鹿なフリをするのはやめだ。なにせ、お前たちにはこれから真面目な話をしなきゃいけないからな」
「真面目な話、と仰いますと?」
恐る恐る、という感じにカールが訊ねた。
シャノンは二人に向かって一つ頷いてから、
「……今から、オレは荒唐無稽な話をする。何を言ってるんだろうと思われるかもしれないが、ひとまず最後まで聞いて欲しい」
と、そう前置きして、ヨハンたちに語ったことと同じ事を、テディとカールの二人にも話した。
辻褄の合う嘘で誤魔化すこともやろうと思えば出来ただろうが、それでは説明がまどろっこしくなってしまう。そう考えたシャノンは、結局、ありのままに全てを話すことにした。
それに、シャノンの最終的な目標はエリカを救うことだ。そのために、この説明は必要なことだとも彼は判断したのだった。
「――とまぁ、掻い摘まんで話すとそういうことだ」
「……」
「……」
話し終えると、テディもカールも非常に難しい顔になっていた。まぁそうなるだろうな、という顔だ。
先に口を開いたのはカールだった。
「……殿下。その、何と申し上げて良いのか分かりませんが……ええと」
「何だ? 言いたいことを言ってくれて構わない」
「正直に申しまして、今の話をすぐに信じろというのはとても難しいと言わざるを得ません。それに聞いた話によりますと、殿下は魔族に魔法をかけられていたということでしたし、そのせいで少し混乱されているのでは……?」
「と、思われてもまぁ仕方ないだろうな」
シャノンは肩を竦めてから、しかしすぐに真面目な顔に戻った。
「だが、今の話は全て事実だ」
「……人魔大戦の発端は全て人間側が人為的に仕掛けたこと。魔族は戦争など望んでいなかったし、ブルーノ様も本当の勇者ではなかった……そして、あなたこそが本当の〝勇者〟と呼ばれていた者の生まれ変わり、と。そういうことでよろしいのですよね?」
「そうだ」
「……」
困り果てた顔のカールは、まるで救いを求めるようにシャノンの背後に立つブリュンヒルデへと視線を向けた。これはどうすればいいんだ? と訴えかけているような視線だ。
だが、ブリュンヒルデはにこりと笑い返しただけで何も言わなかった。
それをどう捉えたのか分からないが、カールは再びシャノンへと視線を戻した。
「……その、殿下。もちろん殿下のお話をわたしとしても信じたいのは山々なのですが……なにぶん証拠がないとどうにも……」
「証拠ならある」
「え? あるんですか?」
「オレは前世で、生きている内に大戦に関する機密資料を隠しておいた。いま、それを現地へ回収に行かせている。それを見れば、大戦に関する事実が嘘ではないと分かるだろう。そして……オレこそが本当の〝勇者〟だと確実に証明する証拠も、その方法もある」
「そ、それはどのような……?」
「聖剣だ」
「聖剣? あの聖剣グラムのことですか? ブルーノ様から代々受け継がれてきた、あの……?」
「そうだ。今やあの聖剣こそが、この国の王権の象徴となっているが……儀式で使われている聖剣は偽物だ」
「に、偽物? あの聖剣が?」
「あんなのは本物と比べたらナマクラだ。本物は恐らく、今もどこかに隠してあるはずだ。本物の聖剣はとんでもない魔力喰らいだからな。並の人間なら持っているだけで昏倒する。あれは本当に選ばれた人間にしか扱うことはできないものだ。そいつをオレが引っ張り出してくれば、答えはおのずと出ることになるだろう」
「……」
「この国の王位継承者が聖剣の正当後継者によって決まると言うのであれば、オレ以外に相応しい人間なんているわけがない。なぜならオレこそが正真正銘、本物の〝勇者〟――あの聖剣の持ち主だったんだからな。誰もが見ている前でオレが聖剣の正当な所有者であると証明すれば、王位はオレのものだ。偽物の聖剣なんざ、ウォルターごとへし折ってやる」
シャノンはじっとカールを見ていた。最初は困惑していただけだったカールも、シャノンの放つ得も知れぬ迫力に飲まれ始めていた。思わずごくりと息を呑んでしまう。
「だが、王位を継いでも基盤がなければ国は動かせない。そのために、お前たちの力がどうしても必要だ。マギル家とディンドルフ家――
「う、ううん。しかし……」
「お父様、ここで悩む必要なんてありますか?」
「え?」
カールが悩んでいると、ブリュンヒルデが彼に向かってにこやかに話しかけた。
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