142,〝力〟

「だって、すでにうちはわたしのせいでウォルター殿下からは目の敵にされているんですよ? だったら、ここでいっそシャノン殿下の側につくしかないではありませんか」

「そ、それはそうだが……というか、そもそもお前が殿下と婚約しているという話は何だったんだ。その話はどうなったのだ?」

「すいません、あれは嘘です。ウォルター殿下とどうしても婚約したくなかったので、つい嘘をついてしまいました。申し訳ありません」

「いや、そんなあっけらかんと……」

「ですが、お父様。これは間違いなくお父様にとっては転機ですわよ?」

「転機?」

 ええ、とブリュンヒルデは頷き、真面目な顔になった。

「ここでシャノン殿下の側についておけば、お父様は次期国王の腹心となれるのですよ? そうなれば、周囲の者はきっと素晴らしい先見の明を見せたお父様こそがディンドルフ家の当主に相応しい存在だと思うに違いありません。いまこの状況では、誰もがウォルター殿下こそが次の王になると思っているでしょう。まぁ正式にそういう発表もされましたから当然でしょうね。現状では誰もシャノン殿下が王位に就くなど、夢にも思っていない……なら、この状況はむしろ好機ではありませんか。お爺様も、数々の逆境をチャンスに変えてあそこまでのし上がったのですから。いつまでものままでは、お父様もお嫌でしょう?」

「……う、ううむ」

「お父様の代で、ディンドルフ家はさらに飛躍するのです。そうすれば、お父様の名はお爺様と並んで我が家の歴史にずっと語り継がれることになりますわ。そのチャンスはいまここにしかありません。そして、それを物にできるかどうかは、お父様にしか決められません」

「……う、ううううううむッ!!」

 カールは唸った。ものすごく唸った。かなり心が揺れているのが表情で分かる。

 だが、もう一つ決め手に欠けるのか、唸るばかりで決断ができない様子だ。

 もう一押し必要か――シャノンがそう思っていると、

「シャノン殿下、よろしいでしょうか?」

 ずっと険しい顔で黙っていたテディがおもむろに口を開いた。

「何だ、テディ?」

「わたしには小難しいことはよく分かりませぬ。なにぶん、剣の腕しか磨いてこなかったもので……ですので、一つ試させて頂いてもよろしいでしょうか?」

「何を試すんだ?」

「もちろん、殿下の〝力〟でございます。わたしにとっては、それだけが何よりの証拠です。機密資料がどうとか、聖剣がどうとか、そんなことは些事でしかありません。ようは殿下に王となれるだけの〝力〟があるかどうか。わたしが知りたいのはその一点だけでございます」

「なるほど。〝力〟か。それはお前の言うとおりだな。では、どうすればお前にその〝力〟を見せることができる?」

「手合わせ願いたいと存じます」

「ふむ……分かった。どこでやる?」

「ここで構いません」

 テディはおもむろに立ち上がり、部屋の後方に移動した。広間はかなり広いので、剣を交えるくらいのスペースは十分にあった。

「え? え?」

 カールは突然のことに困惑している様子だったが、ヨハンやブリュンヒルデは二人を止めなかった。

 シャノンとテディが向かい合う。テディはすぐに剣を抜いたが、シャノンは立ったままぴくりとも動かなかった。

「……む? 殿下、剣を抜かないでよろしいのですか?」

「ああ、問題ない。いつでもかかってこい」

 そう言いつつ、シャノンは目まで瞑ってしまった。

 テディは顔を険しくした。

「……ほう。殿下、わたしごときの剣が相手では、構えなどまったく必要ないということですかな?」

「これくらいのハンデは必要だろう。でないとうっかり殺してしまうかもしれん」

「――なるほど。では、遠慮無く」

 テディはさらに視線を鋭くした。気配に濃い殺気が混じり始める。

 王国で〝最強〟と言われる男の放つ殺気は、その場にいる人間たちにまるで目に見えるような凄まじい威圧感を与えた。ただでさえ熊のように大柄の身体が、さらに膨れ上がったようにさえ見えた。

 さすがのヨハンでさえも、正真正銘の本気を出そうとしているテディに対して思わず息を呑んでいた。

 しかし、それだけの殺気を前にしても、シャノンはぴくりとも動かなかった。

 部屋の中が威圧感で満たされ、誰もが息を詰まらせ始めた時、テディが突如として動いた。

 凄まじいはやさだった。巨体が消えたと思えるほどの動きだった。常人にはまず見えなかっただろう。かろうじて目で追えたのはヨハンだけだ。

った――ッ!!)

 剣を振り下ろした時、テディは確信と手応えを感じた。その時点で、シャノンはまだ動いていなかった。

 テディは本当に遠慮は一切しなかった。本当に殺すつもりで剣をふるったのだ。シャノンがそのまま動かなければ、本当に斬り殺していただろう。

 だが――

 カッ、とシャノンが双眸を開いたその瞬間、テディは自分が大きな化け物に食われる姿を想像してしまった。

 手応えなどたちまち消え失せ、吹き飛ばされた。とんでもない〝力〟の奔流が、自分自身に襲いかかってくるのを彼は確かに感じたのだった。

(な――)

 これまで何度も魔族との戦闘を経験してきたテディだったが、相手に本能的な恐怖というものを感じたのはこれが初めてのことだった。魔族が相手でも臆することのなかった男でさえ、目の前に突如として現れた化け物には恐怖を感じざるを得なかった。

「――どうだ? これでオレの〝力〟は示せたか?」

 テディはハッとした。

 気が付くと、自分の持っている剣の剣身ブレイドが半分になっていた。その上、シャノンの握った剣の切っ先が、自分の喉元に突きつけられている。

(……み、見えなかった。まったく、ほんの少しでさえも)

 一瞬、本気で化け物と見紛うばかりだったシャノンの姿が、今は元に戻っていた。 

 シャノンはニヤリと笑ってから、剣を収めた。

「どうする? まだ納得できないと言うなら、何度だって相手してやるが」

「……いえ、その必要はございません」

 テディは半分になってしまった剣を鞘に収めて、その場に片膝を突いて頭を垂れた。

「いまこの瞬間より、このテディ・マギルはシャノン殿下の忠実なる臣下となりたく存じます。お許し頂けるでしょうか?」

「もちろんだ。よろしく頼む」

「ははッ! 有り難き幸せ!」

 テディがさらに深く頭を垂れる。

「――」

 その様子を、カールはただ呆然と眺めていたが、急にハッとしたように立ち上がった。

 ……後に、カールはこの時のことを振り返って「まるで雷鳴に撃たれたような瞬間だった」と語ることになる。

 自他共に認めるほど凡庸で小心者なカールでさえ、目の前に現れたこの大きな転機には動かざるを得なかった。

 カールには残念ながらガルフほどの指導者としての才覚も、先見の明もなかった。それでも、そんな彼にもはっきりと見えたのだ。王位に座る、シャノン・アシュクロフトの姿が、はっきりと。

「で、殿下ッ!!」

 ずさーッ!! とカールは物凄い勢いでテディの横に並んで同じ姿勢を取った。

「わ、わたくしも殿下にお仕えしたく存じます!! な、なにとぞ! なにとぞよろしくお願い致します!!」

「もちろんだ。こちらこそよろしく頼む」

「ははッ!! このカール・ディンドルフ、殿下の手足となって粉骨砕身の働きを見せてごらんにいれます!!」

 ……この瞬間、シャノンはこの国で大きな権力を持つ大貴族を二つも味方につけることに成功した。これまで中立を維持していたこの二つの家がはっきりとシャノン側についたとなれば、他の貴族たちにも影響が出るのは必至だった。

 だが、それは同時に、シャノンとウォルターの対立が明確になったことも意味していた。

 事態はもう、明確な勝者が生まれるまで決して終わることはない。勝者が生まれるということは、どちらかが敗者になるということだ。世界の盟主たる〝勇者の国アシュクロフト王国〟の後継者争いの勝敗は、この国はおろか、世界中に影響を与えることになるだろう。

 まさにいまこの瞬間、〝歴史〟が大きく動き始めようとしていた。

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