129,欺瞞

「女、そこを動くでは無いぞ。もうすぐ長官が到着する。無駄な抵抗はするな」

「分かっている。それよりさっさとその長官とやらを連れてこい」

 わたしは周囲を黒ずくめの集団に囲まれていた。

 相手はこちらから一定の距離を取って、警戒したように剣を構えている。

(……こいつら、妙なをしているな。てっきりヨハンたちが騎士団を率いて山狩りに来たのだと思ったが……)

 わたしが森の中で見つけたのは、見覚えのある銀色の重装鎧グラヴィス・アルマを身につけた集団ではなく、真っ黒な重装鎧グラヴィス・アルマに黒いマントを身につけた集団だった。

 騎士とはどこか雰囲気が違う。

 それに、責任者を連れてこいと言ったら〝長官〟とか〝ヘルムート〟という単語が出てきた。どうもヨハンの部下ではないらしい。

(もしかして、こいつらが例の〝異端狩り〟を専門に行う連中――異端審問会というやつらか?)

 考えられる可能性があるとすればそいつらだろう。

 森の中には依然として、ヨハンとアンジェリカの気配もある。そう遠くはない。

(ヨハンたちが相手ならと思ったのだが……この得体の知れない連中ではこちらの思惑通りにいくか分からない。どうすべきか――)

 こちらが考えていると、慌ただしく機械馬マキウスが走ってきた。

 すぐに一人の男が機械馬マキウスを降り、わたしの目の前に立った。真っ黒なのは同じだが、他とは少し意匠の違う鎧とマントだ。恐らくこいつが責任者だろう。やたらと泥まみれなのが気に掛かるが。

「貴様がこいつらの責任者か?」

「ええ、いかにも。わたしはヘルムート・ブリュックナー、異端審問会の長官です。あなたが例の異端者――エリカ・エインワーズ殿ですか?」

 男はバシネットを開いて顔を見せると、慇懃な態度で話しかけてきた。どこか胡散臭い雰囲気の男だ。騎士ではないとすぐに分かる気配だった。

「そうだ」

 わたしが頷くと、男はにやりと笑ってから、すぐに周囲に視線を巡らせた。

「確か、あなたはシャノン殿下と一緒に行動しているはずですが……殿下はどちらに?」

「その前に、一つ訊きたいことがある」

 こちらが話を遮ると、ヘルムートは一瞬ぴくりと眉を動かした。

 だが、胡散臭い笑みは消さずに応じた。

「何でしょう?」

「お前たちの目的を聞きたい。異端者であるわたしを捕らえに来たのは分かるが……シャノン・アシュクロフトについてはどうするつもりだ?」

「もちろん、保護いたします。殿下のも我々に与えられた任務ですからね」

「ふむ……わたしの処遇は? 異端者は問答無用で処刑か?」

「危険な魔族であればそういうこともありますが……あなたのように言葉の通じる相手であれば、まずは異端審問が行われます。我々はですから。あなたが抵抗しないのであれば、こちらもすぐに危害を加えるようなことはしません。この場はひとまず、王都までご同行頂くことになります」

「……なるほど。それはありがたい話だ」

「それで、殿下はどちらに?」

 男は人の良さそうな笑みを見せながら、あくまでも慇懃な態度を崩さない。

 その様子を窺いながら、わたしはこの胡散臭い男の腹を探っていた。

 ……こいつが言っていることは嘘だな。明らかに殺気が漏れている。こいつはここでわたしを殺すつもりだ。

 ヘルムートの目は薄く開き、こちらの様子をじっと窺っている。表面に貼り付けている笑みは偽物だ。これまで散々作り笑いで周囲を欺いてきたわたしには、こいつの胡散臭い笑みが偽物だということがよく分かる。

 まぁわたしのことは別にどうでもいい。問題は、こいつらがシャノンを――ヴァージルをどのように扱うかだ。

 まさか第二王子を問答無用で殺すことはしないと思うが、現状ではヴァージルはわたしの協力者だと思われている可能性が高い。そうなればヴァージルの立場はどちらにせよ危うくなってしまう。

 ヴァージルは協力者ではなく、あくまでも被害者でなくてはならない。

 ……やはり、この得体の知れない連中にヴァージルの身柄を渡すのはやめておいた方がいいな。

 であるならば、より信頼できる相手にヴァージルのことを任せるべきだ。

 ……は近くにいる。

 ここで騒ぎを起こせば、間違いなく気付くだろう。

 右手はすでに動かない。感覚もない。

 左手は――何とか動く。

 正直、もう身体はぼろぼろだった。魔力もほとんど使い切っている。ただ幸か不幸か、魔力が空っぽだからこそ、身体が何とかっているような状態だ。奇跡的に身体が負荷に耐えたおかげで、いまわずかに命拾いしているに過ぎない。

 ……けれど、いずれ魔力は回復し始める。

 そうすれば、もうこの身体で魔力制御することは不可能だ。

 ある一定の量を超えれば、魔力はすぐにわたしの身体を内側から破壊し始めるだろう。

 あと数日もすれば、わたしは勝手に死ぬ。

 内側から制御不可能な魔力に浸食され、内蔵を食い破られるように死んでゆくはずだ。さぞ苦しいだろう。それは本当に――わたしには相応しい死に方だ。可能な限り、わたしは苦しんで死ななければならない。それでもまだ、前世の罪を贖うには足りないくらいだろうが。

 ……ならば、あと数日のこの命を、せいぜい効果的に使うことにしよう。

 この命がどれだけ呪われているのだとしても、ただ散らせてしまうだけなのは、ティナとダリルに申し訳が立たない。

 最後の最後まで、わたしのことを案じてくれていた二人だ。あの二人から貰った命を粗末にはできない。

 ……でも、ヴァージルのために使うのなら、二人もきっと許してくれるだろう。

 それで、最後はのだ。

 これ以上ない結末だ。

 それでもう――これ以上、誰も不幸にならないのだから。

 前世で叶わなかった夢が叶った。

 それだけで、わたしはもう十分だ。

 もう一度、ヴァージルに会えたのだから。

 まぁ一つだけ心残りがあるとすれば……また、を伝えそびれてしまったことだけだろうか。

 でも、さすがにそれは贅沢というものだろう。

「……ヴァージル、今世ではせめて、お前は幸せになってくれ」

「はい? 何か仰いましたか?」

「気にするな。何でもない」

 わたしは左手をかざし、小さな火球ヴォリーダを放った。

 小さな火の玉はヘルムートの頬を掠め、背後の木に当たって爆発した。

 大した威力ではなかったが、直撃した木は真ん中からへし折れた。

 あまりのへなちょこな威力に、我ながらちょっと笑ってしまった。可能な限り全力で撃ったはずだったが、もう本当にこの身体はダメなようだ。

「き、貴様ァ!? 何のつもりだ!?」

 ヘルムートが慌てて剣を構えた。まったく素人の構えだ。恐らくこいつは剣なんて振るったこともないのだろう。

 他の連中も慌てたように剣を構えていたが、サマになっているのは一人か二人だ。

 ……ほとんどは素人だな。これなら、多少のハッタリでも何とかなりそうだ。

 わたしはと笑った。

「ふん、その手には乗るものか。お前らの魂胆は分かっている。どうせここでわたしを殺すつもりだろう? 悪いが、こちらもただでやられるつもりはない」

「な、何だとこの魔族風情が!? こちらが何人いると思っている!? 一人で敵うと思っているのか!?」

 ヘルムートが吠えた。だが、せいぜい小さな犬が吠えた程度だ。

 名だたる騎士であれば、この瞬間に斬りかかっているだろう。わたしにはもうまともに抵抗する力もない。一瞬で首を刎ねられて終わりだ。

 でも、こいつらでは無理だ。

 わたしはますます笑みを深めた。

「一つ言っておこう。お前らはすでに、こちらの罠にかかっている」

「な、何だと!? どういうことだ!?」

「魔法による罠だ。まぁ地雷のようなものだな。下手に動けば足が吹き飛ぶぞ?」

「な――」

 ヘルムートは愕然としたような顔になった。

 もちろん嘘だ。

 だが、わたしはその嘘がせいぜい本当に見えるように振る舞った。

 ……少しでも時間を稼げば、は向こうから来てくれるはずだ。

「さて、一気に形勢逆転だな? どれ、お前らをどうしてやろうか? このままドラゴンに生きたまま食わせるというのも面白いかもしれんなぁ……くくく」

「ま、ままままま待てッ!?!? 話し合おうッ!? こちらは本当に危害を加えるつもりはないッ!」

「嘘だな」

「嘘じゃない! 本当だ!」

「あー、やっぱ面倒だな。もう殺すか」

「わー!? 待て!?!? 待ってくれ!?!?」

「ああ、ちなみに罠が仕掛けてあるのはお前だけだ。他の連中は逃げても構わんぞ」

「え?」

 わたしがそう言うと、ヘルムートはぽかんとした。

 他の連中は戸惑ったようにお互いの顔を見合わせていたが、すぐに一人がその場から逃げ出した。

 すると、他の連中もたちまち逃げてしまった。

「おおおい!? 貴様ら!? わたしを置いていくな!? わたしも連れて行け!?」

「ははは、随分と人望の厚いことだな、ヘルムート長官殿。異端審問会というのは実によく訓練された組織のようだ」

 笑いながら、再びゆっくりと左手をかざした。

 ヘルムートは震え上がった。

「うわあああぁぁ!?!? ま、待ってくれ!?!? 殺さないでくれ!?!? 頼む!?!?」

「バン」

「――」

 わたしが口で擬音を発すると、ヘルムートはその場で白目を剥いて倒れた。失神したようだ。口から泡を吹いている。

 ……思った以上に小心者だったな、こいつ。

「エリカ!?」

 その時、馴染みのある声が聞こえた。

 声を聞いた途端、わたしは心から安堵した。

 どうやら来てくれたらしい。

 顔を上げると、そこにはアンジェリカたちの姿があった。

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