120,前世の話4

「わははは! 今回も大戦果だったな! このおれの活躍あってこその戦果だ! そう思うだろう、ヴァージル!」

「あー、はいはい。そうだな。お前のおかげだな」

「そうだろう、そうだろう! わはは!」

 ブルーノは上機嫌だった。

 現在、ヴァージルたちの所属する騎士団は占拠した魔族たちの砦で野営をしているところだった。

 ここはすでにゲネティラの領土内だ。

 連合軍は長い時間をかけて、ようやくここまで到達した。これまで魔王軍は何とか連合軍を押し留めていたが、ヴァージルたちの騎士団がようやくゲネティラ領土内への突破口を開いたのだ。

 2人は外で焚き火を囲っていた。他の仲間たちもみんな、あちこちで一息吐いたように焚き火を囲んでいる。

 かつてない戦果を上げたというわりには、少し静かな夜だった。

 本当なら誰もが祝杯を上げたいところであったが、いつ魔族たちがこの砦を奪還しに来るか分からない。ここがゲネティラ攻略の橋頭堡となる場所だ。他の騎士団が合流するまで、彼らはここを絶対死守しなければならない。そのため、酒はまだ禁じられていたのである。酒がなければ騒ぐ理由もない。

 ……酒も飲まずにここまで上機嫌に笑っていられるのは、ブルーノくらいなものだろう。

「にしても、魔族という連中は本当に野蛮な連中だ。お前もそう思うだろう、ヴァージル?」

「……どうかな。オレは別に、魔族も人も大して変わらないと思うけどな」

 ヴァージルがそう答えると、ブルーノは訝しげな顔になった。

「何だ、貴様? まさか魔族どもの肩を持つのか?」

「そういう訳じゃないが……まぁ、昔に少しだけゲネティラに住んでいたことがあるからな。少しばかり魔族と交流はあったんだよ」

「ほう? それは初耳だな。魔族の国ゲネティラに人間が住んでいたなど、今となっては考えられんな」

「昔はそういう時代があったんだよ。もうみんなとっくに忘れちまっただろうけどな」

 ヴァージルは昔の事を思い出しながら続けた。

「人間にだって色んなやつがいるみたいに、魔族にだって色んなやつがいる――それだけのことだ。魔族がみんな、悪いってわけじゃない。オレらと同じように……ほとんどの連中は、きっと普通に生きてるだけだ」

「だが、この戦争は魔族どもが一方的に仕掛けてきた戦争なのだぞ? 人間をこの地上から駆逐するためにな。それが野蛮でなくて何だというのだ」

「それだって、本当のところは分からない」

「なに?」

「この戦争だって、ほんの一部の過激派が主導してるだけで、大多数は戦争なんて望んでないはずだ。まるで全ての魔族が、人間を心の底から憎んでいるように人間オレらは言ってるが……でも、きっとそうじゃないはずなんだ」

 そう言いながら、ヴァージルは懐からある物を取りだした。

 それは何でもない、ただの石ころのようなものしか見えなかった。

 ブルーノはふと訊ねた。

「その魔石の欠片、いつも持ち歩いているな? 何のためにそんなものを持ち歩いているのだ、お前は?」

「……これは、お守りみたいなもんだ」

「お守り?」

「ああ。これを持っていたら……オレが会いたい人に、もう一度会えるはずなんだ」

「会いたい相手? 誰のことだ?」

「オレが――人生で初めて好きになった人だ。そして、今もずっと好きな人だ」

 約束の石を眺めながら、ヴァージルはかつての記憶に思いを馳せていた。

 ゲネティラに住んでいた期間はわずか二年ほどのことだったが、彼の人生においては、その二年こそがもっとも尊い時間だった。

 彼女――ミオのことを忘れたことは、ほんの一時ひとときもなかった。

 最後に再会を約束した時のことも、昨日のことのように覚えている。

 彼女と過ごした時間は、本当に楽しくてかけがえのないものだった。

 人生の大半が戦争によって奪われたヴァージルにとって、彼女と過ごした黄金のような日々だけが心の支えだった。

 ……もう一度、彼女に会う。

 再会の約束を果たす。

 それだけが、今の彼にとっての生きる目的いみだった。

 両親が殺された時、魔族のことを心から憎んだこともあった。けれど、ミオのことを思い出すと、彼は冷静になった。

 魔族の全てが敵というわけではない。人間との融和を望んでいる魔族だって、必ず存在するはずなのだ。ミオのように、心優しい魔族だって、たくさんいるはずなのだ。

 だからこそ――ヴァージルは、メガロスのことを心から憎んでいた。

(メガロスが戦争さえ起こさなければ……こんなことにはならなかった。この戦争はメガロスという戦争指導者と、一部の過激派が起こした〝犯罪〟だ。多くの魔族は、ただそれに巻き込まれているに過ぎない)

 それがヴァージルの認識だった。

 メガロスさえたおせば――きっと、またミオと笑い合える日が戻ってくるに違いない。

 そう思いながらずっと戦ってきた。

 数え切れないほどの魔族を殺してきた。

 けれど、それも全てメガロスが悪いのだ。メガロスが世界を歪めたせいで、必要のない殺し合いが起きているに過ぎない。

 その間違いを正すためには仕方がない。

 平和のために仕方ない。

 ミオと再会を果たすためには――仕方ないことなのだ。

 そう思い続けることで、ヴァージルはこの悪夢のような日々を生き延びてきたのである。

「初恋の相手だぁ? わはは! ヴァージル、貴様存外にロマンチストなのだな!」

「う、うるさいな。いいだろ、別に」

 ヴァージルは約束の石を懐にそっとしまった。

「そういうブルーノは、会いたい人とかいないのかよ?」

「そんなやついるものか。どいつもこいつも、おれを見捨てたやつばっかりだ。家族も兄弟も、友人だと思っていた連中も……みんな裏切り者だ」

 途端、ブルーノは不機嫌そうな顔になった。

 彼は故郷にあまり良い思い出はないようだった。

 話を聞く限りでは、ブルーノは家で随分と肩身の狭い思いをしていたそうだ。出来の良い兄弟と比べられて、いつも否定的なことを言われていたらしい。

 それでも努力していたが、戦争が起こると体良く家を追い出されてしまった。家の対面を守るために、三男のブルーノを戦場に駆り出したのだ。もちろん、本人が望んで出征したことにされているが……実際は寝ている間にぐるぐる巻きにされ、そのままされてきたそうだ。

 そんな扱いを受けてきたせいか、ブルーノはとにかく野心的だった。自分を見下してきた連中を見返したい――それだけが、ブルーノを動かす原動力だった。

「――だが」

 と、ブルーノは急に機嫌を直したように、ヴァージルを見やった。

「お前は別だ。おれが人生でもっとも信頼しているのはお前だけだ。お前の他に信頼できるやつなどいない」

「は? な、なんだよ急に? 小っ恥ずかしいこと言うんじゃねえよ」

「何を恥ずかしがることがある。貴様はこのブルーノ・バベッジの〝戦友〟なのだぞ。もっと誇れ」

「うーん、それって誇っていいことなのか……?」

「おい!? それはどういう意味だ、貴様!?」

「ははは! 冗談だって、冗談!」

 ……とまぁ、何だかんだと言いつつ、ヴァージルもブルーノのことを〝戦友〟のように思っていた。最初に出会った頃からは信じられないが……確かに、今の2人は身分など関係なく、お互いを信頼し合っていたのだ。

 しかし、

「おい、ヴァージル! こんなとこにいやがったのか!」

 2人の元に見覚えのある騎士たちがやってきた。彼らは純粋な貴族の騎士で、最初はヴァージルのことを見下していた。だが、今はこうしてとても好意的に接してくるようになっていた。

 ヴァージルは振り返り、首を傾げた。

「ヘンリーにチェスターじゃないか。どうした? 何か用事か?」

「どうした、じゃねえよ! この作戦を成功させた立役者がこんな端っこにいるんじゃねえよ! どこ行ったんだと思ってたぜ!」

「いや、立役者ってそんな大袈裟な……」

「大袈裟なもんかよ! てめぇがいなかったらおれたちはここまでたどり着いてねえって!」

「そうそう! なんてったってヴァージルはおれたちの〝勇者〟なんだからな!」

 ……この時、すでにヴァージルは周囲から〝勇者〟なんて呼ばれるようになっていた。

 ヴァージルの活躍ぶりは、すでにこの騎士団のほとんどが知るところとなっていた。

 最初は平民の彼を快く思っていなかった貴族も多かったが、今は誰もがヴァージルのことを認めていた。どんな困難な戦局であっても、ヴァージルがいればきっと何とかなる――と、みんなの心のより所となっていたのだ。

 ……だが、ヴァージル本人にとっては〝勇者〟なんて大袈裟な呼び名は過大評価もいいところだった。ただ必死に目の前のことを何とかしてきただけだ。決定的に戦局を変えただとか、自分がそれを成し遂げただとか、彼自身はそんなことは微塵も思っちゃいなかったし、そもそも功績を上げようだとか考えたこともなかった。

 彼が望むのは、争いのなくなった平和な世界。

 ただ、それだけなのだ。

「オレは別に〝勇者〟なんかじゃない。大したことは別に――何もしてない」

「謙遜はいいから、向こうでおれらとメシ食おうぜ! 酒も飲めねえんだ、せめて主役がいないと盛り上がらねえよ!」

「あれ? 何だ、ブルーノも一緒か」

 相手方の一人が、ようやくブルーノの存在に気付いた様子だった。

 ブルーノは不機嫌そうに相手を睨めつけた。

「……なんだ。おれがいたら何かまずいことでもあるのか?」

「別にそんなこと言ってねえだろ」

「いや、そういう顔だ。お前もおれを馬鹿にしているのだろう?」

「な、何だよ。ヴァージルののくせによ」

「何だと!?」

「おい、落ち着けブルーノ」

 立ち上がったブルーノを、ヴァージルは軽く手で制した。

 ヴァージルにじっと見られて、ブルーノは怒りを収めた。ふん、と鼻を鳴らし、再び座り直した。

 相手はすぐにその場から立ち去った。

 二人だけに戻ると、ブルーノはすぐに愚痴をこぼし始めた。

「……くそ。どうして、どいつもこいつもおれのことを馬鹿にするんだ」

「いちいち人の言うことなんか気にするな。お前の悪いところだぞ。ほら、スープでも食えよ」

 焚き火で煮出したスープを器によそい、ブルーノに渡す。

 それをある程度口にしてから、ブルーノはぽつりとこぼすように言った。

「……お前、また料理の腕を上げたな」

「そうか?」

「ああ。こんな粗末な環境と食材で、よくこれだけのものが作れるな、と感心する。おれが美味いと思うのだから、貴族社会でも料理人として十分にやっていける腕前だろう」

「はは、大貴族様にそう言って貰えるなら中々のもんだな。ま、でも料理については全部お前に教えてもらったからな。お前の教え方が良かったんだよ」

「……いや、それはおれのおかげでもなんでもない。全部、お前に〝才能〟があったからだ」

「え?」

 ブルーノは器に目を落としながら、静かに続けた。

「確かに、お前に料理を教えたのはおれだ。だが……今はお前の方が腕は上だ。おれが基礎を教えたら、お前はあっという間におれを追い越してしまった。剣術だってそうだ。平民で剣術も知らなかったはずのお前が、今や誰も敵わないほどの腕になっている。お前がすごいやつで、周囲から一目置かれているのは、全部お前の実力だ。おれは何もしていない」

「……ブルーノ?」

「最初はみんな冗談半分で言っていた〝勇者〟という呼び名だって、今じゃほとんどのやつが本気でそう呼んでいる。お前さえいれば、この戦いだって終わらせられるんじゃないか――魔王メガロスを倒せるんじゃないかって、そう思っているやつは多い。おれだってそうだ」

「それは買い被り過ぎだ。オレは〝勇者〟なんて器じゃない」

「お前がそう思っていなくても、周りはそう思っている。おれからすれば――本当に

「……どうした? いつものブルーノらしくないぞ?」

 そう言われて、ブルーノはハッとしたような顔になった。

「あ、ああ……そうだな。おれとしたことが、貴様ごときを羨むなど――そんなことあるわけがなかったな! なに、今に〝勇者〟と呼ばれるのはこのおれだ! おれを馬鹿にした連中に目に物見せてやるからな! わははは!」

 ブルーノはいつもの調子に戻った。

「そうそう、ブルーノはそういう感じじゃないとな。しおらしく落ち込んでるなんてお前らしくない」

「まったくもってその通りだな。ああ、本当にその通りだ――」

 それは本当にいつも通りのブルーノで――ヴァージルは、先ほど彼が見せた本音のことは、すぐに忘れてしまった。

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