121,歴史の幕間
……これは、ヴァージルが知らない歴史の一幕である。
「……結局、おれはどこへ行っても〝落ちこぼれ〟か」
みなが寝静まった後、ブルーノは一人で夜風に当たっていた。ヴァージルもすでにテントに戻った。
背中を丸めて溜め息をつくその姿は、とてもではないが大貴族の威厳など欠片もありはしなかった。
彼は常に兄たちと比較され続けてきた。
その度に貶され、詰られ、馬鹿にされてきた。
剣術はいくら努力しても上達しない。
けれど、彼は料理の才能には恵まれていた。子供の頃、落ち込んでいた自分を励ましてくれた使用人たちから、こっそり教えてもらっていたのだ。
料理に出会ったのも、使用人たちのおかげだった。
料理の腕はめきめきと上達した。貴族社会でも十分に名を馳せることができるほどの腕前になっていた。
これならきっと、両親や兄たちも驚かせるはずだ。
そう思って、彼は一度だけ、家族に料理を振る舞ったことがある。
料理は好評だった。誰もが料理人の腕を褒め称えた。
食事が終わってから、ブルーノは自慢げに作ったのは自分だと明かした。
……だが、彼が望んだものは得られなかった。
料理を作ったのがブルーノだと知った途端、家族は手の平を返したのだ。
料理など騎士のすることではない、となぜか叱責まで受ける羽目になった。
騎士の家系であるバベッジ家では、彼の持つ能力は何の評価もされなかった。むしろ料理など使用人のすることだと言われて、余計に馬鹿にされることになってしまった。
惨めだった。
本当に惨めだった。
やはり剣術だ。剣術がなければ話にならない。
そう思い、改めて努力し続けてきたが……結局、全て無駄だった。やはり、彼には剣術の才能はまったくなかったのだ。
「しかも、自慢だった料理の腕もあっさりヴァージルに抜かれてしまうしな……やはり〝天才〟というのはいるのだな」
自嘲気味に笑い、再び溜め息を吐いた。
(でもまぁ、これで良かったのかもな。人には向き不向きがある。おれに騎士になる才能がないことはこれでよく分かった。戦争が終わったら、家とは縁を切って本当に料理人にでもなるか――)
そう考えていた時、ふと背後に人の気配がした。
振り返ると、いつの間にか男が立っていた。
人の良さそうな笑みを浮かべた男だ。
見たことのない相手だった。同じ騎士団に所属している相手なら、まったく部隊が違っても何となく見覚えはあるものだが……そいつの顔には、まったく見覚えがなかった。
周囲の暗さのせいもあるが、年齢がよく分からない男だった。20代にも見えるし、40代にも見える。顔に特徴らしい特徴が何も無い。こうしてはっきり顔を見ているのに、頭の中に生じる印象がぼやけている。
男は慇懃だが、どこか親しげな口調で話しかけてきた。
「夜分遅くに失礼いたします。ブルーノ・バベッジ様ですね?」
「そうだが……貴様は誰だ?」
「わたしはザカライア、と申します」
「知らん名だな……どこの国の者だ? 家名は?」
「ははは、なに、そこまで名乗るほどのものではありません。ただのしがない中貴族です」
ザカライアは笑みを浮かべながら言った。
何だか怪しい男だ。
さすがのブルーノも警戒していると、ザカライアは突然、こんなことを言った。
「ブルーノ様は英雄になりたくはございませんか?」
「……は? 英雄? 何の話だ?」
「言葉の通りです。あなたには英雄になるための素質があります」
「……」
「まぁまぁ、そんな胡散臭そうな顔をしないでください。わたしはただ事実と本心を申し上げたいだけなのです」
「……よく分からんが、用件だけ言え」
「では、そうしましょう。あなたがよく一緒に行動されているあの男――ヴァージル・パーシーは野良騎士ですが、今や〝勇者〟などと呼ばれて持て囃されています。たかだか平民が、ですよ? 嘆かわしいとは思いませんか?」
「それはあいつにそれだけの実力があった、というだけのことだ。戦場で必要なのは実力と、そして結果だ。事実、あいつはすごいやつだ。おれには到底、あんなふうにはなれん」
「ふむ……それは確かにそうかもしれません。ですが、果たしてこのままあの者が〝勇者〟で良いのでしょうか?」
「どういうことだ?」
「此度の戦争で、我々人間は歴史上類を見ないほどの危機に直面しました。そのせいで、やむを得ず平民を騎士に取り立てることでしか必要な戦力を保持できませんでした。しかし……このまま戦争が終わってしまえば、これまでの貴族による支配体制に揺るぎが生じかねません。血統のない者でも、魔力を持つものは一定数おります。その者たちが自分たちの〝力〟に気付いてしまえば、貴族という存在そのものが根底から覆されかねません。貴族は魔術道具を独占することでその立場を維持してきたのですから。恐らくこのまま戦争が終結すれば、時代は大きく変わります。将来的に貴族の支配体制そのものが終わるでしょう」
ザカライアはにやり、と怪しい笑みを見せた。
「ですから――〝勇者〟は貴族でなければなりません。平民ごときがこのまま〝勇者〟であることなど、あってはならないのです」
「……それが、おれに何の関係がある?」
「我々は、あなたが〝勇者〟になってくださればいいと思っております」
「おれが? どうやって?」
ザカライアは〝我々〟と言ったが、ブルーノはそこまで気が回らなかった。
明らかに男は怪しい。まともに聞くような話ではない。
……それは理解しているのに、ブルーノはどうしても男の話を遮ることができなかった。
「簡単なことですよ、ブルーノ様。全てが終わった後に――あなたがヴァージル・パーシーを殺すのです。あなたは彼と親しい。あなたであれば、きっとあの男もきっと油断して隙を見せることでしょう」
「ば、馬鹿なことを言うな!? そんなことできるか!? あいつは〝戦友〟だぞ!?」
「そうですか? であれば仕方ありませんが……これだけは覚えておいてください。あの者が消え去れば、歴史に〝勇者〟として名が残るのはあなたです。我々がそれを保証いたしますよ。では、いずれまた――」
ザカライアは慇懃に頭を下げ、夜の闇に消えていった。
「……な、何だったんだあいつは。馬鹿馬鹿しい」
ブルーノは怪しい男の妄言を一蹴し、すぐに忘れようとした。
……だが、どうしてだかそれはできなかった。
この時、ブルーノの心の中にいた〝化け物〟が、ほんの少しだけ姿を見せたのだ。
人の心というものは、とてつもなく深くて暗いものだ。
例え自分自身であっても、その暗闇の中にどんな〝化け物〟が潜んでいるのか、知らないまま生きている人間がほとんどだろう。
それはもちろん、ブルーノの中にもずっと潜み続けていた。
他者から認められたいという欲求。
渇望を喰らい続けることで成長を続けてきた〝化け物〟。
「……おれが、〝勇者〟」
その〝化け物〟が、この時、確かに暗闇の底からほんの少しだけ這い出してきたのだった。
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