119,前世の話3

 ブルーノ・バベッジは、当時まだ列強の間では最も国力の低かった国――アシュクロフト王国の大貴族で、騎士の名門であるバベッジ家の三男坊だった。

 だが、ブルーノ自身はいわゆる〝落ちこぼれ〟だった。

 幼少期から出来の良い兄二人と比べられて育ち、あらゆる面を否定されながら育った。

 バベッジ家は代々騎士の家系だったそうだが、剣術はからっきしだった。その代わり、ブルーノには料理の才能があった。しかしながら、それらは彼が欲した才能ではなかったし、そんな才能があったところで何の意味もなかった。

 その内、バベッジ家の恥さらしとまで言われるようになった。

 戦場に来たのも自分の意志ではなく、ほとんど無理矢理連れてこられたのだという。

 寝ている間にぐるぐるの簀巻きにされて、気が付いたら前線にいたらしい。ようするに家から追放されたのだ。もちろん、周囲には本人が自ら出征した、ということになっている。

 そんな扱いだったものだから、ブルーノはとにかく自分の家のことを恨んでいた。

「おれは絶対に父上や兄上たちを見返してやるのだ。そのために、この戦場で戦果を上げる。おれに残された道はそれしかない」

 その恨みは彼の原動力そのものだった。

 ある意味、他の誰よりも戦意は高かった。

 だが……とにかく彼には戦闘に関する才能が何一つなかった。前線で先陣を切る能力もなければ、戦略的に指揮を執る能力もない。どこにいても〝無能〟と言われ、厄介者のように扱われる――それがブルーノという男だった。

 ちょうどその時期、連合軍の派閥は〝血統主義派〟よりもいわゆる〝実力主義派〟が台頭していた。

 血統主義派というのは、血統や家格だけを重視して指揮系統を決めようとする従来敵な価値観を重んじる貴族連中のことだ。大戦初期はそういう貴族たちがこれまでの価値観に基づいて指揮を執っていたが、もちろん魔族相手に貴族たちの〝戦争ごっこ〟など通用するはずもなかった。

 そのため、血統や家格に関わらず、実力のある者たちが次第に指揮を執るようになった。例え小国出身で、しかも片田舎の中貴族という立場であろうが、戦果さえあれば部隊の指揮を任されるようになったのだ。

 ……反対に、いくら家格が優れていようと、能力がなければの扱いしかされなかった。

「おい、なぜおれが他の野良騎士のような〝ヒラ〟と同じ扱いなのだ!? おれは大貴族だぞ!?」

 ヴァージルは所属部隊が全滅してしまったので、再び新しい部隊に配属された。

 その際、偶然助けたブルーノも同じ部隊への配属となった。しかも同じ待遇での配属だ。

 ブルーノは自分の権力を振りかざして、騎士団を統括する総長に抗議していた。

 その様子を、ヴァージルはあくびをしながら後ろで黙って眺めていた。

「おい、貴様! 何とか言ったらどうだ!? 貴様は確かどこぞの国の中貴族だろう!? 大貴族であるおれよりも家格は下のはずだ!」

「だからどうした?」

「――え? へぶぁ!?」

 ブルーノはいきなり顔面を殴られた。

 そのまま「ぐへえ」と潰れたカエルのように地面にひっくり返る。

 彼を殴りつけた壮年の総長は、とてもつまらない物を見るような目をしていた。

「貴様が大貴族だというのなら、それ相応の働きをしてみせろ。今は無能を肩書きだけで持て囃しているような余裕はない。戦場では実力だけが全てだ」

「こ、この――」

 ブルーノは言い返そうと相手を睨んだが、

「何か文句でもあるのか?」

 逆にじろりと睨み返されてしまって、一瞬で萎縮してしまっていた。

「あ、いえ、別に……何でもないです……はい……」

「ならばいい。おい、そこのお前……確かヴァージル・パーシーだったか」

「え? あ、はい!」

 急に名前を呼ばれたヴァージルは慌てて姿勢を正した。

(このおっさん、何でオレの名前を知ってるんだ……?)

 ヴァージルは少し驚いていた。

 まさか指揮官クラスの人間が、自分のような野良騎士の名前を覚えているなど思わなかったからだ。

 総長はヴァージルの前に立つと、こう言った。

「貴様の奮闘ぶりはわたしも聞いている。これからも期待しているぞ」

「は、はあ」

「戦況はこの先、ますます厳しくなっていくだろう。そうなれば必要なのは肩書きではない。実力だ。例え野良騎士であろうが、戦果を上げればお前にも相応の地位をくれてやるつもりだ。無能にくれてやるような席は一つも余っておらぬからな」

 それだけ言うと、総長はその場から立ち去った。

「お、おのれぇ! あのじじい! おれのことをコケにしやがって……絶対に許さんぞ!」

 相手の姿が消えると、ブルーノは威勢良く気炎を吐き始めた。中々の小物っぷりだ。

「おい、ヴァージル! お前もあまり調子に乗るなよ! 立場が同じとは言え、家格はおれの方が上なんだからな! お前はおれの部下みたいなものだ! 分かったか!?」

「へいへい、分かってますよ」

 まともに相手をするのが面倒だったので、ヴァージルは適当に返事をした。

 ブルーノは「ふん」と鼻を鳴らし、立ち上がって自分でほこりを払った。

「どいつもこいつも……おれのことを馬鹿にしやがって! 今に目に物見せてやるぞ! おれの実力を思い知らせてやるからな!」

「本当に威勢だけは一人前だな、こいつは……」

「何か言ったか!?」

「何でもねえって」

 面倒なやつを助けてしまった――と、この時のヴァージルはつくづくそう思っていた。


 μβψ


「うぎゃー!? 死ぬー!? 助けてくれー!?」

「アホかてめぇは!? 毎度何も考えずに突っ込むんじゃねえよ!?」

「おい、ヴァージル! 早くおれを助けろ! 頼む! いやお願いします! 助けてください!」

 ……ブルーノは戦功を上げようと必死だったが、そのほとんどは無駄に終わった。

 彼の後先考えない無謀な行動の尻拭いは、なぜかいつもヴァージルがやる羽目になっていた。

 もう本当に見捨ててやろうか――何度そう思ったか分からないが、結局、ヴァージルはいつもブルーノのことを助けていた。

 結果的に、ヴァージルはさらに多くの戦果を上げることになった。

 本来ならヴァージル一人でも多くの戦果を上げていただろうが、無茶をするブルーノを助けることで、さらに戦果が増えていったのだ。

 それはヴァージル本人が意図してやっていたことではなかったし、そもそも彼は自分の功績などにはまるで無関心だった。

 彼の目的はメガロスを斃すこと。

 そして、平和になった世界でミオと再会を果たすこと。

 だから、別にブルーノことだってどうでもよかった。

 最初はただ何となく流れで助けてしまっただけだ。

 それが付き合いが長くなるにつれて、二人の間には妙な仲間意識のようなものが芽生えていった。

 最初はヴァージルを平民だと見下していたブルーノも、いつの頃からかそんなことは気にしなくなっていた。

 強いて言うのなら――そう、二人はとてもウマが合ったのだ。

 そして、お互いに悪運が強かった。

 昨日まで普通に会話していた顔なじみが、翌日の朝食の時にはすでに死んでいる。そんなことも珍しくない戦場で、毎日のように顔を合わせている相手に親近感を抱いても、それは何ら不思議なことではなかった。

 最初の出会いから一年が経過する頃には、二人は身分なんて関係ない〝戦友〟のような間柄になっていた。

「おい、ヴァージル。良い作戦を思いついたぞ」

「却下だ」

「まだ何も言ってないぞ!?」

「どうせブルーノのことだから、今が攻めるチャンスだとか言うつもりだろ?」

「その通りだ。分かっているではないか。今がまさに千載一遇の好機! 手柄はおれたちで独り占めできるぞ!」

「別に手柄なんていらねえんだよ、オレは……」

「行くぞ!!」

「って、おい!? 言ってる傍から突っ込むんじゃねえ!?」

「うぎゃー!? 伏兵だ!? これは罠だ!?」

「ちっ、逃げるぞ!」

「ヴァージル!! 助けてくれ!! 腰が抜けて動けん!!」

「おおおい!?!? またかよ!?!?」

 ……そんなことの連続だった。

 そんな中で、ヴァージルは着実に周囲から認められる戦果を上げていった。

 そのほとんどはブルーノの尻拭いのようなものだったが……あるいはそれもまた、彼に与えられた〝天命〟の一つだったのかもしれない。

 彼は誰よりも多くの戦場に立ち、誰よりも多くの魔族を殺し、そして誰よりも強くなっていった。

 たかだか平民……そう言って彼を馬鹿にする者はほとんどいなくなっていた。

 本当に、彼の戦闘能力は桁外れだったのだ。

 もうダメかも知れない――誰もがそう思った時、いつも突破口をこじ開けて部隊を導いたのはヴァージルだった。

 極限の状況下において、絶望のまっただ中に放り込まれて、もう自分ではどうしようもない――そんな状況を目の前でぶち壊していくような男がいれば、きっと誰でも畏敬を抱くはずだ。

 ヴァージルが20歳になる頃、いつからか周囲は彼をで呼び始めていた。

 最初は誰かが冗談でそう呼び始めただけなのかもしれない。

 もしかしたら貴族たちが揶揄するためにそう呼んだだけなのかもしれない。

 けれど、いつの頃からか、誰もが真面目に彼をこう呼ぶようになっていたのだ。


 ――〝勇者〟と。

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