118,前世の話2

 ――大戦が始まってから三年

 ――13歳


 ヴァージルは兵士になっていた。

 その頃、難民からは多くの人間が兵士に志願していた。というのも、難民収容所にいるより兵士になった方がマシだと誰もが考えたからだ。

 兵士になれば飢えない程度には食料が配給される――そういう噂があって、それに釣られた大勢の難民が自ら兵士に志願していったのだ。

 ヴァージルも自ら兵士に志願した。

 だが、それは食料のためではなかった。

 彼は本気でメガロスを斃すことだけを考え、兵士になったのだ。

 食料の噂は本当だった。兵士には必要最低限の食料が配給された。

 ……ただ、戦場での新兵の平均的な生存時間はせいぜい一週間だった。ほとんどの新兵は、一週間を待たずに死んでいく。飢えて死ぬことがなくなった代わりに、今度は戦場で死ぬのだ。どちらにせよ、死が待っていることには変わりはなかったのである。

 平民の兵士など所詮はただの雑用、あるいは肉の壁に過ぎない。死ねば補充すればいいだけのことだ。貴族たちはそう考えていた。

 戦線を支えているのは〝騎士〟だ。

 騎士というのは貴族の軍属のことだ。魔術道具は貴族しか扱えなかったので、平民の兵士は戦闘においてはほとんど役に立たなかった。

 しかし、戦況が悪化してくると、圧倒的に騎士の数が足りなくなってきた。

 そこで、連合軍は兵士の中から魔力のある人間を見つけ出して、騎士として徴用し始めることになる。

 ヴァージルが騎士になったのも、検査で魔力適正を認められたためだ。

 とは言え、騎士になったと言っても、平民上がりの騎士は〝野良騎士〟などと呼ばれて、貴族の騎士とは明確に区別されていた。ただの兵士よりかなり待遇は良かったが、それでも平民であることには変わりなかった。あくまでも、一時的に特例として魔術道具の使用が許可されていただけだ。

 しかし、騎士になったヴァージルは、すぐにその頭角を現していくことになる。

 騎士として必要な基本的な技能――剣術や馬術の基礎を教えられると、彼はすぐに戦力となった。

 彼には類い希とも言える〝戦闘の才能〟があったのだ。

 魔力量についても、彼には恵まれていた。そんじょそこらの貴族より、むしろ魔力量は多いくらいだった。

 彼は次々と戦果を上げた。

 そこにはもう、かつての泣き虫の男の子はいなかった。

 この手でメガロスを斃す。

 そう決めた彼は、ただひたすら戦場で戦い続けた。

 ……だが、貴族たちは彼の活躍を快く思わなかった。

 どれだけ功績を上げても、所詮は野良騎士だ――そう見下して、ヴァージルの実力を正当に評価しなかった。

 それでも別に彼は気にしなかった。

 そんなことはどうでも良かったからだ。

 彼はずっと同じ事だけを考え続けていた。

 ――メガロスを斃す。

 ――そして、ミオと再会を果たす。

 それだけがヴァージルの生きる目的だった。

 そんな時だ。

 彼があの男――ブルーノ・バベッジと出会ったのは。


 μβψ


 ――大戦が始まって6年

 ――16歳


(……友軍は全滅したか。残ったのはオレ一人みたいだな)

 大戦が始まってから6年。

 ヴァージルは16歳になっていた。

 すでに騎士になって二年だ。

 騎士と言っても平民上がりの〝野良騎士〟だったが、すでに彼は真っ当な貴族の騎士よりも多くの戦果を上げていた。

 何を言ったところで、戦場では実力こそが全てだ。貴族の連中がどれだけヴァージルの戦果を妬んだりしたところで、その事実を完全に隠すことは不可能だった。

 今回のようなことも初めてではなかった。

 ただひたすら目の前の敵と戦っていたら、周囲の味方は全滅。生き残りは自分だけ――もう珍しくもない光景だった。

 この頃、ヴァージルはまだ〝勇者〟とは呼ばれていなかった。代わりに〝不死身〟だとか呼ばれていた時期だ。

(さすがにこのまま進軍するのは無理だな。一度後ろに下がるか――)

 単身で進軍するのは無理だと判断したヴァージルは後方に下がることに決めた。

 ちょうどその時である。

「た、助けてくれー!」

 声が聞こえた。

 人間の言葉だ。

 どうやら生き残りが他にもいたようだ。

 ヴァージルは声の出所を探して、その場所へと向かった。

 爆発で出来たであろう大穴クレーターの中に、頭を抱えて縮こまっている男がいた。ヴァージルと同じように重装鎧グラヴィス・アルマを身につけているが、バシネットがないので顔が確認できた。

 いかにも貴族のお坊ちゃん、という風貌の短い金髪の男だった。年齢は自分とさほど変わらないだろう、とヴァージルは思った。

 顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃである。

 ヴァージルが抱いたその男の第一印象は、とにかく情けない男、というものだった。

「おい、大丈夫か?」

 ヴァージルが声をかけると相手はハッと顔を上げ、すぐに縋り付いてきた。

「お、おお! 貴様、おれを救出に来たのか!? でかしたぞ! さぁ、早くおれを連れてここから逃げるのだ!」

 開口一番、随分と偉そうな態度だった。

 ヴァージルは面倒くさそうな顔をした。

(ちっ、貴族のボンボンか。めんどくせーの見つけちまったな……こんな足手まといいたら逃げるに逃げられないぞ)

 見なかったことにしてさっさとズラかるか……そう思っていると、背後に〝気配〟が迫ってきた。

「!?」

 反射的に相手を突き飛ばし、振り返りざまに剣を抜いた。

 火花が散る。

 ヴァージルは寸前のところで、襲いかかってきた魔族の剣を受け止めていた。

 魔族の戦士は、人間の騎士と同じように全身を鎧で覆っている。魔法で生み出された鎧だ。剣も同様である。魔族はあらゆるものを魔法で生み出すのだ。

 一瞬の攻防の後、ヴァージルは魔族の戦士を斬り殺した。

 地面に倒れると同時に、魔法の鎧が消えていく。死ねば魔法の効果が消えるからだ。

 鎧で覆われていた顔が露わになる。

 まだ若い男の魔族だった。

 それを見て、ヴァージルは少しだけ顔を歪めていた。

 両手には、はっきりと相手を斬った感触が残っていた。

(……また、魔族を殺した)

 罪悪感が芽生える。

 これまで大勢の魔族を殺してきたヴァージルであるが、やはりこの後味の悪さは拭いきれないものがあった。

 何度殺しても、慣れないものは慣れない。

 魔族は人間じゃない。殺しても構わない。誰もがそう言うが、その理屈はヴァージルには通じなかった。

 なぜなら、ヴァージルは知っているからだ。魔族が話の通じる相手であることを。そんな彼にとっては、魔族を殺すのは人間を殺すのと大差ないことだった。

 その度に、彼は自分にこう言って聞かせるのだ。

 ――これは戦争だ。

 ――だから、仕方ないことなんだ。

 ――メガロスさえ斃せば……この間違った世界も終わるはずだ。

 彼は己の中に生じる全ての疑問や矛盾を、メガロスに向けることで誤魔化し、自分の手を汚すことをどうにか正当化しようとしていた。悪いのは自分ではない。全てメガロスが悪いのだ。

 メガロスを憎むことで、彼は己の心を保っていた。

 ――この戦争さえ終われば、またミオに会える。それまで耐えるんだ。

 加えて、希望を抱くことで自分を奮い立たせていた。

 自分は今、途方もない悪夢の中にいる。

 けれど、いつか悪夢は覚める。

 そう思うことで、この悲惨な現実を何とか生きてきたのだった。

「い、いたた……おい、何をする!? おれは大貴族だぞ!? もっと丁重に扱え!」

 ひっくり返っていた男が身体を起こした。

 ヴァージルは露骨に面倒くさそうな顔になった。

「ああ、そうですか……では大貴族様、自分はこれで失礼します」

「は? お、おい!? 待て!? どこへ行くつもりだ!?」

「もちろん後方に下がる。こんなところにいたら命がいくつあっても足りないからな」

「なら、おれも連れて行け!」

 と、相手は当然のように命令してきた。

 ヴァージルは溜め息を吐いてから――相手を冷たい目で見返した。

「悪いが、お前のような足手まといを連れて逃げるのは無理だ。逃げたいなら自分で逃げろ」

「な、何だと!? 貴様、それが大貴族に対する態度か!? どうせ野良騎士だろう!? 命令違反でしょっぴくぞ!」

「悪いがお前の相手をしている暇はない。じゃあな」

「ま、待て!?!? 本当に置いていくな!?!?」

 ヴァージルが立ち去ろうとしたら、相手は本気で腰にしがみついてきた。

「すまん、おれが悪かった! もう偉そうにしないから、お願いだから助けてくれ! 助けてくれたら褒美は約束する! 頼む!」

「……」

 貴族の威厳も何もあったものではなかった。いっそ清々しいほどの手の平返しっぷりだ。

 ヴァージルは溜め息を吐いてから、男にこう言った。

「……なら、悪いが今からお前は荷物だ。それでいいな?」

「は? それはどういう――」

 相手の言葉が終わる前に、ヴァージルは男を肩に担いだ。まるで土嚢でも肩に担ぐようにして。

 男はすぐに喚いた。

「おい、貴様!? 何だこの扱いは!? おれはブルーノ・バベッジだぞ!? アシュクロフト王国の大貴族だぞ! もっと丁重に運べ!」

「丁重? お姫様抱っこでもしろってか?」

「んな気色悪いこと誰が頼むか! せめて背中におぶれ!」

「うるせぇなぁ……やっぱ置いてくか……」

「じょ、冗談だ! このままでいい! だから置いていくな!」

「大貴族様ってのは人に対する物の頼み方ってやつを知らないみたいだなぁ……」

「申し訳ありませんでした! どうかわたしを見捨てないでください! お願いします!」

 ものすごい手の平返しだった。

 色々呆れるところはあったが、ヴァージルはその男――ブルーノを無事に後方まで連れて戻った。口では面倒と言いつつ、やっぱり友軍の仲間を見捨てるのは気が咎めたのだ。例えそれが、いけ好かない貴族が相手だったとしても。

 人はそう簡単に変われるものではない。幼少期に比べればすっかり変わり果てたように見えるヴァージルだったが……根っこのお人好しの部分は、まだ残っていたのだ。

 これが、ヴァージルとブルーノ――後に〝戦友〟となる二人の最初の出会いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る