117,前世の話

 以前、ヴァージルはこう言っていたはずだった。

 戦後は田舎に引っ込んで、両親や家族と幸せに暮らして、最期は子や孫に見送られながら人生を終えたのだ、と。

 その話は、わたしにとっても救いとも言えるものだった。

 あの地獄のような大戦の後、こいつが幸せに生きてくれたというのであれば、それは本当に……わたしにとっても、本当にせめてもの心の救いだったのだ。

 けれど、こいつの口から語られた最期というのは、おおよそ幸せとはほど遠いものだった。

「……反逆者? 牢獄? どういうことだ? お前は自らブルーノに功績を譲ったんじゃなかったのか? それで、戦後は田舎で余生を過ごしたと……」

「それは全部嘘だよ。騙して悪かった」

「……わたしが死んだ後、いったい何があったというのだ?」

「色々あったよ。本当に色々と……ああ、でも、結局それはオレに対するむくいだったんだよ。オレは――とんでもない間違いを犯した。この手でお前を殺した。全てはその報いだったんだ」

 ヴァージルは悔しそうな、それでいて泣き出しそうな顔で、自分の両手を強く握りしめていた。

「前世のオレは、ずっとメガロスのことを憎んでいた。戦争指導者である魔王メガロスさえたおせば、もう一度平和な世界が訪れて、そこでミオと再会できるってずっと信じてたんだ。いま思えば滑稽だよな。メガロスはミオのことだったんだからさ。オレはずっと、お前だって知らずに、メガロスのことを憎み続けていたんだ。お前に会いたいと思いながら――この手で、お前を殺したんだ」

 それから、ヴァージルは前世のことを語り始めた。

 まるで、己の犯した罪を告白するかのように。


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「すぐにこの国から逃げるぞ。荷物をまとめるんだ」

 その一言が全ての始まりだった。

 そこから、ヴァージルの平凡だった人生は決定的に変わった。

 ある日、彼の父が血相を変えて家に帰ってきた。真っ先に言った言葉がそれだった。

 もちろん、彼はなぜ逃げるのかと訊ねた。

 すると、父は青いままの顔でこう答えた。

「戦争が起こるかもしない」

 と。

 戦争。

 実感のない言葉だった。

 ヴァージルの一家はすぐにゲネティラから退去した。まだ幼いヴァージルにはどうしようもなかった。彼は退去する直前までミオのことを待ち続けていたが……結局、彼女と会うことはできなかった。次に二人が再会するのは、これから15年後――何もかも取り返しがつかなくなってからのことだ。

 両親の生まれ故郷であるスクラヴィア王国へやってきたヴァージルだったが、彼はここでようやく父が危惧していた言葉の真意を身を以て知ることとなった。

 ゲネティラから退去して三ヶ月が経過した頃、突如として魔王軍がスクラヴィア王国に侵攻を開始したのである。

 そう……スクラヴィア王国は、魔王軍が最初に陥落させた国だ。

 今度は逃げる暇などなかった。

 魔王軍はあっという間に王都に迫り、一晩で王都を焼き払ってしまった。

 その戦火に、ヴァージルや彼の両親も巻き込まれた。

 ヴァージルは運良く助かった。

 だが、両親は命を落とした。

 崩れた家の瓦礫に押し潰され、身動きができないまま炎に飲み込まれたのだ。

 両親の断末魔を忘れたことは一度もない。

 そして、その時ほど己の無力を嘆いたこともない。

 その時のことを、ヴァージルは生涯にわたって忘れることはなかった。

 崩壊したスクラヴィア王国からは大量の難民が発生した。

 ヴァージルもその中の一人だった。

 難民となった者たちのその後は悲惨の一言に尽きた。何とか近隣諸国に逃れても、戦火はすぐに後を追ってくる。ひたすら追い立てられるように逃げ続けた。

 戦火が拡大すればするほど、難民の数は増えていった。

 どこの国も自国のことで精一杯なのだ。他国から逃げてきた人間の面倒など見ている余裕はない。それはどこの国でも同じ事だった。

 難民たちは狭い区画に押し込められた。

 食糧の配給もほとんどない。環境は劣悪の一言に尽きる。

 飢えと感染症で多くの人間が次々と命を落とした。

 誰もが生きるだけで必死だった。

 ……そんな中を、幼いヴァージルは必死の思いで生き延びた。

 そのあまりに過酷な環境は、優しくて思いやるのある少年を変えるには十分過ぎるものだった。

 ――どうして、こんなことになっているのだろう。

 死と隣り合わせの生活の中で、ヴァージルはずっと考えていた。

 まるで毎日が悪夢のようだ。

 自分を守ってくれる人はもう誰もいない。泣いても助けてくれる両親は、もうどこにもいない。泣いても喚いてもどうにもならない。生きるためには、地面を這いずって泥水を啜り、雑草だろうがねずみだろうが、食えるものは何でも食うしかなかった。それが出来なければ、死ぬしかない。

 ――魔族が戦争さえ仕掛けてこなければ、こんなことにはならなかった。

 最初はそう考えた。

 はじめは魔族というものを心から憎んだ。

 ……でも、すぐに冷静になった。

 ミオのことを思い出したからだ。

 全ての魔族が〝敵〟ではない。

 魔族の中にだって、心優しい者はいる。

 ならば、なぜ戦争が起こったのか。

 最終的に、ヴァージルは一つの結論に辿り着いた。

 ――メガロスだ。

 ――全部、メガロスが悪いんだ。

 全ての元凶とされる名。

 人魔大戦を引き起こした張本人にして、諸悪の根源。

 人間社会にメガロスの名はそのように伝わっていた。全ては、この強欲な魔王によって引き起こされたのだ、と。

 魔王メガロスは人間たちが住む豊かな土地を奪おうと考え、戦争を起こした。人間は殺すか奴隷にするか、そのどちらかだ――と。自ら先代の魔王を殺して王位を簒奪し、戦争を始めた独裁者――それが魔王メガロスだ。

 もちろん、これは当時の為政者たちが流布していたプロパガンダでしかなかったのだが……幼いヴァージルは、それを信じてしまったのだ。

 両親が死んだのも、自分がこれほど苦しんでいるのも――そして、ミオと会えなくなったのも、全てメガロスのせいなのだと彼は思った。

 ――メガロスさえいなければ。

 憎悪は募った。

 生きれば生きるほど、メガロスを憎む気持ちはひたすらに募り続けた。

 そして、やがて彼はこう考えるようになっていく。

 ――メガロスさえ斃せば、再び平和な世界がやってくる。

 ――そうすれば、きっとまたミオに会えるはずだ。

 ヴァージルは憎悪と希望を同時に抱いた。

 ――メガロスを斃す。

 ――そして、平和な世界でもう一度ミオと再会する。

 やがて、それがヴァージルの生きる目的になっていったのだった。

 

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