110,突撃と衝突

 ……故郷を奪われた彼らの生涯は、最期の最期まで恥辱にまみれていた。

 ある者は何とかあの大戦を家族とともに生き延びたが、その後に行われた徹底的な掃討戦で自分以外はみんな殺されてしまった。魔族というだけで、女も子供も関係なくみんな殺された。

 ある者は生まれながらに故郷というものを知らず、物心ついた頃には人間の目から隠れ潜むようにして暮らしていた。その者はそれでも家族と一緒にいられて幸せだった。けれど、人間たちに見つかって、目の前で家族をみんな殺された。

 魔族の扱いは家畜以下だった。

 捕まったら嬲り殺しにされ、死体はゴミのように積み上げられ、無造作に穴に埋められた。

 彼らはそんな光景をずっと見てきた。

 奪われた命の数だけ恨みが生まれ、生き残った命がその恨みを背負い続けた。

 どこかに生じた〝責任〟は決して消えることはない。

 必ず誰かが背負う。

 そうやって、膨大な命を背負い続け、彼らはこの場所にたどり着いたのだった。

 帰るべき場所はなく、目の前には憎き〝敵〟がいる。

 ならば後はただ――前に進むしか道はなかった。

 ここには誰一人、〝死〟を怖れる者はいなかった。

 ならばこれは名誉のためかと言えば……決してそうではない。

 彼らを突き動かす原動力はただ一つ。


 ――憎い。

 ――憎い。

 ――ただひたすらに、人間が憎い。


 そう、ただそれだけだ。

 神々の世界アスガルドへ逝けるかどうかなど、実は些細な問題でしかなかった。

 彼らを突き動かしている原動力は憎しみだけだ。

 それだけに……彼らを止めることは、もはや不可能だった。

 憎しみに勝る心の原動力などありはしない。

 軍勢は凄まじい吶喊とっかんを上げながら、更に速度を上げて王都を目指した。


 μβψ


「まだ撃つなッ! 敵が目標地点に達したら合図するッ! それまで待てッ!」

 城壁の上部に待機している騎士たちに指揮官の号令が飛ぶ。

 配置についていた騎士たちは、誰もがアサナトスの軍勢に圧倒されそうになっていた。

 城門の上から見ると、王都のある平野の先にはなだらかな丘陵がある。アサナトスの軍勢は丘陵を超えると、あっという間に辺り一面を埋め尽くしてしまった。

「お、おい。話が違うじゃねえか。何であんなにいっぱいいるんだよ? もうあいつらの兵力はほとんど残ってないんじゃなかったのか?」

 砲撃準備についている騎士の一人が、自分の相方に少し震える声で話しかけていた。

 平射火能カノン砲一門あたり、重装鎧グラヴィス・アルマで武装した騎士が二人充てられていた。

「うるせえ、俺が知るか! とにかく合図がありゃ撃てばいいんだよ! 余計なことは考えるな! 前だけ見てろ!」

「で、でもよ――」

「もうすぐ攻撃地点だッ!! 用意ッ!!」

 指揮官の号令が飛んだ。

 男は慌てて城壁の向こうへと目を向けた。

 アサナトスの軍勢は凄まじい勢いで突っ込んでくる。

 男はじっと合図を待った。

 とにかく、合図がしたら握っているレバーを強く前へと押しやる――それだけが自分に与えられた役目だと、彼は自身に言い聞かせた。

 平射火能カノン砲の上部には発射用のレバーが飛び出している。それを思いきり前にスライドさせることで砲弾が発射される仕組みだ。砲弾が発射されたら、後部に控えている装填手が火能カノン砲の後方ハッチを開けて、再びそこに砲弾を入れ、ハッチを閉じる。ひたすらこの繰り返しだ。

 彼らはじりじりと焼けるような焦燥感を感じながら、じっと合図が来るのを待った。

 やがて、軍勢の先端が目標地点に達した。

「撃てッ!!」

 指揮官の号令が飛んだ。

 一斉に火能カノン砲が放たれる。

 轟音と共に砲身が火を噴き、砲弾が音を超える速さで一気に敵の軍勢へと襲いかかる。

 ほんの一瞬の静寂の後、剛雷のような音が轟いた。

 本当に天から雷が直撃したのではないか、と思えるほどの凄まじい轟音だ。

 爆炎で一気に敵の軍勢は見えなくなり、その様子を見ていた騎士たちは一斉に歓喜の声を上げた。ほとんどの騎士は、実弾を撃ったこと自体初めてだったのだ。

「す、すげえ!? 実弾だとこんな威力なのかよ!?」

「あいつら全部吹っ飛んじまったぜ!?」

「なんだよ、ビビらせやがって! これなら余裕じゃねえか!」

 誰もがそう思った。

 ……だが、次の瞬間、もうもうと立ちのぼる黒煙の向こうから、再びアサナトスの軍勢が姿を見せた。

 誰もがぎょっとした。

 火能カノン砲の一斉砲撃は本当に凄まじい破壊力だったのだ。それこそ、敵の軍勢がみんな吹っ飛んでいてもおかしくないと、誰もがそう思ったほどだ。

 確かに最初の砲撃で最前列にいた戦士はかなり吹き飛んだ。

 もし相手がまともな軍勢であれば、砲撃の威力に怖じ気づいて隊列が乱れていたかもしれない。

 しかしながら、城門にいる騎士たちは本当の意味で理解できていなかったのだ。

 いま、自分たちが相手をしている敵がどういう連中なのか。

 連中がどれほど人間を憎んでいるのか。

 その感情の深さを、誰も理解していなかったのだった。

 の攻撃で、彼らを止められるはずがなかったのである。

「次弾装填急げッ!!」

 指揮官の号令で全員がハッとした。

 慌てたように砲弾を装填する。

「撃てッ!!」

 号令が飛ぶ。

 再び、一斉砲撃が軍勢に襲いかかる。

 爆炎が上がり、地面が抉れ、凄まじい土煙と黒煙が生じる。

 今度こそ――と、誰もが思った。

 けれど、軍勢は止まらなかった。

 黒煙を突き破り、味方の屍を当然のように乗り越えて、むしろ余計に雄々しい吶喊を上げながら驀進してきた。

「う、撃てッ!! とにかく撃てッ!! 連中を城門に近づけるなッ!!」

 指揮官も狼狽えていた。

 彼らは慌てたように、とにかく火能カノン砲を撃ちまくった。

 もはや照準も何も無い。一発撃つごとに照準は反動でズレるので、修正しながら撃つ必要があるが、もうそんなことをしている余裕はなかった。

「な、何なんだあいつらは!? 何で逃げないんだよ!?」

「だから俺が知るかッ! とにかく撃てッ! 撃ちまくれッ!!」

 砲撃の雨が降りそそぐ中、アサナトスの軍勢はひたすら王都を目指して突っ込んでくる。

 砲撃によってかなりの数が吹き飛んだが、生き残った戦士はまったく怯む様子がなかった。

 むしろ吶喊は大きくなるばかりだった。数は減っているのに、増えているのだと錯覚させるほど凄まじくなっていく。

 その光景は城門の騎士たちにとんでもない恐怖を与えていた。どう考えても人間側の方が有利なのに、怖れおののいているのは人間側だった。

 魔族は誰も怯みなどしていない。

 そう、彼らは今も背負い続けているのだ。

 散っていった命の分だけ恨みを背負いながら――ただひたすら、目の前の〝敵〟を殺すためだけに前進しているのだった。

 やがて、砲撃をくぐり抜けた一部の戦士たちが城門に達し始めた。

 城門まで来られてしまうと、平射火能カノン砲では対処ができない。真下に向かって撃つことはできないからだ。

「お、おい!? 城門に来てるぞ!? どうすんだこれ!?」

「だ、大丈夫だ! 城門には魔術防壁があるんだ! 魔法じゃビクともしねえよ!」

 直後、城門が大きく揺れた。

 騎士たちは慌てて近くの物に掴まった。

「な、何だ今のは!?」

「わ、分からん! ただ、何かが城門に――」

 再び、爆発が起きた。

 さらに大きく城門が揺れる。

 騎士の男が慌てて下を覗き込むと――城門に達した魔族たちが城門に向かって一斉に攻撃を開始していた。

 攻撃を受ける度に魔術防壁が稼働する。

 ……だが、魔術防壁にも限界というものはある。魔族たちの一斉攻撃は、明らかに魔術防壁そのものに大きな負荷を与えていた。相殺しきれなかった衝撃が城門を揺らしているのがその証拠だ。敵の大量魔法攻撃が、魔術防壁の想定する魔力負荷上限を大幅に超えているのだ。

「やべぇ!? あいつら城門をぶち壊すつもりだぞ!?」

 騎士の男が悲鳴を上げた。

 指揮官が叫んだ。

「う、狼狽えるなッ!! 下にはすでにテディ様とヨハン様たちが迎撃準備を整えているッ!! 我々はこれ以上近づけさせないよう、連中の後続に砲撃を続けるんだッ!! 少しでも連中の数を減らせッ!!」

 号令が飛び、騎士たちは我に返った。

 彼らは再び配置につき、砲撃を再開した。


 μβψ


 ヨハンはテディと並び、ひたすら城門を睨みつけていた。

 彼らの背後には一個大隊規模の戦力が控えており、全員が完全武装して機械馬マキウスに跨がっていた。

 誰もが本当の〝実戦〟に心の底では恐れを抱いていたが……不思議と、ヨハンは冷静だった。自分自身でも少し驚いているほどだった。

火竜フォティアの時に一度死にかけたせいだろうか……思ったほど手が震えない)

 彼はあの時のことを思い出していた。

 火竜フォティアに殺されかけた時のことだ。

 あの時は、もう本当にダメだと思った。

 どこで情報がねじ曲がってしまったのか分からないが、あの巨大な火竜フォティアをどうやったら幼体と見間違えるのか――とにかく、ヨハンを含めて危うく討伐対は全滅するところだったのだ。

 それをシャノンが救ってくれた。

 颯爽と現れた彼の背中を見た時、ヨハンの脳裏には真っ先にあの言葉が浮かんだ。

 〝勇者〟だ。

 ヨハンには、あの時本当にシャノンが〝勇者〟のように見えたのだ。

 あの光景を見たときから、ヨハンは彼以外に王位を継ぐに相応しい人間はいないと思うようになった。

 王位を継ぐのは正統なる〝勇者〟の後継者だ。聖剣グラムを受け継ぐことができるのは、本当の意味で選ばれし人間だけなのだ。

 ウォルターはその器ではない。政治的な知謀には長けているかもしれないが……それだけだ。〝勇者〟の末裔を名乗るには、ウォルターでは明らかに力不足だ。

(シャノンなら、こんな時に怖れたりしない。逃げたりしない。あの背中に少しでも追いつける男になるには――こんなところで怖れていてはダメだ)

 シャノンはヨハンの目標だった。

 日頃はふざけた態度しか見せないが……あれは本当の彼ではない。

 本当の彼は――本当に〝勇者〟に相応しい男だ。

 ヨハンには、そんな彼に少しでもいいから近づきたいという切実な思いがあった。小さい頃はよく泣いていて、弱虫ヨハンなんて呼ばれていて、周りにはよく呆れられていたものだが……それではダメだと気付かせてくれたのがシャノンだったのだ。

 城門が激しく揺れた。

「来るぞッ!!」

 テディの鋭い声が飛ぶ。

 ヨハンは強く剣を握りしめた。

 立て続けに城門が大きく揺れる。

 やがて、敵の飽和攻撃に耐えきれなくなり、魔術防壁が破壊される。

 すると、大量の魔法攻撃が物理的に城門を吹き飛ばした。

 爆風がヨハンたちに襲いかかる。

 次の瞬間には、黒煙を突き破って魔族の戦士たちが城壁の内部へと雪崩れ込んできた。

 誰もが一瞬怯んだ。

 完全武装したはずの騎士たちは、敵の勢いに一瞬で飲まれそうになった。

 だが――

「全員続けッ!! 敵を殲滅するッ!!」

 ヨハンが先陣を切ったことで、その流れが変わった。

 それに驚いたのはテディだった。今まさに自分が号令を上げようとしたところで、横にいたヨハンが飛び出したのだ。

 思わずニヤリと笑ってから、テディは咆えた。

「全員、ヨハンに続けぇッ!! 我らの力を連中に思い知らせてやれッ!! 魔族など恐るるに足らんッ!! くぞッ!!」

 テディが走り出し、今度こそ全ての騎士が弾かれたように動き出した。

 ……もし最初の時点で相手の気迫に飲まれたままであれば、騎士団は早々に瓦解していたかもしれない。

 どれだけ戦力で勝っていても、士気で負けていれば勝てる戦も勝てはしないからだ。

 動き出した騎士たちがまず目指したのは敵ではなく――真っ先に駆け出したヨハンの背中だった。

 魔族の軍勢と、騎士団が真正面からぶつかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る