111,王の鉄槌
……身体が思うように動かない。
自分の身体が、まるで自分のものじゃないみたいだった。
それでも何とか、顔だけ動かして視線を上げる。
シャノンとマルコシアスが殺し合っているのが見えた。
けれど、どう見てもシャノンの方が押されている。それはそうだ。そもそも、生身で武装したマルコシアスとやり合っていること自体が異常なのだ。人間はそこまで強い種族ではないのだから。
〝黒い手〟が二人の周囲に集まっている。
シャノンが押されれば押されるほど、〝黒い手〟はまるでシャノンを狙うように指先を向けていた。
このままではシャノンが死んでしまう。
「う、ぐ……ッ!」
ダメだ。
それはダメだ。
それだけは、絶対にダメだ。
わたしは――わたしはまた、あいつのことを不幸にしてしまう。
「ぐう……ッ!!」
無理矢理、身体を動かした。
指先を動かすだけで凄まじい痛みに襲われる。でも、そんなことはどうでもよかった。こんな身体など、別にどうなっても構わない。
……わたしは、わたしはまた何もできなかった。
王都の方角から何度も爆音が響いていた。
音がする度、魔力の気配がごっそりと減っていくのを感じる。
それが何度も繰り返された。
かつての〝同胞〟が死んでいく。
……ああ、わたしのせいだ。
また、わたしのせいで大勢の命が奪われていく。
【そう、全てはお前のせいだ】
〝影〟の声が響いた。
【お前にこの争いは止められない。なぜなら、お前自身がこの争いの元凶そのものだからだ。お前の存在が因果を歪めた。お前にできるのは、死ぬ相手を変えることぐらいだ】
面白がるような声で、言葉を突きつける。
その度に心が打ちのめされていく。
「う、ぐう……ッ!!」
あまりに不甲斐なくて涙が溢れた。
どうしてわたしはこんなに無力なのか。
なぜ、わたしのような者が〝魔王〟になってしまったのか。
全部、わたしのせいだ。
わたしが全ての元凶だ。
わたしが戦争を止めてさえいれば……これほどの悲しみはなかったはずなのだ。
わたしのような愚か者が玉座に座ってしまったばかりに、この世界はとんでもない歪みに襲われてしまった。
だというのに、今のわたしになら彼らを止めることができるかもしれない――なんて、どうしてそんな思い上がりを抱いてしまったのだろうか。
結局、わたしはまた何もできなかったじゃないか。
そして――このままでは、わたしはあいつさえ失ってしまう。
もうイヤだ。
もうやめてくれ。
これ以上、わたしの大事な人たちを奪わないでくれ。
「もう、イヤだ……もうやめてくれ……」
あまりに自分が情けない。
泣くことは恥だ。
なのに、どうしても涙が止められない。
わたしは泥と涙で顔をぐちゃぐちゃにしたまま、無様に立ち上がる。もはや王の威厳も何も、わたしには残されていない。ここにいるのは、無力で愚かな、ただの小娘でしかなかった。
わたしにはもう何もない。
その上、あいつさえ失ってしまったら――そんなのはもう、わたしには耐えられない。
……せめて、あいつだけは。
感覚の無い右腕をゆっくりと上げ、魔力を込める。
視線の先にいるのはマルコシアスだ。
〝黒い手〟はすでにシャノンを狙っている。
決着がつくのはもう時間の問題だろう。
ならば――その前に、この手でマルコシアスを殺さねばならない。
「マルコシアス、もうやめてくれ……」
懇願は届かない。
マルコシアスは止まらない。
100年はあまりにも長すぎた。
あいつはもう、わたしの言葉では止められない場所にいるのだ。
100年前に逃げ出したわたしの声など、もうあいつには決して届かない。それが事実だった。
「お、おい!? 何する気だ!? やめろ!?」
シャノンがこちらの気配に気付いた様子だった。
わたしは構わず、ありったけの魔力を右手に込めていく。
いまのこの身体に残された魔力をありったけ使えば、まだ一度くらいは極大魔法が使えるはずだ。
後先考える必要はない。
一発だ。
一発だけ撃てればいい。
それで――シャノンは救える。
マルコシアスを殺すことができる。
「やめ――ぐぁ!?」
よそ見をしていたシャノンにマルコシアスが襲いかかり、吹き飛ばされた。
ごろごろとシャノンが地面を転がる。
両者の距離が大きく離れた。
そこでようやく、マルコシアスがわたしのことに気付いたようだった。
膨れ上がる魔力の気配を脅威と感じ取ったのか、矛先をわたしに変えて突っ込んでくる。
狂ったように咆えながら突っ込んでくるマルコシアスを見ながら、わたしはふと昔のことを思い出していた。
「……なぁ、マルコシアス。覚えているか。わたしが小さかった頃、お前によく肩車してもらったよな」
懐かしい思い出が次々とよみがえってくる。
それは、まるで昨日のことのようだった。
「お前の耳を引っ張ったり、ヒゲを引っ張ったり……でも、お前は怒らなかったよな。お前が怒るのは、わたしが悪いことをした時だけだった。それでも、お前は決して怒鳴りつけたりはしなかった」
マルコシアスがわたしを殺そうと迫ってくる。
シャノンが何か叫んでいる。
でも、わたしにはもう、どちらの声も聞こえない。
魔力を集めれば集めるほど、身体中の感覚が失われていく。
もはや痛みは苦痛ですらなくなっていた。全身を焼かれるような感覚が襲ってくるけれど、まるで他人の身体のことみたいだ。身体の痛みはすでに、わたし自身の痛みではなくなっていた。
極限まで魔力が圧縮されていく。
この魔法は前世でも数回しか使ったことがない。
単純に反動が大きすぎるからだ。
そんなものを人間の身体で使えばどうなるか――考えるまでもない。
けれど……今のマルコシアスを殺すには、もうこれしか方法はない。
「――〝
直後、光の奔流が生まれる。
溢れだした光が、まるで決壊した川の水のように一気に溢れだす。
圧倒的で、そして暴力的な光の渦が、一気にマルコシアスの身体を飲み込んでいく。
その光の中をマルコシアスは突き進んでくる。
鎧が溶け始めても突進を止めようとしない。
自我を失って、本当の獣のように咆え、ただ突き進んでくる。
〝
その姿に、わたしはただ悲しくなった。
マルコシアスは誰よりもわたしの傍にいて、誰よりもわたしを支えてくれて――そして、わたしが誰よりも頼りにしていた相手だ。
ただの忠臣というだけではない。
わたしにとっては親代わりのような存在でもあった。
生まれながらに母を知らず、魔王である父からは、親としての愛情を与えられた記憶はなかった。
もちろん、父のことは尊敬していた。偉大な魔王であると、あのようになりたいと、ずっと思っていた。
……でも、子供として父に縋り付いたり泣きついたりしたことは、一度もなかった。それは許されることではなかったからだ。
その代わりに、わたしの感情を全て受け止めてくれたのがマルコシアスだった。
本当に我が侭ばかりだった。
本当に迷惑ばかりかけた。
……本当に、どうしようもないもないわたしを、最後の最後まで支えてくれた。
「……すまなかった。でも――これで、全部終わらせてやる」
わたしは、さらにありったけの魔力を魔法に込めた。
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