第16章

105,マルコシアス

「シャノン、このまま真っ直ぐ街道を進んでくれ! 連中はその向こうからやって来る!」

「おう、分かった!」

 シャノンが機械馬マキウスを走らせる。

 全力の機械馬マキウスは思っていた以上に速かった。わたしは振り落とされないように、必死にシャノンにしがみついていた。

 やがて、なだらかな丘陵を登り切ったところへと差し掛かる。

 一気に視界が開けた。

 王都そのものは平野に作られているが、その周辺にはいくつもの丘陵が広がっており、更にその向こうには森が広がっている。街道はなだらかにカーブを描きながら丘陵を下り、そして森の中へと続いていく。

「どうする? もうちょい先まで行くか?」

「……いや、いい。ここであいつらを迎える」

 ひょい、とわたしは自分で機械馬マキウスから降りて、地面に立った。

 シャノンも同じようにわたしの横に立ち、空を見上げた。

「ちっ、何だか嫌な雲だな」

「……確かに、昼間だというのに妙に暗いな」

 シャノンの言うとおり、空には分厚い雲で覆われていた。

 まだ日没までかなり時間はあるはずだが、日中とは思えないほど周囲は暗かった。

 ……ああ、頭がふらふらする。

 足元がおぼつかない。

「おい、お前……大丈夫か?」

 気が付くと、シャノンがじっとわたしのことを見ていた。

「……大丈夫だ。多少、気分が優れないだけだ」

「多少って、そんな顔色じゃ――」

「それより、連中が来るぞ」

 わたしがそう言うと、シャノンはハッとしたように森へと目を向けた。

 シャノンも魔力の気配をはっきりと感じているようだった。

 わずかに大地が揺れるのを感じ始める。

 森の木々も大きくざわめき始めた。

 凄まじい数の軍勢だ。森に隠れて姿は見えないが、魔力の気配でそれがはっきりと分かった。

「……おい、めちゃくちゃ数多くないか?」

「そうだな。まぁざっと気配を感じただけでも300以上はいるな」

「おいおい……大軍勢じゃねえか。戦争かよ」

「そうだ。これは――〝戦争〟だ」

 わたしは一歩前に出た。

 その時、軍勢の先頭が森を抜けた。

 森を抜けた魔族の大軍勢は、平野に出た途端さらに速度を上げたように見えた。

 本当に凄まじい勢い――そして、物凄い数だ。

 眼下の景色は、あっという間に魔族の軍勢によって埋め尽くされてしまった。

 そして――その先頭にいるのは、巨大な狼のような魔獣だった。

 わたしには、それがすぐに分かった。

 そいつだけ、とてつもない魔力の気配だ。他の連中とは比べものにならない。他の全ての戦士の魔力を集めても、その化け物には劣る――そう思えるほどだった。

 ……何て禍々しい魔力の気配だろう。

「ば、化け物かよ」

 シャノンも驚いたような声を出していた。

 わたしも同様に驚いてはいたが……それ以上に、とても胸が苦しかった。

 ……こんなに禍々しくて、そして悲しい魔力の気配を、わたしはこれまで感じたことがなかったからだ。

 魔力には感情が交じる。

 いまのあいつは、まるで憎しみの塊のような凄まじい気配を放っていた。

「つーか、あいつらどうやって止めるつもりだ? 全然止まる気配がねえぞ?」

「大丈夫だ。あいつなら――きっと、わたしに気付くはずだ」

 わたしは信じてそこに立ち続けた。

 軍勢はどんどん迫ってくる。

 まるで地震のように地面が揺れ始めた。

「お、おい、もう逃げた方がいいんじゃねえのか?」

「……」

「おい!」

「……見ろ」

「え?」

 焦った声を出していたシャノンが、今度は困惑した声を出した。

 軍勢が止まったのだ。

「……止まった、のか?」

「どうやら指揮官マルコシアスがわたしの気配に気付いたようだ。どれ……行くとするか」

「あ、おい」

 わたしは何とか、自力で歩きだそうとした。

 ……しかし、すぐに視界が歪んで身体がよろけた。

 すぐにシャノンがわたしを支える。

「お、おい。これ以上無茶するな」

「……シャノン、ここからはわたしだけでいい。お前はすぐにでも機械馬マキウスで王都に戻れ。ここまで連れてきてくれただけで十分だ」

「アホか。一人でまともに歩けもしねえやつ置いていけるかよ」

「しかし……」

「お前が連中を止めるんだろ? お前なら何とか出来るんだろ? オレがあそこまでお前を連れて行ってやる。だから――後はお前が何とかしろ」

 シャノンはきっぱりと言った。

 わたしは少しの間、シャノンの顔をじっと見ていた。

 相手も同じように、じっとわたしを見ていた。

 ……これ以上、こいつを巻き込みたくはない。

 でも、こいつの力を借りなければ、わたしはここに来ることもできなかった。

 そして、今はこいつがいなければまともに歩くこともできない。

「……すまない。頼む」

 悩んだ末、わたしはそう言っていた。

 

 μβψ


 こちらがある程度近づいていくと、向こうからも近づいてくる気配があった。

 近づいてくる気配は一つだけだ。

 ……まぁ一つだけと言っても、その一つだけで背後の軍勢並みの気配なのだが。

 巨大な狼が姿を見せた。

 わたしはシャノンから離れ、何とか自分の足で地面に立った。

『――貴様、いったい何者だ?』

 相手が魔族共通ゲネティラ語で話しかけてくる。

 もちろん、わたしも同じ言葉で返した。

『何者だ、とは随分と失礼な物言いだな。このわたしが誰か……お前ならそれがすでに分かっているはずだろう?』

 今だけは全ての痛みを無理矢理押さえつけ、可能な限り堂々とした態度で振る舞った。

 ……正直、視界はチカチカするし、今にも吐いて倒れそうなほど気持ち悪い。

 だが、それでも、わたしは毅然と自分の足で立ち続けた。

『……貴様、本当にいったい何者だ。なぜの気配がするのだ? それに、人間風情にしては随分と流暢な魔族共通ゲネティラ語だ』

 マルコシアスの表情は怪訝そうでもあり、困惑しているようでもあった。

 わたしは自分から名乗った。

『マルコシアスよ、まだはっきりと分からないのか? 随分と薄情ではないか。わたしは〝魔王〟――メガロスなのだぞ?』

『――』

 その言葉を出した途端、マルコシアスの気配が変わった。

 両目を見開いて、じっとわたしのことを見ていた。

 背後でわずかにシャノンが動く気配を感じたが、わたしはそれを軽く手で制した。

『――魔王、だと? 貴様が、か?』

『ああ、そうだ』

『なるほど……そうか、魔王か。それもメガロス様であると――ククク』

 マルコシアスはくぐもった声で笑い始めた。

 かと思えば、急に大きな声で呵々と笑いだした。

『はははッ! これはいいッ! 魔王だとッ!? メガロスだとッ!? こんなに愉快な冗談を聞いたのは100年以上ぶりだッ!! はははッ!!』

 ひとしきり笑ってから、マルコシアスはわたしの目の前に勢いよく爪を突き立てた。

 爪の切っ先が、わたしの鼻先をわずかに掠める。

 顔を上げると、マルコシアスが凄まじい形相でこちらを睨みつけていた。

『――小娘。貴様如きがメガロス様を愚弄するな。次につまらんことを言ったら、そこにいる男共々生きながら八つ裂きにするぞ』

『だが、わたしから〝気配〟を感じているだろう? だから、こうして会いに来てくれたのだろう?』

『確かに、似た気配を感じたような気もした……だが、貴様からは同時に人間独特の邪悪な気配も感じる。そんな貴様がメガロス様であるはずがない。全てはこのわたしの気の迷いだった――それだけのことだ』

『気の迷い、か。だが、わたしには今も分かるぞ。昔のお前の優しい気配がな』

『……なに?』

『なぁ、マルコシアスよ。覚えているか? わたしがよく城を抜け出して遊びに行こうとしていた時のことを。わたしはいつもマルバスに変身させて身代わりにして、それをお前に怒られていたよな。後で一緒になってマルバスも怒られて……今思えば、あいつには本当に悪いことをしたと思っている』

『な――』

 マルコシアスが驚愕の表情を浮かべていた。

 大きな身体が、思わず後ろに下がるほど驚いている様子だった。

『な、なぜ貴様がそのようなことを知っている……?』

『でも、お前は優しかったよな。何があっても、お前は頭ごなしにわたしを怒鳴りつけることはしなかったよな。子供だった時のわたしと同じ目線になってくれて、最後はいつも甘やかしてくれたよな。わたしはな、そんな優しいお前が、本当に大好きだったんだ』

 わたしはじっとマルコシアスを見上げながら言葉を続けた。

『……』

 すると……段々と、マルコシアスの表情が変わり始めた。

 怒りは消え、代わりにそこに現れたのは、本当に信じられないものを見るような顔だった。そこにはわずかに、かつての優しかったマルコシアスの気配が垣間見えたような気がした。

『まさか……本当に、魔王様なのですか?』

 マルコシアスは、わずかに震えるような声を出した。さきほどとはまったく声色が違う。口調も違う。

 その響きに、わたしはとても懐かしい感覚を覚えた。

 思わず涙が出そうになってしまう。

 わたし自身も、この時ようやくこう思ったのだ。

 やっと、本当の意味でマルコシアスと再会できたのだ、と。

『ああ、そうだ』

 わたしは大きく頷いた。

『わたしは正真正銘、本物の〝魔王〟――メガロスだ。久しいな、我が忠臣、マルコシアスよ』

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