106,説得
『……まさか、そんな……いや、でも確かにこのわずかな気配は魔王様のもの――そんなことがあり得るのか――?』
マルコシアスは本当に狼狽えていた。
わたしは思わず笑ってしまっていた
『お前が戸惑う気持ちはわたしもよく分かるぞ。わたし自身、なぜこのようなことになっているのか、さっぱり分からぬのだからな』
『い、生きていらしたのですか……?』
『いや、死んだ。わたしは死んだよ。百年前にな。だが……人間として生まれ変わったのだ』
『生まれ変わった、ですと?』
『ああ。おかげで、自分でも自分が魔族なのか人間なのか、よく分からん状態だ。身体は人間なのだがな……だが、中身は〝昔〟のままなのだ』
『……』
『と言っても、よく分からんよな。わたしもだよ。でも……もちろん、お前とのことはよく覚えているぞ。お前にたくさん怒られたことも、お前にたくさん褒めてもらったことも、お父様に怒られたとき、お前に庇ってもらったことも……もちろん、わたしは全部覚えている。わたしにとって、それらは全てかけがえのない思い出だ。忘れるはずがない。忘れられるはずがない。それらは全て――このわたしの一部のなのだから』
『……』
マルコシアスはまだ信じられない、という顔をしている。
わたしは一歩、マルコシアスに歩み寄った。
『なぁ、マルコシアスよ。少し……話をしよう。それとも、今さらわたしの話など、聞きたくもないか?』
『……いえ、そのようなことはございません』
マルコシアスは頭を振った。
すると、急に大きな身体が小さくしぼみ始めた。
大きな狼のような姿だった身体が、段々と人間のような姿形へと戻っていく。
元の姿に戻ったマルコシアスは、狼だった状態に比べたらかなり小さくなった。それでも、あのテディという大男よりは大きかったが。
『魔王様、お久しぶりでございます』
マルコシアスはわたしの前に
わたしは、ほんの一瞬だけシャノンを振り返った。
視線が合ったシャノンは、わたしに全てを任せると言うように一つ頷いて、剣の柄から手を離した。
それを確認してから、再びマルコシアスと向かい合う。
『ああ、本当に久しいな。まぁ生まれ変わったわたしの感覚ではせいぜい14年ぶりと言ったところではあるが……お前からすれば、それこそ100年ぶりになるな』
『はっ、そうなります。まさか、こうして再び魔王様に拝謁する栄誉を賜ることができるなど、思ってもおりませんでした。本当に――この身に余る光栄なことでございます』
そう言って、マルコシアスは顔を上げた。
その顔には、確かに歓喜の色が浮かび上がっていた。
『そして、こうして我らの前に再びご降臨なさってくださったこと、真に望外の喜びにございます。魔王様さえ復活なされたのであれば、ゲネティラの再興も決して夢ではありません。魔王様がいらっしゃれば、我らと袂を別った同胞たちも、再び一つに集うことでしょう。そうすれば――我々はまだ、人間と戦うことができます』
……マルコシアスは、本当に、心からわたしのことを歓迎してくれているようだった。
暗く辛い闘争の果てに、ようやく一縷の希望を見た――そういう表情だったのだ。
100年。
そう、100年だ。
わたしが死んだ後も、マルコシアスは戦い続けてきた。
それがどれだけ辛く苦しいものだったか……わたしなどには、とても想像できない。
わたしがのうのうと
だから……わたしは、マルコシアスの喜びが、とても心苦しかった。
『……マルコシアスよ。今日、もしかしてお前たちは死ぬつもりだったのではないか?』
『はっ、いかにも』
マルコシアスは即座に頷いた。
迷いは一切なかった。
『今のままでは、そう遠からず、我々アサナトスは人間たちに殲滅されるでしょう。ただ何も成せず、この世界から消え去ることなど、英霊たちが許してくれるはずもありません。そして、我ら自身も、そのようなことは我慢がなりません。真の戦士として最後まで戦い抜いた者にだけ、我らが信奉する〝
『今日、ここで死ぬことが、その正道の果てであった――と?』
『左様にございます』
と、マルコシアスはわたしを真っ直ぐ見ながら、さらにこう続けた。
『ですが――こうして再び魔王様が復活なされたということは、新たな天啓、新たな正道の始まりに他なりません。魔王様、どうか他の同胞たちにもご帰還なされたそのお姿をお見せください。我々は今日より、アサナトスではなく――〝新生魔王軍〟となるのです』
『……新生魔王軍、か。中々悪くない響きだな』
もしゲネティラを再興できるのであれば、それほど素晴らしいことはないだろう。
あの地は、はるか昔から我々魔族の暮らしてきた場所だった。人間たちが我が物顔で、土足で足を踏み入れて良い場所ではない。
あの地を取り返すのは、むしろ魔族としては当然のことだ。奪われたものを取り返すだけのことで、何も間違ったことなどしていない。むしろ我々の行いこそが正しいと言える。
……だが、それを成し遂げるためには、再びまた膨大な血が流れることになる。
わたしは、背後にいるシャノンのことを少しだけ振り返った。
ゲネティラ語で話しているわたしたちの言葉は、恐らくシャノンにははっきりと分からないだろう。あいつがゲネティラにいたのは幼少期だけで、その頃も全然ゲネティラ語は話せなかった。わたしが人間の言葉を話していたから、会話が出来ていたのだ。
再び、マルコシアスへと向き合う。
『……マルコシアスよ。わたしが〝魔王〟として帰還するのであれば、この場は引いてくれるか?』
『はっ、もちろんでございます。むしろ、今日この場で死ぬわけにはまいりません。我々アサナトスが、新生魔王軍の中核となるのですから』
『……そうか』
わたしは頷き、考えた。
……わたしが帰還すると言えば、ひとまずこの場は何とかなるだろう。王都への襲撃は、いったん中止される。
今から王都に突撃したところで、こいつらはただ皆殺しにされるだけだ。向こうは既に万全の迎撃態勢を整えているはずだ。守りを固めた人間の陣地を落とすのは本当に容易ではない。それに王都ほどの規模だ。そこへ突撃したところで、ただ無駄死にしにいくだけだろう。
だが……こいつらはきっと、そうと分かっていても突撃するはずだ。もはや戦って死ぬことだけが残された道であるこいつらにとって、撤退するという考えは微塵もないに違いない。何も出来ずにいつか殺されるだけならば、今日ここで戦って死ぬ方が、戦士にとってはよほど誉れな最期と言えるだろう。
……でも、そんなのはダメだ。
わたしはこいつらに死んで欲しくない。
そして、王都にいる人たちにも死んで欲しくない。
戦って欲しくない。
わたしはどちらでもない。
だから、わたしにとってはどちらも〝敵〟ではないのだ。
この場でうまいこと言いくるめて、アサナトスを引き上げさせることは可能だろう。
しかし、それでは何の解決にもならない。
むしろ、マルコシアスが言ったように、〝魔王〟という存在さえいれば、ここにはいない同胞たちも集められるかもしれない。
戦いから逃れ、身を潜めていた同胞たちも、呼応して再び立ち上がるかもしれない。
〝魔王〟という存在がいれば、それはきっと可能なのだ。
……そして、それは新たな闘争の始まりになる。
二度目の大戦が始まるきっかけになるかもしれない。
それでは、これまでと何も変わらない。
それではダメなのだ。
本当の意味で全てを終わらせるには――ここで、わたしがこいつらを言葉で止める必要がある。
『マルコシアスよ。この場を引いてくれると言うのであれば、わたしは喜んでお前たちの元へ帰還しよう』
『真にございますか!?』
『ああ……だが、それは人間たちと戦うためではない。人間たちとの戦いを――終わらせるためだ』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます