74,偶然

 ……シャノン?

 な、なぜこんなところにこいつが……?

 シャノンの顔を見た途端、わたしはとっさに『まずい』と思ってしまった。

 何が『まずい』のかは自分でも分からなかったが……そういう気持ちが芽生えてしまった。

 

 だから、あんなつまらない嘘まで吐いたのだ。

 だというのに、こんなところでまさか偶然ばったり出会うなど、完全に予想外のことだった。

 嘘を吐いて約束をすっぽかしたのに、たまたま本人と出先で出会ってしまった――そんな罪悪感があった。

 ただ……そう、そこにいるのはシャノンのはずなのだが、気配がいつもとまるで違った。本当にものすごい殺気だったのだ。魔族の上級戦士でもあれほどの殺気を出すのは難しいだろう。もはや別人に見えるほどだった。

「ああ!? 何だ!? おれたちに何か文句でも――」

 男たちが威勢良く振り返った。

 そして、シャノンの姿を見て一瞬で威勢を失った。

 振り返ったら火竜フォティアがすごい顔で自分たち睨んでいた、くらいの感覚だろう。それくらいの迫力はあった。

「……あ、えっと、こちらのお美しい女性は、もしかしてお兄さんのお知り合いの方でしょうか?」

「ああ、そうだ」

 シャノンは頷くと、おもむろに男の懐に手を伸ばした。

 男たちはぴくりとも動けなかった様子だ。まさに蛇に睨まれた蛙と言ったところである。

 シャノンが男の懐から取りだしたのは、一本のナイフだった。どうやら男どもは凶器を隠し持っていたようだ。

 何をするかと思いきや……シャノンは素手でナイフの刃をと折り曲げてしまった。

 男たちの目ん玉が飛び出す。

 そのまま、シャノンは折れ曲がったナイフを男に返した。

 受け取った男が、ナイフの刃に触れて力を込める。もちろん、刃はびくともしない。とても素手で曲げられるような強度ではないはずだった。

「……」

「……」

 男たちはお互いに顔を見合わせ、大量の冷や汗を流し始めた。

「――で、オレのに何の用だ?」

 ギロリ、とシャノンが男たちを睨んだ。

「「も、申し訳ございませんでしたぁーッ!!」」

 男たちは脱兎のごとく逃げていった。

「……ったくよ、本当にいつの時代でもああいうロクでもねえやつがいるもんだな」

 シャノンはすぐに殺気を消して、いつもの感じに戻った。

 それから、わたしに向かって呆れたような顔を向けた。

「お前もなんつー格好で歩いてやがるんだ。ここはパーティ会場じゃねえぞ。場違いにもほどがあんだろ」

「あ、ああ。いや、まぁこれはその……」

 わたしは何と答えればいいのか迷った。

 ……まさかこんなところで会うなどまるで予想していなかった。

 本当にまったく心の準備ができていなかった。

 それでも、わたしは何とかいつも通りに見えるように振る舞った。

「は、ははは。ふむ、それはわたしもそう思っていたところだ。おかげでさっきからずっと周りに見られておるしな。まるで見世物にでもなった気分だったぞ。さすがにこんな服装では目立ってしょうがない」

「服装っつーか、自分の容姿のレベル考えろよな……」

「わたしの容姿がどうかしたか?」

「何でもねえよ。ていうかマジでそんな服着てこれからどこ行くんだ?」

「わたしは今から家に――いや、アンジェリカの家に帰るところだ」

 慌てて言い直した。こいつにはアンジェリカの家に世話になっていると言っていたことを思い出したからだ。

 シャノンは怪訝な顔をした。

「帰る? 歩いてか?」

「そうだ。健康のために歩こうと思ったのだ」

「……」

 シャノンはじとー、と何か言いたそうな目でわたしを見ていた。

 わたしはその視線に、これまでになかった居心地の悪さを感じた。嘘に嘘を重ねている事に対する後ろめたさのようなものがあったからかもしれない。

「……ちなみに今までどこに行ってたんだ?」

「あー……まぁ、ちょっとな」

「何だよ、ちょっとって」

 歯切れの悪い答え方をしてしまったので、シャノンはますますジト目になった。

 このままでは余計に怪しまれると思ったので、わたしは何とか誤魔化すことにした。

「ん? 何だ? もしかして、わたしが男と会ってたかどうかが気になるのか? シャノンくんは?」

「は、はあ!? そんなんじゃねーよ! 別にお前が誰と会ってようがオレには関係ねえし!」

 ちょっとからかうと、シャノンはすぐに顔を赤くして怒った。

 わたしは軽く笑ってから、さりげなく話を逸らした。

「ははは、冗談だ。まぁわたしのことはいいとして……それより、お前何かあったのか?」

 改めてシャノンに訊ねた。

 というのも、シャノンの目元には明らかにクマが出来ていたからだ。寝不足というか、見るからに顔色が悪いのだ。

 だが、それを指摘するようなことを言うと、シャノンは明らかに視線を逸らした。

「……別に。何でもねえよ」

「そのセリフは何でもないやつのセリフではないのだよなぁ……」

 わたしは軽く溜め息を吐いてから、ふとあることに気が付いた。

「ところで……いつも乗り回してる機械馬マキウスはどこだ? 見当たらないようだが」

「え? ああ……今日は乗ってきてないな。考え事しながら歩いてたら、いつの間にかここらへんまで来てたから……」

「……は? 王城からここまで歩いてきたのか?」

 わたしは街並みの向こうに見える王城に視線を向けた。

 王城は大きいので、街のどこにいてもよく見える。が、この位置からはそれなりに離れている。少なくとも歩いたらけっこう時間はかかると思う。

 ぼんやりと歩いてたら来ちゃった――なんて距離ではない。それでも現にいまここにいるのだとすると、本当にこいつはよほど忘我していたようだ。

「……お前、やっぱりなにかあったんじゃないのか?」

「……」

 シャノンは黙った。

 明らかに『何かありました』という顔である。

 わたしは溜め息を吐いた。

 ……様子が変なのは、どうもお互い様のようだな。

 その時、ふとシャノンの指先から血が出ているのに気付いた。

「おい、血が出てるぞ?」

「……え? あ、本当だ」

 自分の手を見て、まるで他人事のようなことを言う。

 ……こいつ、本当に様子が変だな。

「手を貸せ」

「え?」

 わたしは一方的にシャノンの手を取り、軽く手をかざした。

 自分の魔力を照射する。魔力そのものは目に見えないが、すぐに傷口が塞がった。

「ッ!?」

 シャノンが驚いたように手を引っ込めた。

「お、お前、今のは……?」

「ああ、言っとくが〝魔法〟ではないぞ? トマトの実を赤くしたのと同じで、ただ魔力を照射して傷の治りを早めただけで――」

「アホか!? 人前でそんなことするな!? 人間にそんな細かい違いなんて分かんねえよ!?」

 シャノンは急に声を荒げた。

 それはとてつもなく真剣な顔だった。

 あまりの剣幕だったので、わたしはちょっと驚いてしまった。

「……す、すまん。つい」

「――あ、いや。悪い。オレの方こそ……」

 だが、シャノンはすぐに我に返った様子だった。

 お互いに、何故か無言になってしまう。

 ……何か、いつものようにならないな。

 我ながら、少しぎこちなかった。

 それはシャノンも同じだった。

 お互いに、何かが噛み合わない。そんな感覚だった。

 周りに視線を向ける。近くにはちょっとした広場があって、真ん中には噴水があった。あそこのへりなら座って話ができそうだな――と思った。

 本当なら、わたしはすぐにシャノンの前から立ち去るべきだった。

 二度と会わないようにしよう――そう思っていたのだから。

 けれど……こんな見たことのない顔をしているシャノンを放っていくこともできなかった。

「ひとまず、そこの広場で一休みしないか」

「え?」

「わたしも歩き疲れたところだしな……どうだ?」

 わたしが提案すると、シャノンは少し考えるような顔になったが――

「……そうだな。少し、休むか」

 と、頷いた。

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