75,迷い

「……なるほど」

 一通りの話を聞いたわたしは、ひとまず頷いた。

 わたしたちは噴水の傍で並んで座っていた。

 初めは中々事情を話そうとしなかったシャノンだが、わたしがしつこく訊ねると、ようやく口を割ったのだ。

「つまり、ブリュンヒルデがとんでもない嘘を吐いたせいで色々ととんでもないことになっているが、さらにそこへブリュンヒルデにドサクサ紛れに本当に告白されてしまってなんかもう訳が分からん――という感じか」

「……すごいざっくり言うとそんな感じだ」

「ふむふむ……なるほどなぁ……」

 わたしは顎を撫でながら深く頷く。

 そして、内心ではこう思っていた。

 タ、タイミングが最悪だなぁ……。

 わたしはちょっと――いや、かなりブリュンヒルデに同情的な気持ちになった。

 以前、わたしはあいつの思いのたけを実際に聞いている身だ。

 だから後悔する前にちゃんと言っとけよ、と自身の経験からそう言ったのだが……それがよりによってそんな形で伝わることになろうとは、さすがに可哀想としか言いようがなかった。

 いや、まぁそもそもからしてそんな嘘を吐いたブリュンヒルデが悪いと言えばそうなのだが……しかし、内容を聞く限りではあいつだけが悪いわけでもないだろう。

 ようはこの国の貴族社会の色んな事情も複雑に絡み合った結果、そうなったということだ。

「わたしはこの国の事情には疎いからよう分からんが……ウォルターが王位を継ぐのはもう確定なのか?」

「ああ。本人も言っていたが、今日中には正式に発表するみたいだ」

「で、三ヶ月後には戴冠式――じゃなかった、〝戴剣式たいけんしき〟とかいうやつが行われるわけか。なら普通はもっと前に発表するもんじゃないのか?」

「表向きの発表が今日だったってだけで、準備はそれより前からしてるだろうさ。それに、この発表は特に誰も驚かなかった。親父殿も体調が優れなかったし、早めにウォルターに王位を譲るんじゃないかって予想は誰もがしていた。だから、ウォルターもより自分の基盤を盤石にするためにディンドルフ家を取り込もうとしたんだ。そのためにブリュンヒルデとの政略結婚を企てたが――」

「お前がそれを邪魔した、という形になってしまっているわけか」

 わたしがそう言うと、シャノンはガシガシと後ろ頭をかいた。

「そういうことだ。これでオレは完全にウォルターから〝敵〟として見られる羽目になったわけだ。正直、この後あいつが何をしてくるのかと考えると気が滅入る。あいつが王位に就いたら、オレの立場もかなり危ういな。はは、いっそ今のうちに国外に逃げた方がいいかもしんねえな」

 シャノンは力なく笑った。

 色々疲れたような顔だった。

 その顔は冗談半分――だが、本気も半分、というふうに見えた。

 わたしはシャノンに訊ねる。

「お前が逃げるのはいいが……その場合、ブリュンヒルデはどうなるのだ?」

「……まぁ、そりゃあヤバイだろうな。ウォルターは必ず報復するだろう。いくら政略結婚とはいえ、とんでもない恥をかかされたんだ。本気でディンドルフ家ごと潰されかねない」

「それが分かっていて一人だけ逃げるのか?」

「だったらどうしろってんだ? オレにウォルターと真正面から戦え、とでも?」

 シャノンはわたしを見て、大きく肩を竦めた。

「オレはずっと、うまいこと立ち回ってたんだよ。オレは王位なんて継ぐつもりはねえんだ。そんな〝責任〟を背負うのは真っ平ごめんだ。オレはこの人生をお気楽に過ごすって決めてんだよ。最後の最後まで、自分の好きなように生きるんだってな」

「ふむ……まぁお前の人生だしな。お前がどうするかはお前が決めることだ。わたしがとやかく言うことではないが――だが、お前はもっとも肝心なことを忘れているぞ」

「……肝心なこと? 何だよ?」

「ブリュンヒルデの思いにがどう答えるか――お前が考えるべきはそこではないのか?」

「……」

「ウォルターがどうの、王位がどうの……。相手が精一杯、勇気を振り絞ってお前に思いを告げたのだぞ? お前はなぜそれに対してどう応えるか、ということを考えておらんのだ?」

「それは……でも、今はそんなこと言ってる場合じゃ――」

「そんなこと言ってる場合だ、阿呆めが。だいたい、お前にとってブリュンヒルデはそんなにどうでもいい相手なのか? 告白されても全然嬉しくなかったのか?」

「いや、どうでもいいってことはねえが……それに嬉しくないってわけでもないし……でも」

「なんだ?」

 シャノンは非常に困ったような顔をした。

「……オレはあいつのこと、そういうふうに見たことがねえんだよ。お前は知ってるだろう? オレの中身はあいつよりずっと年上なんだ。だからあいつは何と言うか……そういう相手として意識したことは一度もなかったんだ。それに子供の頃からずっと見てるから妹みたいなもんっつーか……なんかそんなんだったんだよ」

 わたしは溜め息を吐いた。ブリュンヒルデと話した時のことを思い出したのだ。

「……それはまぁ、ブリュンヒルデもさぞ苦労しただろうな。だが、あいつの思いは本物だぞ。わたしが断言してやる」

「何でお前が断言できるんだよ」

「実は以前、わたしはあいつからお前に対する思いを聞いたことがある。お前とブリュンヒルデがわたしの家で鉢合わせした時だ。今だから言うが、あの時ブリュンヒルデはわたしに『これ以上はシャノンと関わるな』と実家の権力を振りかざして圧力をかけてきたのだ」

「ああ、やっぱりそうか……何となくそうじゃないかとは思ったが……やっぱり、以前から女の子と急に会えなくなったり連絡取れなくなったりしてたのは、全部あいつのせいかよ」

「ははは。ではないか。いじらしいとも言うべきかな」

「どう考えてもやりすぎだろ……」

「それだけお前のことが好きだったんだろう」

「……」

「シャノン。お前はブリュンヒルデがこのままどうなってもいいと思っているか? ウォルターに報復されて、家ごと潰されて、落ちぶれていく姿を見たいと思うか?」

「それは……」

「現状では、ブリュンヒルデを救ってやれるのはお前だけだ。お前だけがその立場にいる。今できることを全力でやっておかなければ、お前は後々、絶対に後悔するぞ」

「……」

「そもそもだな、お前がブリュンヒルデをどうでもいいと思っているのなら、そんなに迷ってないだろう? とんでもないことしてくれやがったな、と怒って、ウォルターの側について一緒にボコボコにすればいいだけのことだ。お前が立ち回ればそれもできるだろう」

「……」

「迷ってる時点で、お前はあいつを心の中では大事な存在だと思っているということだ。だったら守ってやれ。お前にしかできないんだ。そんでもって、ちゃんと答えも出してやれよ。でないと、さすがにあいつが可哀想だからな」

「……お前、やけにあいつの肩を持つな」

「ま、あいつのことはあまり他人事ではないからな……」

「……? どういうことだ?」

「いや、こっちの話だ。気にするな」

「……オレにしか出来ない、か」

 シャノンは何やら考えるように黙り込んだ。

 わたしはとりあえず、何も言わずにただ横に座っていた。

「……なぁ」

 しばしあってから、シャノンが口を開いた。

「ん? どうした?」

「ちょっとさ、あそこまで行かねえか?」

「あそこ?」

 シャノンが指差したのは、この付近でもっとも高い場所――城壁の上だった。

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