76,悪寒

「城壁の上? おお、別に構わんぞ。なんかよう分からんが、行きたいならちゃっちゃと行くか」←さっきの自分


「ぜい、はぁ……ッ! ひ、ひふう……ッ! ヴォエ!」←いまここ


 し、しんどッ!!!!!!!!!!!!!!!!

 わたしは死にかけていた。

 いや、わりと大袈裟ではなく。

「……悪い、お前って思ってた以上に体力なかったんだな」

 シャノンに申し訳なさそうな顔をされた。

 シャノンが城壁の上まで行かないかというので、わたしたちは階段を昇っているところだった。

 王都を囲む城壁はかなり巨大だ。ただ暮らしているだけなら、この城壁はただの〝壁〟でしかないのだろうが、こうして中に入ると、これ自体が大規模な建造物なのだということがよく分かる。

 ……いつも漠然と高い壁だなぁ、とは思っていたが……こうして実際に階段を昇って上を目指すと思っていた以上の高さだった。

「ふ、ふん。こんなドレスだから動きにくいというだけだ。疲れてなどおらぬわ」

 わたしは強がった。本当は死にそうだけど顔には出さないようにした。

「というか今さらだが、ここは勝手に入ってもいいところなのか? 随分と厳重な警備だったが……」

 さすがに城壁の内部には誰でも入れるわけではないのだろうと思う。出入り口は騎士が立っていて、それなりに厳重な警備だった。まぁそれもシャノンの王子権限顔パスですんなり入れてしまったのだが。

 シャノンは得意げな顔をした。

「オレは王子だぞ? この国で好きに行けない場所はねえんだよ」

「とんでもないやつが王子になったなこの国は……というか、この上に何かあるのか?」

「いや、まぁ単に高い場所に行きたいってだけだ」

「ああ、馬鹿と煙は高い場所が好きという不治の病気アレか……」

「う、うるせえ。何となく高いところからの景色を眺めたい気分なんだよ」

「王城からいつも眺めとるだろう?」

「王城じゃお前と一緒に眺められないだろうが」

「え?」

「あ、いや、何でもない! 今のは気にするな!」

 シャノンは慌てたように誤魔化した。

 わたしは思わずにやりとしてしまった。

「あ~、なんだそういうことか。わたしと二人きりで景色を眺めたかったのか。だったら初めからそう言えばいいものを……」

「ちげえよ! さっきのは言い間違いだ! と、とにかく行くぞ!」

「いや待て。その前に少し休憩させてくれ。ちょっと疲れた……」

 わたしはいったん、その場に座り込んだ。さっきはちょっと強がったがやっぱ無理だ。

 思わず溜め息が出てしまう。

「くう、情けない……魔王ともあろう者が、この程度の階段で音を上げるなど……」

「あー……何だったらおんぶしてやろうか?」

「阿呆。魔王がそんな情けないことできるか。そんな恥ずかしい真似されるくらいなら、魔力で身体強化してでも登って――」

「いや、それはやめとけ。また前みたいになるだろ?」

 わたしは手足が千切れるほどの痛みを思い出した。

「……そうだな。まぁあれは最後の手段として取っておくか」

「ほら、無理すんなって。オレが言い出したんだし、オレが責任持っておぶってやるから」

「いや、いらん。登る。自分で登る。ぜーったいに登る」

「頑固だなこいつ……」

 シャノンは溜め息をついてから、

「……おぶられるのが恥ずかしいなら、せめて手くらいは引っ張ってやろうか?」

 と、わたしの前に手を差し出してきた。

 ちょっとぶっきらぼうな言い方だった。視線もちょっと逸らしていて、ちゃんとこっちを見ていない。

 まるで料理を褒めた時みたいな感じだ。

 これはこいつが照れ臭い時にするやつだ。

 わたしはあまりに分かりやすい表情にちょっと笑ってしまった。

「な、何だよ」

「いや、別に何でもない。そうだな、手くらいは引っ張ってもらっても――」

 わたしは立ち上がり、手を伸ばした。


 ――その瞬間、わたしはどこからともなく、急に凄まじい〝悪寒〟を背中に感じたような気がした。


 ハッとなって、思わず背中を振り返った。

「……あ、あれ?」

 何も、無かった。

 すぐに周囲も確認した。

 シャノンの背後や足元にも素早く視線を巡らせる。

 だが――〝黒い手〟なんて、どこにもなかった。

「どうした?」

 気が付くと、シャノンが不思議そうにわたしを見ていた。

 わたしはしばし呆然としていたが、

「……いや、何でもない。大丈夫だ、自分の足で昇る」

 そう言って、シャノンの手は借りず、自分の足で再びのぼり始めた。 


 μβψ


「ぜい、はぁ……! ぜい、はぁ……! やっと着いた……ッ!」

 わたしは自力で登り切った。

 登り切った場所は、ちょっとした展望台のようになっていた。屋根はなく、凸凹した壁に囲まれている。

 城壁の上部は通路のようになっていて、左右が凸凹した鋸壁きょへきによって囲われていた。

 わたしたちがいる場所は、城壁の上でもっとさらに上に向かって突き出している部分だった。

「ここは何をするところだ?」

「ここは見張り台だな」

「見張り台? ここで何を見張るんだ?」

「そりゃあ、〝敵〟からの攻撃だ。特に空からの攻撃だな。魔族には騎竜兵って連中がいるだろ? 人間には未だに空を飛ぶ技術がないからな。空からの攻撃はもっとも警戒しなきゃならないっつーわけだ」

「そのわりに〝見張り〟がおらんようだが……」

 そう思っていると、ちょっと影になっているところで座り込んで眠りこけている男がいた。どうやらあれが〝見張り〟のようだ。

「……おい、見張りが寝とるぞ?」

「ま、それだけ現代が平和ってことだ」

 シャノンは眠りこけている男に近づいて声をかけた。

「おい、起きろ」

「……はえ?」

 男が目を覚ました。シャノンよりは年上だが、そこまで歳でもない。しばしぼうっとしていたが、ようやく頭が冴えてきたのか、男は目を剥いてすぐに直立不動となった。

「こ、ここここれは殿下!?!?!? も、申し訳ございません!!!! こ、これは別に居眠りをしていたとかではなくですね――」

「ああ、いい。気にするな。別に見回りに来たんじゃない。それより、ちょっとだけこの場から席を外してくれないか?」

「え?」

 シャノンが軽くわたしの方を振り返る。

 すると、慌てていた男の顔が段々と『あー、そういうこと?』という感じに変わっていった。

 ……なにやら変な方向に解釈されている気がするな。

「なあに、ちょっとだけ席を外してくれたらいい。居眠りのことは不問にしてやるから。な?」

 そう言いつつ、シャノンは男に何か握らせた。金貨みたいなのが見えた気がする。

 〝何か〟を握らされた男は、すぐに愛想のいい笑みを浮かべ、騎士の敬礼を行った。

「了解しました。それでは自分は他の場所の見回りに行って参ります」

「おう。ゆっくりでいいぞ」

「はっ。殿下もごゆっくり」

 男がほくほく顔で立ち去っていく。

 わたしは思わずシャノンにジト目を向けてしまった。

「……悪い王子だ。悪い王子がここにいるぞ」

「オレは別に何もしてない。相手が気を利かせてくれただけだ」

 シャノンは肩を竦めた。まったく悪びれた様子はない。

 わたしはやれやれと思いつつ、先ほどから気になっていたことを訊いた。

「しょうがないやつめ……ところで、あそこにある大きな丸い部分は何だ? 筒みたいなのが飛び出しているが」

 見張り台から見ると、城壁には定期的に内側に出っ張りのようなものがあって、そこには必ず筒の伸びた半円形の構造物が設置されていた。けっこうな大きさだ。中に人が入れるくらいの大きさは余裕である。

「ああ、あれは〝火能カノン砲〟だな」

「あれが火能カノン砲なのか? 近くで見るとこんなに大きかったのか」

 火能カノン砲のことはわたしも知っている。大戦時から人間が使っている魔術兵器だ。魔法で言うならば、大威力、長大射程の〝火球ヴォリーダ〟を生み出す兵器とわたしは認識している。

「あれは戦場で使うような、移動可能な野戦砲とは違うからな。大型化された固定砲台だ。具体的に言えば〝対空火能カノン砲〟ってやつだ。あれは基本的に空からの敵を撃ち落とすためにある」

「つまり対騎竜兵用の兵器か。大戦時にもそのようなものはあったな……」

「そもそも対空兵器化された火能カノン砲が開発されたのは大戦時で、開発された理由が騎竜兵を撃ち落とすためだからな。現代でもそうだが、人間には空を飛ぶための手段がない。あれは今でも、騎竜兵に対抗するための唯一の手段だ。つってもまぁ、この王都に敵が来たことはねえから、配備されてから一度も使われてねえらしいけど」

「あっちにも似たような物があるが、あれは違うものか?」

 城壁の上には、他にも王都の外側に向けて配置されている火能カノン砲らしきものがあった。そっちは空を向いておらず、筒の先は王都の外側に向けられている。そもそもからして大きさも全然違う。そっちに関しては本当にただの『土台がついた筒』だった。

「あっちは平射火能カノン砲だ。まぁ基本的には野戦砲と同じだが……あれも固定砲台の一種だからそれなりに口径はでかい方だぞ。あいつは対空兵器とは違って、地上から攻めてくる敵に向かって使うもんだ。ま、あれも配備されてからは一度も実戦では使われてないって言われてるけどな」

「……まぁ確かに、この国は前線からかなり遠かったからな」

 アシュクロフト王国はゲネティラの領土からはかなり遠かった。魔王軍がもっとも勢力圏を広げたのは大戦初期だが、それでも魔王軍はここまでは到達していなかった。ここはあの当時の前線から見れば本当にかなり奥に位置しているのだ。

 確か魔王軍の進軍が止まったのは、人間側が騎竜兵に対抗する手段を得てからだと記憶している。〝連合軍〟が結成されて間もなくだったはずだ。人間は様々な魔術道具を生み出すが、空を飛ぶための乗り物や道具は存在していなかった。その点、騎竜兵を擁する魔王軍は、開戦当初はかなり有利だったのだ。

 しかし、人間側はすぐに騎竜兵を撃ち落とす兵器を生み出した。それが戦場に出てきてから、魔王軍は進軍が止まり、やがて攻め込まれる側となっていった。

 ……つまり、あの大きな対空兵器こそが我々を苦しめたその原因というわけだ。

「なら、もし〝今〟からこの王都を攻めるとすれば、まずはあの対空火能カノン砲を破壊する必要があるということだな。騎竜兵が自由に動けるなら、現代でも相当な戦力にはなるだろう」

 わたしがそう言うと、シャノンは頷いた。

「まぁそうだな……今もまだ空を飛ぶ技術は出来てねえからな。定期的に有事を想定した訓練はしてるみたいだが、実戦を一度も経験してない騎士連中がすぐに動けるとも思えねえからな。対空火能カノン砲が稼働する前に破壊すれば案外、王都の攻略は楽勝かもな」

「おいおい、わたしにそんな話をしてもいいのか? わたしがその情報を元にこの王都を攻めるかもしれんぞ?」

 わたしは冗談めかして言った。

 いつものこいつなら、わたしを危険な魔王の生まれ変わりとして〝警戒〟するはずだが……しかし、この時はそのような素振りはなかった。

 それどころか――シャノンはこんなことを言った。

「それならそれで、別にいい」

「え?」

「オレは別に、こんな国が滅んでも……何とも思わない」

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