77,故郷

 シャノンは淡々と続けた。

「この国の人間たちはみんな、アシュクロフト王国が今みたいにでかくなったのはブルーノのおかげみたいに言ってやがるが……そもそもこの国が豊かになったのは戦時特需のおかげだ。前線から遠かったこの国は、自国を危険に晒すことなく、兵器を大量生産してそれを売りまくった。その頃にアホみてぇに金を蓄えたから豊かになって、その後の戦後景気でさらに成長した。それまで稀少鉱物だった魔石が井戸の水みたいに涌いて出てくるようになったんだからな……でも、いくら魔石が出てきても、それを加工するための設備がなきゃ意味がねえ。戦後、それだけの大規模施設が残っていたのはこの国くらいだ。ようするに、この国はあの大戦のおかげで大国になったようなもんだ。でなきゃ、ここまででかい国にはなってねぇ……ブルーノが王にならなくても、この国は今みたいな大国になってただろうよ」

「……」

 シャノンの表情は何だかとても複雑なものだった。

 以前、こいつは自分からブルーノという男に功績を譲ったと言っていたが……とてもそういう感じには見えなかった。

 ブルーノという名前が出た時、こいつの声には確かに負の感情が表れていた。怒りとか憎しみとか、そういう類いの感情だ。

「……この景色は全部、ゲネティラから奪ったもので造られているんだよ。いま、この世界が争いのない豊かな世界になったのは――全部、ゲネティラを滅ぼしただ」

 シャノンは遠くを見るような目で、王都の街並みを眺めていた。

 わたしも同じように、王都の街並みへと目を向けた。

 かつてのゲネティラの王都をはるかに超える巨大な都市。

 ……本来であれば、わたしはこの景色を憎むべきなのだろう。

 〝魔王〟として、持てる力の全てを以て、我々から奪ったものをここから取り返すべきなのだろう。

 でも……わたしの心には、そんな感情はまったく芽生えなかった。

 わたしの心の中にあったのは――かつて、ヴァージルと二人で見ただけだった。

 二人で〝約束〟をした丘。

 あの時も、こんなふうに日が沈む直前のことだった。

 山々の稜線がはっきりと、黄金の光の中に浮かび上がっている。燃えるような黄金色が、全てを満たしている。

 ……ああ。

 懐かしい光景だ。

 わたしの目には、はっきりとかつてのゲネティラの姿が浮かび上がっていた。

 先祖代々、長きに渡って続いてきた魔族たちの国。

 先代魔王の父上や、先々代魔王のお爺様、そして幾人もの魔王たちが守り続けてきた場所。

 ……そして、わたしが守らねばならなかった場所。

 いま、魔族たちの故郷はこの世界のどこにも存在しない。

 我々の大地は人間たちの領土になり、魔石鉱床として分割統治されていると聞く。

 そこにはもう国はないのだ。

 千年以上続いてきた魔族の営みは、もうあの場所にはない。

 どこにもない。

 魔族の帰る場所は……もう、この世界のどこにもないのだ。

 そのことは悲しい。胸が張り裂けるほど苦しい。

 でも、その気持ちが裏返しになって、この景色を憎むような気持ちを持つことは――不思議と、わたしにはできなかった。

 仮にここが魔族から奪ったもので作り上げられたのだとしても、この街は、この街に住む人々にとっての〝故郷ゲネティラ〟なのだ。

 ここで生まれ、ここで育ち、ここで死んでいく人間たちにとって、ここはかけがえのない場所なのだ。さきほど見かけた親子のような、多くの〝普通〟の人々がここには暮らしている。

 であるのならば、わたしには憎めない。

 恨むこともできない。

 だって……わたしが心の奥底で見ている〝故郷この〟の景色を、この街の人々も見ているのだから。

 人間も魔族も、相手が知らない他人なら簡単に殺すことができる。〝敵〟と決めつけて、ただ殺せばいいのだ。

 でも……知っている相手なら、心を通わせた相手なら、どうだろうか。人間と魔族という種族の違いがあっても、そう簡単には殺せないのではないだろうか。

 ここにいる無数の人々は、わたしと同じだ。

 いや、わたしだけではない。全ての魔族と、全ての人間は、何ら変わりない。同じ事で笑い、同じ事で悲しむことができる。言葉も理屈も、感情も通じ合える。

 わたしは、この街並みにかつての〝故郷〟の姿を重ねて見ていた。であるならば、憎めるはずもなかった。

 ……どうして世の中うまくいかないのだろうな。

 だって、人間も魔族も、みんなただ〝故郷〟を守りたかっただけのはずなのに。

 それが、どうしてあんなにも血を流すようなことになったのだろう。

 戦う必要などあったのだろうか。

 戦わない道はどこにあったのだろうか。

 どうしてわたしは――その道を、見つけることができなかったのだろうか。

「……なぁ」

「……ん? 何だ、シャノン?」

 シャノンは遠くを眺めながら話しかけてきた。

「お前はさ、オレはどうすべきだと思う?」

 こちらを向かぬまま、シャノンは続ける。こいつがその目に何を見ているのか分からないが……その視線は、何だかとても遠くを見ているような目をしていた。

 シャノンが言っているのは、恐らく先ほどの話のことだろう。

「さっきの話の続きか? おいおい、それをわたしに聞いてどうするつもりだ? わたしがそうしろと言えば、お前はそうするのか?」

「……オレは、ブリュンヒルデの気持ちには応えられない」

 シャノンはぼそりと言った。

 なぜ応えられないのか、ということは言わなかった。

 ただ、そう言った時のシャノンの顔は、どこか寂しそうでもあり、苦しそうでもあった。

 そんな顔のまま、シャノンが顔を上げてわたしに目を向ける。

 ……それは何だか、縋るような視線にも見えた。

 いつも言いたいことがあったらすぐに視線を逸らすのに、この時のシャノンは、なぜかじっとわたしのことを見ていた。

「……オレは、戦うべきなのか?」

「……」

 わたしはすぐには答えなかった。

 いや、答えられなかった。

 答えを探すように、街並みに目を向ける。

 燃え上がるような黄金色の夕陽を見ながら、わたしはかつての記憶を思い返す。

 ……戦争を止められなかったことをわたしは生涯悔いた。そして、一度死んでからも尚、そのことを悔い続けている。

 戦わない方法がどこかにあったはず――そのことを考えない日はなかった。

 どんな手を使ってでも、戦うことだけは回避せねばならなかった。その思いは今も強く後悔の念としてここにある。

 気が付くと、わたしはシャノンに向かってこう言っていた。

「いや、戦う必要はないだろう」

「……え?」

 シャノンは虚を衝かれたような顔をしたが、わたしはすぐに言葉を続けた。

「勘違いするな。ブリュンヒルデを放っておけという意味ではないぞ。確かに現状のままなら、お前はウォルターと真正面から対峙することなるだろうが……戦わずに済むに越したことはあるまい。戦わずに全てが丸く収まる方法を考えるのだ」

「考えろって、そんな簡単に言うなよ……ウォルターのやつめちゃくちゃキレてたんだぞ? あれはもう今さらどうにもなんねえよ」

「かもしれん。だが、それをのはお前しかおらんのだ」

「……」

「後でああしておけば、こうしておけば――と、悩んでもどうにもならん。諦めるのなら、いま出来ることを全部、全力やってから諦めろ。それに、ブリュンヒルデのことが本当にどうでもいいなら、そんなに悩んでもいないだろう。どうにかしてやりたいんだろう? だったら全力でどうにかしてやれ。仮にあいつの気持ちに応えられないのだとしても……後悔が残るようなことだけはするな」

「……後悔、か」

「元とはいえ〝勇者〟だろう? お前なら出来る」

「勇者――か。仰々しい呼び名だな」

 わたしは発破をかけたつもりだったが――シャノンは、急に皮肉な笑みを浮かべた。

 その瞬間、わたしはシャノンの気配が少し変わるのを感じた。

 何がどう変わったのか、うまく言葉では言い表せなかったが……何となくそう感じたのだ。

 それは本当の意味で――わたしがシャノンの〝仮面〟に隠れていた素顔に触れた瞬間でもあった。

「何が勇者だよな、まったく。オレは……結局、守れなかったんだ。

「……いちばん守りたかったもの?」

「ああ、そうだ」

 シャノンがわたしを見た。

 はっきりとわたしの目を見ていた。

 その視線に、わたしはなぜかドキリとした。

 なぜなら、その顔が、わたしにはどうしてか、再び在りし日のヴァージルと重なって見えたのだ。泣きそうな顔でこっちを見ている、あの泣き虫の顔だ。

 いまのシャノンも同じだった。

 なぜか、こいつは本当に泣きそうな顔でわたしを見ていたのだ。

「オレが前世で、いちばん守りたかったのは――」

 シャノンが口を開いた。

 一歩、こちらへ踏み出そうとする気配を見せた。

 ……その瞬間、わたしは肌が粟立つほどの寒気を感じた。

 ついさきほど感じた悪寒の比ではない。

 一瞬、視界がブレた。

 まるで視界全てがノイズに覆われたようになって――そして、晴れた。



 すると、この目にはっきりと――〝黒い手あれ〟が見えたのだった。

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