73,平和な時代

「……ふむ。こうして街中を歩くのも思えば久々だな」

 わたしは王都の街中にまでやって来ていた。

 以前は定期的に街中に来て、市場などへ買い出しに来ていたものだが、シャノンめしを食うようになってからはしばらく来ていなかった。

 アシュクロフト王国の王都はかなり大きな都だ。

 元魔王としては認めたくないが、かつてのゲネティラの王都よりもはるかに巨大だ。

 人の数も、とにかく多い。大通りは行き交う人で溢れかえっており、馬車もひっきりなしに走り回っている。

 平民は魔術道具の使用が認められていないので、こうして街中に来ると本物の馬を見る機会が増える。たまに機械馬マキウスが牽く馬車の姿もあるが、あれは街中を移動している貴族だろう。カーゴの装飾からして違うので見ればすぐに分かる。

 王都全体は巨大な城壁によって囲われているが、この城壁こそがこの王都でもっとも巨大な建築物と言えるかもしれない。

 元々はもう少し低かったそうだが、大戦のころに増築を繰り返して今のような巨大な壁になったそうだ。

 しかも、王都は過去に何度か都市そのものが拡張されているそうで、現在の王都内には旧城壁と呼ばれているものがまだ残っている。現在の城壁は将来のことを見越してかなり広めに空間を確保して建築されたそうだが、すでに現在の王都は城壁のぎりぎりのところまで都市を広げている。まるで最初からこういう都市だったかのようだが、現在の規模になるまではかなり長い年月がかかって構築されていったという話だ。

 ……にしても、さすがにこんな格好で街中を歩いていると場違いだな。

 わたしは改めて自分の姿を見た。

 黒いドレスのままだ。

 なぜこんな格好で街中をウロウロしているのかと言うと、わたしはさきほどまでヨハンと一緒に演劇を見たり食事をしたりしていたからだ。

 で、ヨハンとはさきほど分かれて、わたしは一人で街中を歩いているところだった。

 ……距離を考えれば、まぁ歩いて帰れない距離でもないから大丈夫だろうと思ったが……周りから見られることを考えてなかったな。

 さっきから、すれ違う人々は必ずわたしの方を見てくる。中にはぎょっとしていたやつもいたくらいだ。まぁこんな場違いな服装で歩いているのは確かに驚くかもしれないが、そこまで驚かなくてもいいと思う。

 やっぱりヨハンに馬車で送ってもらえばよかったかもしれない。

 と、今さら思ったりしているところだ。

 ……でも、そうすると家に着くまでヨハンと馬車の中で二人きりになってしまうからな。

 、また二人きりになる――というのは、さすがにわたしでも気まずいからな。

「ねぇ、お母さん。今日の晩ご飯はなに?」

 ふと、視界の端に子供の姿が見えた。

 小さな女の子だ。その子は、母親であろう女と手を繋いで歩いていた。

 母親が笑みを浮かべながら答える。

「そうねえ……フリーダの食べたいものにしようかしら」

「本当!? じゃあ、わたしシチューがいい!」

「分かったわ。じゃあ、今夜はシチューね」

「やったぁ!」

 女の子が嬉しそうに少し飛び跳ねている。

「……」

 わたしは何となく立ち止まり、遠ざかっていく親子の姿を眺めていた。

 ……〝今〟は、あれが当たり前の風景なのだよな。

 きっとここにいる誰もが、明日という日が当たり前にやってくるものだと思っているのだろう。

 それが平和ということだ。

 楽しそうに走って行く子供たちの姿もあった。

 わたしはそんな彼らの姿に、かつての自分の記憶を重ねていた。

 そして、ふとこんなことを思ったりもした。

 あの頃のわたしは、こんな日がずっと続いていくのだと信じていた。

 ここにいる彼らもそうだろう。

 であるならば――ここにある平和も、いつか唐突に失われてしまったりすることがあるのだろうか。

「おい、そこの女」

「ん?」

 そんなことをぼんやりと考えていると、何やら声をかけられたような気がした。

 振り返ると、ガラの悪い二人組がいた。

 見るからにチンピラだ。チンピラと聞いて思い描くそのままのチンピラがそこにいた。

 そいつらの顔を見た途端、わたしは溜め息をつきたくなった。

 ……ま、いつの時代にもこういう連中はいるものだよな。

「うお、やっぱすげぇ美人じゃねーか」

「おい、大丈夫か? こいつもしかして貴族じゃねえのか? 貴族に手出してもロクなことねえぞ」

「貴族がこんなところ一人で歩いてるわけねえだろ。どこぞの金持ちの世間知らずのお嬢様だろうさ」

「まぁ確かに……それもそうだな」

 二人組はわたしを見ながら何やら話し合っていた。

 それから二人で頷き合って、改めてわたしに近づいてきた。

「姉ちゃん、そんな格好でこれからパーティでも行くのかよ?」

「それとも、そんな服着て男に声かけられるの待ってたのか?」

 男共はニヤニヤしながらわたしに迫ってきた。

 見るからに低俗な連中だ。相手する価値もない。

「悪いが貴様らと遊んでいる暇はない。ではな」

 横を通り過ぎて行こうとした。

 すると、腕を掴まれ引っ張られた。

「おっと、そうつれないこと言うなよ」

 ぐっ、と男が手に力を込めた。

 顔はさきほどのようにニヤついたままだが、少し凄むような気配を見せた。

「いいから、ちょっとだけ遊ぼうぜ。なに、ちょっとだけでいいんだ。ほんのちょっと遊んでくれたらおれたちも満足するから。な?」

「そうそう。だからちょっと、まず人気の無いところで話しようぜ?」

 と、二人は揃って下卑た笑みを見せた。

 わたしは溜め息をつきたくなった。

 ……やれやれ、大人しくしておれば見逃してやったものを。

 まぁしょうがない。わたしに声をかけたのが運の尽きだったということだ。少しの間そこらへんの地面で寝てもらうことにしよう。

「――てめぇら、そこで何してる」

 と、そこで男たちの後ろから声が響いた。

 その声を聞いた瞬間、わたしは皮膚の表面がざわりとした。それほど声に殺気が籠もっていたからだ。

 思わず身構えそうになってしまったが、相手の顔を見てわたしは思わず「え?」と虚を衝かれてしまった。

 そこに立っていたのは……シャノンだったのだ。

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