72,〝本当〟の気持ち
「――ウォルターにオレと婚約してるって嘘を吐いた、だと……?」
「うん……」
ブリュンヒルデからとんでもないことを言われたシャノンは、すぐには言葉が出てこなかった。
思わず声を荒げそうになったが、泣いているブリュンヒルデの顔を見ると、喉まで出かかった言葉が寸前のところで引っ込んだ。
(……いや、ここでオレが怒ったところで余計にブリュンヒルデが混乱するだけか。というかなぜそんなことになったんだ? まずはそうなった状況を聞き出した方がいいか)
シャノンはまずは自分を落ち着けてから、ブリュンヒルデに話しかけた。
「ブリュンヒルデ、そもそもどうしてそんなことになったんだ? なるべく最初から状況を説明してくれ」
「う、うん……」
ブリュンヒルデは俯いたままだったが、視線だけは忙しなくシャノンの顔を何度も見ていた。その様子は親に怒られている子供のようだった。
「何日か前、急にわたしの婚約が決まったってお父様に言われたの。わたし何も聞いてなかったからびっくりして……」
「もしかして、その相手っていうのがウォルターだったのか?」
「うん……それで、今日改めてお父様とウォルターのところに出向いたのよ。そこでウォルターからこの話を受けるかどうか聞かれて、そこでつい思わず……」
「ようするに、その婚約話を断るためにオレの名前を使ったってことか?」
「……」
ブリュンヒルデは何も答えなかった。ただビクリと肩を震わせただけだ。
シャノンは額を押さえて、つい溜め息をついてしまった。
(……何てこった。最悪じゃねえか。だからウォルターはあんなに怒ってたのか。オレがブリュンヒルデと裏で婚姻の話を進めていて、ディンドルフ家を味方につけようとしていたと思ったんだろうな)
現状ではディンドルフ家は中立派だ。というのも先代当主の意向が未だに強かったからである。マギル家に次ぐ大貴族であるディンドルフ家を味方に出来たら、ウォルターの地盤固めにはさぞ有利な状況になったことだろう。
(マギル家は絶対に味方にならないと踏んで、今度はディンドルフ家を取り込むつもりで、うまいこと現当主のカールを抱き込もうとしたんだろうな。そのためにブリュンヒルデを政略結婚に使おうとした――が、それをオレが邪魔したわけだ。オレにそんなつもりはなくても、ウォルターはそう思ったはずだ。だからあんなことを言ったんだな)
さきほどのウォルターの発言の真意が見えてきて、シャノンはますます頭が痛くなってきた。
(……今ごろ、ウォルターの頭の中では『やはりシャノンは裏で画策して王位を狙っていた』ということになってるんだろうな。あの疑り深い男ならまず間違いなくそう思っているはずだ。くそ、これじゃあ今まで無駄な衝突が起きないようにしてたのが全部パァじゃねえか……)
シャノンは本当に王位になど興味はなかった。それを示すために、アルフレッドにもウォルターにも、態度でそれを示していたのだ。だが……今回のことでそれは全て無駄になってしまった。ウォルターはハッキリとシャノンを〝敵〟と認識してしまったのだ。
「……ブリュンヒルデ、お前本当にとんでもないことしてくれたな」
なるべく抑え込もうとしていた怒りがわずかに吹き上がってくる。そのせいで、シャノンの声色がわずかに低くなった。
ブリュンヒルデは再び肩をビクリと震わせた。顔はもう真っ青だった。
「ご、ごめ……わ、わたし、その……」
「今さら冗談でした――なんて話じゃ済まねえぞ、これは。話を断りたかったにしても、もう少し他に言いようがあっただろうが。それをよりによってオレと婚約してるなんて……嘘にしても度が過ぎるぞ」
「う、うう……」
シャノンの厳しい言葉に、ブリュンヒルデは再びぽろぽろと涙をこぼし始めた。
彼もわずかに気が咎めたが、今回ばかりはそれよりも怒りの方が勝ったのか、厳しい表情を崩さなかった。
だが、
「……嘘じゃない、嘘じゃないもん」
ブリュンヒルデが泣きながら、ぽつりと言葉を漏らした。
シャノンは思わず怪訝な顔をしてしまった。
「嘘じゃない? 何が?」
「わたしがシャノンを好きだって気持ちは――嘘じゃないもん」
「え?」
「わたしは――わたしはシャノンのこと、ずっと好きだったもん!」
ブリュンヒルデは顔を上げて、泣きながらそう言った。
まったく想像もしていなかったことをいきなり言われて、シャノンはさすがに困惑してしまった。
「ちょっと待て、急に何の話だよ。今さらそんな嘘言っても、じゃあ本当に婚約しようなんて話にはならねえぞ?」
「嘘じゃない! 本当に好きなの! あんたのことが!」
ブリュンヒルデは癇癪を起こした子供のように叫んだ。
「ずっと、ずっとずっと――自分でもいつから好きだったのか覚えてないくらい、ずっと昔から好きだった! あんたと結婚できたらいいなって、ずっと昔からそう思ってたのよ、わたしは!」
「お、おい、ブリュンヒルデ……?」
シャノンが声をかけたが、ブリュンヒルデは止まらなかった。
「なのに、あんたは他の女にばっかり声かけて……何でわたしには何も言ってこないわけ!? あんたの肩書きに相応しい女ならここにいるでしょ!? それとも肩書きしかない女はダメってこと!? わたしには女としての価値なんて欠片もないってこと!?」
「待て、落ち着け。別にオレはお前に価値がないなんて思ってない」
「だったらどうして〝女〟として声をかけないのよ!? 幼なじみだから? いつも一緒にいるのが当たり前だから? だから女としては見られないって? ええ、きっとそうなんでしょうね。あんたがわたしを異性として見ていないってのは、わたしもずっと分かってたわよ。多分、妹みたいなものとしか思われてないんだろうなって……そんなのずっと分かってたわよ! でも好きだったんだもの! しょうがないでしょ!」
「……ブリュンヒルデ」
シャノンは真正面から相手の感情を叩きつけられて、それに対して何と答えればいいのか、まったく分からなかった。
いや、実際そうだったのだ。
シャノンはブリュンヒルデを異性として見たことがなかった。
子供の頃に前世の記憶を取り戻した彼にとって、同じ年齢のブリュンヒルデは本当に〝子供〟でしかなかった。彼女の言うとおり、彼にとっては妹みたいな存在だったのだ。
だから、シャノンはいま本当に困惑していた。先ほどの怒りなんて消えるくらいに困惑して――動揺していた。
一方、長年の思いの丈を勢いでぶちまけたブリュンヒルデは、ここでようやく我に返った。
「――あ、ご、ごめん、わたし……」
冷静になった途端、彼女は長年の不満や怒りよりも、それを超える不甲斐なさや申し訳なさが吹き出してきて、今度こそ大泣きしてしまった。
「う、うう……! ごめん、ごめんなさいシャノン……ッ! わたし、何であんなこと言っちゃったんだろ……本当にごめんなさいッ!」
ブリュンヒルデは自身の顔を手で覆って、泣きじゃくり始めた。
「うう……こんな形で思いを伝えたくなんてなかったのに……ちゃんと面と向かって、ちゃんと伝えようって思ってたのに……ッ! いやだ、いやだぁ……いやだよ……こんな形で伝えたくなかったのに……うう……ッ!」
「……」
「ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――」
子供のように泣きじゃくりながら、ただひたすら謝る彼女に、シャノンはどんな言葉をかければいいのか、まったく分からなかった。
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