99,〝敵〟

 わたしが生み出した火球ヴォリーダは瓦礫に命中した。

 生み出したのは一発だけではない。複数の火球ヴォリーダを一度に何発も撃ち込んで、大きな瓦礫を狙った。

 空中で爆発が起こる。

 人々は慌てて地面に身を伏せた。

 可能な限り爆風は小さくなるように調整した。

 その結果、爆風はさほど大したこともなく、地上を押し潰すはずだった瓦礫は小石程度となって、ぱらぱらと落ちてきた程度に収まった。

 すると、人々の足元に這い寄っていた〝黒い手〟に変化があった。

 急にと動きが止まったのだ。

 まるで目の前にあった獲物がいきなり消えてしまった――そんなふうにも見えた。

 人々は何が起こったのか分からず困惑している様子だった。今にも自分たちを押し潰すはずの瓦礫が消え去って、何があったのかと恐る恐る空を仰いでいた。

 もう彼らに縋り付こうとする〝黒い手〟は一つもなかった。ずるずると、静かに影の中へと引っ込んでいく。

 その光景を見て――わたしは、本当に心の底から安堵を覚えた。

「あ、あんた、今の――」

 声が聞こえた。

 御者の男が腰を抜かしてわたしを見ていた。

 さっきとは明らかに、こちらを見る目が違っていた。

 瞳の奥に恐怖が見える。

 それは――〝人間〟を見る目ではなかった。

「〝異端者〟だッ!? 〝異端者〟がいるぞッ!?」

 別の所から大きな声が上がった。

 振り返ると、わたしのことを指差している若い男の姿があった。

「そ、その女、いま〝魔法〟を使ったぞ!? あいつらの仲間だッ! !」

 一斉に周囲の視線がわたしに集まった。

 全員が腰を抜かしている男と同じ目をしていた。

 恐怖だ。

 誰もが、わたしを恐ろしい〝化け物〟を見るような目で見ていた。

「――ッ!」

 わたしはとっさに魔力で身体強化をして、馬車から飛び降りていた。

 すぐに狭い路地へと駆け込んだ。

「はぁ……ッ! はぁ……ッ!」

 路地中を全力で駆けながら、いったい何をやっているのだろうか――と、自分でも思った。

 あんなところで魔法を使ったら目撃されるのは当たり前だ。

 だったら、わたしはどうすべきだったのだろう?

 目の前で彼らが瓦礫に押し潰されて死ぬのを、ただ眺めていればよかったのだろうか?

「ぐッ――!?」

 急に頭痛に襲われ、身体が大きくふらついた。

 立っているのも難しくなり、思わず壁に手をついて身体を支えた。

 ……魔法を使った反動か。

 攻撃魔法を使ったのは、人間になってから初めてだ。もっと程度の低い魔法ですら慎重に魔力を制御しなければならないのに、いきなりあんな魔法を使って反動が生じないはずがない。

 けれど、わたしには立ち止まっているような暇はなかった。

「あいつらを……あいつらを何とかしなければ」

 頭上を見上げる。

 騎竜兵による攻撃はいまも続けられている。

 あいつらを何とかしなければ、状況は変わらない。

 誰かが死ぬ。

 いや、すでに何人も死んでいるかもしれない。

 また、大勢の血が流れているのだ。

 かつてと同じように。

 そう思うといても立ってもいられなくなり、わたしはふらつきながらも再び走り出していた。

「どこか見晴らしのいいところに――」

 しばらく路地を走ると、たまたま広場に出てきた。

 壊れた噴水があるのが見える。

 何となく、見覚えのある広場だった。

「……ここは確か」

 すぐに思い出した。

 シャノンと偶然、ばったり出くわしたところだ。

 降りそそぐ火球ヴォリーダの直撃を受けたのか、噴水は壊れ、地面にも大きな穴が空いている。すでに人の姿はない。瓦礫と一緒に、色んな物が散乱しているだけだった。

 そこにはもう、かつての平和な光景は存在していなかった。確かにあったはずの平和は、無残に砕け散った残骸と共に散らばっているだけだ。

「……ここなら、空がよく見える」

 わたし空に目を向け、素早く視線を巡らせる。

 騎竜兵は全部で20騎だった。

 ……市街地を攻撃している騎竜兵は10騎に満たない。

 他の騎竜兵が重点的に攻撃しているのは……あの兵器、対空火能カノン砲だった。

 すでに何機かの火能カノン砲は破壊されているようで、城壁上部からいくつもの黒煙が上がっている。

 ただ、騎竜兵による魔法攻撃は、城壁及び火能カノン砲には直接的に通用しているわけではようだった。透明の壁のようなものが浮かび上がって、火球ヴォリーダを防いでいるのだ。たぶん魔術防壁というやつだ。

 その時、空中で爆発が生じた。騎竜兵たちが飛び回っているまっただ中だ。

 それは砲撃だった。どうやら、ようやく対空火能カノン砲が一部で稼働し始めたようだ。

 だが、そう思ったのも束の間だった。

 騎竜兵たちは砲撃を掻い潜って対空火能カノン砲に接近すると、戦士が城壁の上に飛び降りていくのが見えた。

 まさか、と思った。

 あいつらは直接乗り込んで、内側から砲台を破壊するつもりなのだ。

 直後、砲台は内側から吹き飛んだ。

 遠隔による魔法攻撃は通用しない。なのにどうやって他の砲台を破壊したのかと思ったが……どうやらああやって直接乗り込んで破壊したらしい。

 破壊を終えた戦士たちは、城壁に舞い戻って来たワイバーンに再び飛び乗って、空へと舞い上がっていく。

 騎竜兵は基本的に一人乗りだが、どうやらあいつらは一騎に複数人乗っているようだ。

 ……このままではまずい。

 空はすでに騎竜兵たちの独壇場となっている。あいつらをどうにかしない限り、この攻撃がやむことない。砲台が全て破壊されてしまっては、人間たちはまともな反撃もできなくなる。そうなったら、被害はますます拡大していくはずだ。

 現状では市街地への攻撃は恐らく陽動程度のはずだ。しかし、砲台を全て破壊し終えたら、あいつらは本格的に市街地を破壊し始めるだろう。そうなったらどれだけの被害が出るか分からない。

 それに、恐らくあいつらは先遣隊だ。必ず後続の地上部隊がこちらに向かってきているはずだ。騎竜兵たちの目的は、地上部隊がこの王都に侵攻できるようにすることだろう。

 その作戦が成功するということは、つまり――さらに膨大な数の人間が死ぬということだ。

 それをどうにかしようと思うのなら……まずは、あの騎竜兵たちを何とかしなければならない。

「……」

 わたしは真っ直ぐに右手を伸ばして、空に向けた。

 手の平に魔力を集中させる。

【何をするつもりだ?】

 急に背後で声がした。

 驚いて振り向くと、そこにはまた〝影〟が立っていた。

 相変わらず気配はまったくない。こうして目の前に立っているのに、本当にそこにいるのかどうかが定かではない。

「わ、わたしは――」

 つい狼狽えるような声を出してしまった。

【まさかとは思うが……あそこにいる連中を撃ち落とすつもりか?】

 と、〝影〟は白々しい感じで問いかけてくる。

 わたしが何をしようとしたのか、それを分かっていて、こいつはあえて訊ねているのだ。

 わたしは震える声で答える。

「す、すぐにでも攻撃をやめさせないと……このままではさらに大勢の人が死んでしまう」

? ふむ……それはつまり、あの飛び回ってる連中を殺すつもりはないということか?】

「そうだ。殺す必要はない。何とかあいつらを撤退させることさえ出来れば――」

【おいおい、それは本気で言っているのか?】

「え……?」

【あいつらが撤退なんてするようなタマか? それが難しいことは、お前自身がよく分かっているはずだがな?】

「そ、それは……」

 言葉に詰まった。

 確かに、わたしにはよく分かっていた。

 騎竜兵あいつらはきっと、何があっても撤退しない。恐らく死ぬまで戦うつもりだ。覚悟なんてとうの昔に出来ていることだろう。

 撤退させるのが難しいことなど、わたしが最もよく理解している。魔族の戦士とはそういうものだからだ。

 なら、攻撃をやめさせるにはどうすればいいのか。

 そんなの――答えは決まり切っている。

【ああ、そうだ。あいつらを止めようと思えば……そりゃもう殺すしかねえわなぁ?】

 〝影〟が楽しそうに問いかけてくる。

 口元に、あの裂けるような笑みが浮かぶ。

【でも、それでいいのかねぇ? ? それをお前は自分の手で殺すのか?】

「わ、わたしは……」

【それとも、今はもうお仲間でも何でもないってか? 今の自分は人間だから、魔族を殺してもいいって? ああ、そういうこと?】

「ち、違うッ! わたしはただ、この争いを止めたいだけで――」

【お前には悪いが、これだけは最初にはっきりと言っておこう。。だから、お前には決してこの争いを止めることはできない。そういう因果だ】

「……は? ど、どういうことだ?」

【さっきも言っただろう? 今のお前は死の〝特異点〟だ。にいるだけで因果が歪む。そもそもこうなっているのはお前が大量の〝死〟を引き寄せているからだ】

「――」

 影の言葉が、わたしの心臓を再び抉る。

 ……わたしの、せい?

 が……そもそも全てわたしのせいなのか?

【因果はすでに決定している。それがどういう形であれ、決定した因果は覆らない。すでに〝死〟の数は決まっている。ひとまず、この状況は終わらないだろうな】

「そ、そんなことがあるものかッ! 今ならまだ間に合うッ!」

【そう思うのなら、まぁやれるだけやってみればいい。どうせ無駄だと思うがねえ。くくく――】

「うるさいッ!」

 手を払うと〝影〟がふっと目の前から消えた。くぐもった嗤い声だけが残響のように響いた。

 わたしは再び空に目を向けた。

 空に向かって、もう一度しっかりと手を伸ばす。

「……ッ!」

 けれど、一瞬……ほんの少し、躊躇いが生まれてしまう。

 騎竜兵あいつらの攻撃を止めなければ、大勢が死ぬ。とんでもない数の人々が死んでしまう。

 手の平に魔力を集中させる。

 わたしなら、あいつらを止めることが出来る。

 

 そう思うと同時に疑問が生まれる。

 ……でも、それは果たして正しいことなのだろうか?

 それは――

 人間と魔族は〝敵〟。

 今のわたしは人間だ。

 けれど、魔族はかつての同胞だ。

 であるならば……わたしの〝敵〟はどっちなのだろう?

 そもそも、わたしはどちらなのだろうか??

 人間なのか?

 魔族なのか?

 分からない。

 わたしは、自分がどちらなのか、自分でもそれが分からない。

 魔力の集中が乱れる。

 また心に迷いが生まれる。

 わたしが迷っている間にも、騎竜兵は攻撃を続ける。

 あちこちで爆発が生じ、その爆発に巻き込まれる人々の悲鳴が聞こえてくる。

 悲痛な叫びが地上を埋め尽くしていく。

 迷えば迷うほど、被害は増える。

 ……あの時と同じだ。

 かつてこの目で見た戦場の風景がよみがえる。

 わたしはもう、あんな光景は二度と見たくない――そう思った。

 戦争が生み出すのは勝利でも栄光でもない。

 ただお互いの死体を積み上げていくだけの不毛な行為でしかない。そもそも戦争という行為によって生み出されるものなんて、何一つ無いのだ。

 それでも一度始まってしまった戦いを止めるには、どちらかが死ぬしかない。

 憎しみを本当の意味で消し去るには――憎しみごとすしかないのだ。

「……やめてくれ」

 聞こえるはずもない懇願が口から出ていた。

 もういやだ。

 わたしは戦争なんてこりごりなのだ。

 殺すのも、殺されるのも、もうたくさんだ。

 そんなことをし続けて……いったい何の意味があるというのか。

「頼むから――もうやめてくれ」

 でも、あいつらを殺さなければ、この光景は止められない。

 目の前の戦火をどうにかするには、わたしがこの手で――あいつらを殺さなければならない。

 かつての同胞を、この手で。

 魔力を周囲に存在する元素と干渉させ、魔法を練り上げていく。

 騎竜兵に狙いを定めていく。

「――〝光の矢フォス・ベロス〟」

 周囲に無数の光が生まれる。

 それらは鋭い矢となって、彗星のような尾を引きながら空に向かって飛び出して行った。

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