65,デートのお誘い
わたしはハッとした。
アンジェリカだった。
例によって勝手に入ってきたようだ。
わたしはナイフを手放し、テーブルの上に置いた。そのタイミングでアンジェリカが姿を見せた。
「なによ、いるじゃない! いるなら返事してよ!」
「……だから返事する前に入ってくるなと何度言えば分かるんだ、お前は」
「あれ? いま朝食?」
「ああ、そうだ」
と、わたしはあくまでも何食わぬ顔で応えた。
「シャノン殿下は?」
アンジェリカはまるで当然のようにシャノンの姿を探し始めた。
わたしは口元をナプキンで拭きながら答える。
「あいつなら来ていない。しばらく用事で来られないと言っていた」
「そうなの? え? じゃあ、あの美味しいご飯はないの?」
アンジェリカは目に見えて残念そうだった。どうやら期待していたようだ。
「残念だがない。馳走できなくて申し訳ないな」
「べ、別に残念ってことはないわよ? わたしは殿下のご飯を食べに来たわけじゃないし? ま、まぁ、あるなら食べてあげても良かったけどね?」
と言いつつ、アンジェリカはやはりどこか残念そうに見えた。
……いま思えばだが、アンジェリカとブリュンヒルデってちょっと似てるところあるな。
「で、用事というのは?」
「そうそう、それなんだけど」
アンジェリカはわたしの向かいに座った。
「ヨハン様がね、よかったらまた会いたいって言ってくれてるのよ。今度は演劇でも見に行きませんか、って? どう?」
「ほう、演劇か……まるで何の興味もないな」
「そう、興味たっぷりなのね! 良かったわ! で、日取りについてなんだけどね」
「うん、わたしの話を聞いてたか?」
「興味ないって言ったらそこで話終わっちゃうでしょうが! そこは興味なくてもあるって言いなさいよ!」
怒られた。
「いや、実際欠片も興味ないんだが……」
「なに、ヨハン様がせっかく誘ってくれてるのよ? それを断ろうっていうの?」
別に頼んでない――と言おうとしたが、ふとヨハンの顔が思い浮かんだ。
……ううむ。演劇など興味ないのは事実だが、無碍に断るのも確かに何となく心苦しいかもしれない。
ヨハンは良いやつだった。これが一度も会ったこともないやつだったら即断るところだが、決して知らぬ相手というわけでもない。
それに……そうだな。
どうせこれが最後になるだろうしな。
そう思うと、わたしはアンジェリカに向かって頷いていた。
「……分かった」
「だいたい、ここで断ったら後で絶対に後悔するわよ? ヨハン様みたいな人から誘って貰えるなんて中々ないんだから、ここはとりあえず行くだけ行ってみて――って、え? いま分かったって言った?」
「ああ。日取りを教えてくれ」
「……え? 行くの?」
「なんだ、行っちゃダメなのか?」
「い、いや、ダメってことないけど……何で急に?」
「無碍に断るのも失礼だろう? もう知らぬ相手でもない。わたしもそれくらいの礼儀はあるつもりだ。それに、わたしが断ったら仲介しているお前の顔にだって泥を塗るわけだからな。だから、行かせてもらおう」
「そ、そう。なら良かったわ」
アンジェリカは何だか肩透かしを食らったような顔で頷いていた。
それから、不意にこんなことを聞いてきた。
「……ねえ、これっていちおうシャノン殿下に言っておいた方がいい?」
「……? なぜここでシャノン――殿下のことが出てくるんだ?」
「え? あ、いや、まぁ何となく……」
「別に報せる必要などないだろう。殿下はわたしとはただの他人なのだからな」
「……他人なの?」
「ああ、他人だ。あいつは――ただの親切な他人だよ」
「……」
アンジェリカは少し何か言いたそうな顔をしたが、
「じゃあ、日取りと段取りの話をしましょうか」
と、話を先に進めた。
「ドレスとかは、またうちが貸してあげるから大丈夫よ。着付けも化粧も、こっちでやってあげるから気にすることないわ。時間はたぶん昼前からになると思うから、朝食は食べといた方がいいわね。お昼は――」
「ああ、別にドレスとかはいらんぞ。こっちで何とかするから大丈夫だ」
「え? でも、いちおうそういうところにはドレスコードってのがあって、あんまり貧乏くさい服だと入れないわよ?」
「うん、そこはもうちょっと気を使った言い方にしようか?」
確かに貧乏だし普段着ている服は貧乏くさいが直截に言われるとなんかこう心にくるものがあるな。
「だが、ドレスは大丈夫だ。そう何度も借りるわけにもいかんしな。一日くらいなら、貸し衣装屋にでも頼むとするよ」
「でもそれだとお金かかるでしょ?」
「貧乏貴族でもそれくらいの金はある」
「別に遠慮することないわよ」
「なに、ちょっとわたしも自分でオシャレなドレスを選んで着てみたいというだけだ。お前の姉君のドレスは、わたしには少し清楚過ぎるからな。わたしとしては、もう少しこう良い感じに露出があって扇情的なやつが好みでな……」
「露出って……そういうのは胸の大きい人が着るのよ? エリカって顔はいいけど胸は全然ないじゃん」
「うん、そういうところもちゃんと気を使った言い方にしようか?」
確かに胸はないけども。
ないけども……。
「まぁそういうわけだから、今回は自分で何とかする」
「そう……まぁそういうことなら仕方ないわね。あ、そうそう。それとなんだけど……実はヨハン様が家までエリカを迎えに来たいって言ってるのよ」
「そうなのか? ならそれはお願いしようか」
「……え? いいの?」
「ん? 別に構わんが?」
「だって、この家に来るのよ? こんな家に住んでるところ見られていいの? ものすごい貧乏なのバレるわよ?」
「うん、もういちいち指摘するのも疲れてきたわ」
わたしは開き直った。
「別にバレたところでわたしはどうも思わんから大丈夫だ。ヨハンだって、別にそういうのは気にしないんじゃないのか?」
ちゃんと話したのなんてこの間が初めてだったが、あいつは相手の家格で態度を変えるようなやつではないと思う。
アンジェリカも少し迷った様子を見せてから頷いた。
「……そうね。まぁそんなこと、いちいちヨハン様は気にしないでしょうね。あんたが気にならないなら、別にそれでもいいけど」
「じゃあ、だいたい決まりだな。その日までには、わたしもドレスを用意しておくとしようか」
「……」
「ん? どうした、アンジェリカ?」
なぜか、アンジェリカがわたしのことをじっと見ていた。
わたしが首を傾げると、彼女は「いや……」と少し言葉を濁してから、
「……エリカ、その、大丈夫よね?」
と、なぜか控え目に訊ねてきた。
よく分からない質問だった。
何がどう大丈夫なのか、何を訊きたいのか、よく分からない。
ただ、アンジェリカの顔はどこか不安そうだった。
もしかしたら、こいつはわたしの微妙な気配や表情の違いを、無意識に感じ取っているのかもしれない。
……本当に、こいつは昔からこういうところには鋭いな。
わたしはもちろんこう答えた。
「ああ、大丈夫だ」
なるべく優しく微笑む。
目に見えるような拒絶はしない。
拒絶しないように拒絶する。
そうするのが、いちばん都合がいいのである。
μβψ
……このデートをどうして受けようと思ったのかは、正直自分でも良く分からなかった。
何だかんだ言いつつ、わたしにもまだ未練みたいなものがあったのかもしれない。
でも、それはやっぱりわたしが見てはいけない夢で、再びわたしはそのことを思い知ることになる。
呪いはわたしを、決して
そう、決して――
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