第11章

64,罪と罰

 ――死ね。

 ――死ね。


 死者たちの怨嗟が響く。

 わたしは怖くなって、その場にうずくまって耳を閉じた。

 ごめんなさい。ごめんなさい。

 わたしのせいです。

 みんなわたしのせいです。

 みんなが死んだのは、みんなわたしのせいです。

 許してください、許してください。


 ――許さない。

 ――絶対に許さない。

 ――お前は絶対に許さない。許されていいはずがない。

 ――お前は死なねばならない。

 ――我々の苦しみを全て、お前が贖うのだ。


 分かっています。

 悪いのはわたしです。

 だから、わたしは死にます。ちゃんと死にます。

 でも、だから、わたしの周りの人たちは許してあげてください。

 悪いのはわたしなんです。

 周りの人は、誰も悪くありません。


 ――いいや、それは許されない。

 ――お前のせいで我々は死んだのだ。

 ――お前も。

 ――お前の大事な者たちも。

 ――死ね。

 ――死ね。

 ――苦しんで、のたうち回って、もがきながら、死ね。


「ミオ、どうしたの?」

「……え?」

 気が付くと、幼き日のヴァージルが目の前に立っていた。

 心配そうな顔でこちらをのぞき込み、わたしの前に手を差し出していた。

 それを見て、わたしは思わず泣きそうになっていた。

 ヴァージル。

 ヴァージルだ。

 良かった。生きていたんだ。生きていてくれたんだ。

 迎えに来てくれたんだ。

 約束を果たしに来てくれたんだ。

 わたしは、嬉しくてつい手を伸ばしてしまった。

 ヴァージルの手を取った。

 その瞬間、無数の〝黒い手〟がヴァージルの足元から這い出し、彼の足を掴んだ。

「……え?」

 あっという間だった。

 ヴァージルはわたしの目の前で、暗闇の中に引きずり込まれてしまった。

「ヴァージル!?」

 慌てて手を伸ばした。

 すると、暗闇の中から剣が突き出してきて、わたしの喉を貫いた。

 暗闇の中から出てきたのは、わたしを恨めしそうに睨む、〝勇者〟のヴァージルだった。

「お前さえいなければ」

 そう言って、大人のヴァージルも〝黒い手〟に引きずり込まれて、暗闇に沈んでいった。暗闇に沈んで消え去るその瞬間まで、わたしのことを恨めしそうに睨みつけながら。

 わたしは首を押さえ、溢れ出る血に溺れながら、地面を這いずって必死に手を伸ばした。

 でも、わたしの手は――やっぱり何も、掴むことができなかった。


 μβψ


「――」

 飛び起きていた。

 身体中、汗でびっしょりだった。

 無意識に首元に触れていた。

 一瞬、ぬるっとした感触に背筋がぞっとしたが……それは汗だった。

「……あ、ああ、そうか。夢、か――」

 久々の悪夢だった。

 周囲の景色がちゃんと視界に入ってくると同時に、安堵の息が思わずついて出ていた。

 そして、安心すると同時に心細さが湧き上がってきた。

 こんなに汗をかいているのに、やけに寒かった。

 思わず部屋の四隅を見回してしまった。

 どこかに〝黒い手〟が潜んでいるのではないか――と、そう思ったからだ。

 部屋の暗がりに近づくことさえ怖かった。

 わたしはすぐにベットから降り、カーテンを開いて窓を開けた。

 光が差し込んで、部屋が明るくなった。

 それでようやく、わたしはほっと一息ついた。

 ……暗いところが怖いなんて、まるで子供のようだな。

 自分で自分が情けなかった。でも、いまのわたしは暗闇が本当に恐ろしく感じていた。

 って、いかんいかん……そんな情けないことでどうするのだ。気を取り直して、いつものように振る舞えばいいではないか。

 わたしは自分にそう言い聞かせた。

「おっと、そうだ。もうあいつが来る時間だ。早く準備して――」

 そこまで言いかけてから、わたしはふと思い出した。

「――って、そうか。あいつは……来ないんだっけ」

 今日、シャノンは来ない。

 わたしが来ないでいいと言ったからだ。

 、来なくてもいいと言ったのだ。

 そのまま一階に降り、応接室に向かう。

 当然、誰もいない。

 ならすでに、わたしはあいつと朝食でも食べているところだろう。

「……なんか、やっぱり寒いな」

 なるべくいつも通りの自分を思い出そうとした。

 でも、ふとわたしは分からなくなっていた。

 というのは、いったいどんなだったっけ……?


 μβψ


 わたしは改めて部屋で着替えてから、いつもより遅い時間に朝食としゃれ込もうとしていた。

「どれどれ、今日は何を食おうかなっと」

 ぱかっ、と氷室を開く。

 当然、ほとんど何も無い。

 あいつの作った美味そうな料理がぎっしり詰まっている――なんてことはない。

 ちょっとした余り物の食材がわずかに入っているだけだ。

 何だか、改めて夢から覚めたような気持ちになった。

「……はは。何とまぁ味気ないことだ」

 ぱたり、と氷室を閉じる。

 こんなことなら、ちょっとくらいあいつの料理を残しておくんだったな。

「……ま、とりあえずあるだけの食料で何とかするか」

 残り物の食材と、庭にある野菜で優雅な朝食としゃれ込む。ちょっと古くなったパンと生野菜のサラダだ。実に健康的である。

「……」

 ただもくもくと食べる。カチャカチャという食器の音が、やけに響く。

『オレが作った料理が美味いのなんて当然のことだ。有り難く食えよ』

 偉そうなシャノンの言葉が聞こえたような気がした。

 ……あいつ、料理を褒めるといつも嬉しそうだったよな。素直には喜ばなかったが。

 シャノンの作る料理は、ただ美味しいだけじゃなかったような気がする。

 温かかった――と言えばいいのだろうか。

 食べていると心も満たされた。

 でも……それはわたしにはあまりにも〝贅沢〟なことだった。

 そう。何もかも……わたしには過ぎたものだった。

 そのことをようやく思い出した。

 あいつにはあいつの居場所があって、あいつの傍にわたしの居場所はないのだ。今のあいつには、今のあいつに相応しい相手がいる。

 ……そう言えば、いつからだったかな。あいつをヴァージルの生まれ変わりなのかどうか、まったく気にしなくなったのは。

 最初は全然と思っていた。

 あんなチャラ男がヴァージルの生まれ変わりなんて、到底信じられなかった。

 あいつしか知らないことを知っていることは、何よりの証拠である。でも、やっぱりすぐには信じられなかった。

 だが……なぜだろう。

 いまは、あいつが嘘を言っているとはまったく思っていなかった。

 いつからそんなふうに思うようになったのかは、自分でも分からない。

 あいつをヴァージルだと信じた――というわけじゃない。

 ただ、あいつが言うことだからきっと嘘じゃないんだろうな――と思うようになっただけだ。

「……我ながら、本当に都合の良い夢を見ていたものだ」

 思わず自嘲してしまった。

 自分のような呪われた〝化け物〟が、あまつさえなど、実に滑稽でしかない。

 ……母親ティナ父親ダリルの死に目を忘れたわけではあるまいに。

 あの二人が死んだのはわたしのせいだ。

 わたしが、あの二人を殺した。

 

 シャノンとブリュンヒルデが仲睦まじくしている姿を、わたしはあろうことかうらやましく思ってしまった。

 ……同時に、ブリュンヒルデの存在に嫉妬してしまった自分自身に気付いた。

 わたしは――自分がの隣にいたいと思ってしまったのだ。

 その途端、が襲ってきた。

 背筋が寒くなった。

 が再びどこからか、現れるのではないか――その恐怖で、わたしはようやく眼が覚めた。

「……またが起こる前に、ケリをつけるべきだろうな」

 わたしはじっと右手に握ったナイフを見た。

 こいつで喉を突き刺せば、それで何もかも終わる。

 これ以上、誰かをわたしの呪いに巻き込むことはなくなる。

 わたしは存在してはいけない。

 存在するだけで周りを不幸にする。


 だから――わたしは、ここで死ぬのだ。


 ぐっとナイフを強く握りしめた時、

「エリカー!? エリカいる!?」

 聞き慣れた騒がしい声がした。

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