66,ヨハンと演劇デート

「……ふむ。我ながら悪くないチョイスだな」

 わたしは姿見で自分の姿を確認した。

 いま着ているのは、貸衣装屋で借りてきたドレスだ。

 貴族がドレスを借りるなんて貧乏くさいことだと思うかもしれないが、小貴族ではそう珍しいことではない。

 貴族は貴族であるというだけで金がかかる。貴族であるという見栄を張るためにはどうしても金がかかるのだ。

 だから、ドレスなどを貸衣装屋で借りる小貴族は決して少なくない。

 まぁ普段まったく貴族らしい見栄なんて気にしたことのないわたしが、貴族のことをどうこう言ってもしょうがないのだが。

 以前、ドーソン家から貸してもらった衣装は白が基調だった。とても清楚なイメージのあるドレスで、わたしには少し似合わなかったと思う。

 なので、今日は黒のドレスにしておいた。黒いというだけで何となく魔王っぽくて良い感じだ。

「……しかし、店のオヤジに勧められるがままにこれにしたが……肩が出ていると思ったよりスースーするな」

 ドレスを選ぶ時、店のオヤジは「これが今の流行り」と言っていた。よく分からんが流行りなら乗っておくしかあるまい、と思ってこれにしたのだ。本当に流行っているのかは知らんが。

 家の外から何やら音がした。

 窓からのぞくと、ちょうど馬車が止まったところだった。

 どうやらヨハンがお出迎えに着てくれたようだ。

 わたしは失礼のないレベルに身だしなみを整えてから、家の外へ出て行った。

「……」

 外に出ると、ヨハンが家の前で半ば呆然と立ち尽くしていた。驚いているというか、もはや唖然としている様子だ。

 うん。まぁ自覚はあったが、やはりわたしの家は普通の貴族的観点から見ると相当にボロいようだ。まぁ今さらなので気にもならないが。

「おはようございます、ヨハン様」

 わたしが声をかけると、ハッと我に返った様子だった。

「お、おはようございます、エリカさん」

「あら、どうかされましたか? 何やら立ち尽くしていたように見えましたけれど……」

「え? あ、ああ、いえ、その、別にそんなことは……」

 と、ヨハンは困ったように目を逸らした。

 わたしはその顔を見て、ちょっとからかいたくなってしまった。

「ふふ、もしかして『本当にこんなところに人が住んでるのか?』とか思ったのではないですか?」

「い、いえいえいえ!? そんなこと思ってませんよ!?」

「本当に?」

「いえ、その、まぁ……単純に『本当にここで合ってるのか?』とは思いましたが……って、今のは別に悪い意味で言ったのではなくですね!?」

「そんなに気を使わなくても大丈夫ですよ。この家がボロいのは事実ですから」

 ヨハンが困った顔をしていたので、わたしは軽く笑ってからからかうのをやめた。わたしは何だか、本当に昔のヴァージルを相手にしているような気持ちになった。

「それより、早く参りましょうか。演劇が始まるまでに劇場へ行かねばなりませんしね」

「そ、そうですね。時間に余裕はありますが、早めに向かいましょうか。朝食はもうお済みですか?」

「はい、大丈夫です」

「なら、行きましょう」

 わたしはヨハンにエスコートされて馬車に乗り込んだ。

 馬車はすぐに動き出した。

「その……今日は以前と趣きが違いますね。黒もよくお似合いです」

 と、ヨハンがどこか緊張した様子でそう言った。

「ありがとうございます。そう仰って頂けると、悩んで選んだ甲斐があったというものです」

 まぁこれも借り物なんだけな。

 ははは。

 などと思いつつ、わたしはエリカスマイルを浮かべる。とりあえず笑って誤魔化しておけの精神だ。

 わたしが笑みを向けると、ヨハンは視線を逸らした。

 いや、逸らしたというよりは、どこを見ていいのか分からず視線を彷徨わせているような感じだった。ついでに何か話題がないかと必死に考えているようにも見えた。

「あー、ええと。今日は良い天気で良かったですねぇ」

「そうですね」

「ええと、それで――」

 とにかく沈黙だけは避けたいのか、ヨハンはどうにか会話を続けようとしていた。

 わたしも変なところで会話が途切れたりしないように返事をして、相づちを打つ。

 ……ふむ。以前も少しは緊張していた様子だったが……今日は前よりも緊張しているように見えるな。

 大貴族がたかだか小貴族を相手に緊張するというのも変な話ではある。

 だがまぁ……ヨハンはそういうやつなのだろう。

 そういうお人好しなところが、ますます子供時代のヴァージルを彷彿とさせた。

「……あ、そうだ。しまった」

 会話の途中、ヨハンは急に何かを思いだしたように額を押さえた。

 わたしは小首を傾げた。

「どうかされましたか?」

「いえ……よく考えたら、エリカさんのご両親にご挨拶していませんでした。玄関先まで伺ったのに、ちゃんとご挨拶するのを忘れるなんて……僕はなんて失礼なことを……」

 ヨハンは本気でしまった、という顔をしていた。

 ……ふむ。わたしにはよく分からんが、ヨハンの反応を見る限りでは、どうやら彼は貴族的に礼儀を欠いたことをしてしまったようだ。

 そこではわたしはふと思った。

 ……そう言えば、ヨハンはわたしに両親がいないことは知らなかったな。だったら教えておいてやった方がいいか。

「それでしたら大丈夫ですよ。あの家に住んでいるのはわたしだけです。両親はいませんから」

「……え?」

 ヨハンが驚いたように顔を上げた。

「ご両親がいない……? ええと、それは今はどこかに出かけているということですか?」

「いえ、わたしの両親はすでに亡くなっています。母親はわたしが小さな頃に……そして、父親は半年ほど前に」

「……」

 ヨハンはぽかん、としてしまった。

 だが、すぐにハッと我に返った様子だった。

「そ、それでは……エリカさんはあの家で一人暮らしということですか?」

「ええ、そうです。ですので挨拶を忘れたなどと気に病む必要はありませんよ」

「……」

 ヨハンは今度こそ黙ってしまった。

 まぁ、こんなこといきなり言ってもどんな顔すればいいのかは分からんだろうな。

 わたしはこれ以上ヨハンを困らせないよう、なるべく普通な感じで会話を続けた。

「それより、今日行われる演劇について教えていただけませんか。わたし、演劇というものには疎いもので」

「え? あ、そうですね……今日行われる演劇は、有名な劇団と演出家の上演なんです。テオドール・ゲスナーという演出家なんですが……ご存知ですか?」

「そうですね、名前だけは何となく……」(全然知らんな)

「演目は有名な『勇者と魔王』ですね」

「……勇者と、魔王?」

 その題名に、思わず耳をぴくりとさせてしまった。

 ヨハンはわたしの反応には気付かず、話を続けた。

「はい。〝勇者〟ブルーノ様の人魔大戦での逸話をまとめて、最後の魔王メガロスを討伐して戦争を終結させ、その後この国の王になるという偉業を讃えた戯曲です。エリカさんも話はご存知でしょう? 子供なら誰でも絵本で読んだ話だと思いますし」

「……そう、ですね。もちろん知っています」

 嘘をついた。わたしはその話を知らない。絵本も見たことはない。

「ですが、話を知っていてもこの演劇は楽しめると思いますよ。特にテオドール・ゲスナーの演出は特に人気が高くて――」

 ヨハンは嬉しそうに演劇についての話を語ってくれた。

 だが……正直、わたしの頭の中に彼の説明は入ってこなかった。

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