67,演目『勇者と魔王』
わたしはヨハンと共に、王都にある王立大劇場という場所へとやって来ていた。
何でもここは世界的に有名な劇場で、芸術愛好家たちからは聖地とまで言われている場所だそうだ。
……さすがに周りも貴族ばっかりだな。
乗り付ける馬車のほとんどは
「こちらです、行きましょう」
わたしはヨハンにエスコートされ、大劇場内へと足を踏み入れた。
……しかし、随分とでかい建物だな。ここは演劇をするための建物なのだよな? こんなデカい建物必要か?
演劇なんて青空の下に丸太で舞台を作ればいいだけのような気もするが……実際魔族社会ではそんな感じだったし。
そんなことを考えていると、やがて客席へとやってきた。
わたしがやって来たのは三階にある特等席という場所だった。個室のような感じになっていて、わたしたちしかいない。随分と贅沢な空間だ。なんでも一番よく見える席らしい。
「ここが大ホールです。それで、あちらが舞台ですよ」
「とても大きいですね」
三階の特等席から見える大ホールはとても広く、そして舞台も大きかった。まだ幕は下りたままの状態だが、それでも舞台の大きさはよく分かった。
……なにやら、わたしが想像してたものよりはるかに凄いな。
人間は非力だというのに、作り上げるものは魔族よりも大きくて立派なものが多い。実際、この王都もかつてのゲネティラよりはるかに規模が大きい。
こうして人間の創り上げたものを目の当たりにしていると、魔族には最初から勝ち目などなかったのかもしれない――などと思ってしまったりもする。
やがて、演劇の始まる時間が近づいてくると、少し騒がしかった客席からすーっと波が引くように音が消えていった。
「始まりますよ」
ヨハンがそう言うと、舞台の幕が上がった。
……勇者と魔王、か。
正直、わたしは演目の題名を聞いてから複雑な気持ちだった。
いや、これはただの演劇だ。ただの創作物――そう思って見ればいい。どうせ正しい史実など、恐らく現代には伝わってなどいないのだ。そもそもからして〝勇者〟がヴァージルではない時点で、わたしにとっては架空の物語でしかない。
気楽に見ればいいのだ、気楽に。
そう思っていると、舞台の中央に男が出てきた。
どうやらあれがブルーノ役らしい。
……〝勇者〟というには随分とヒョロいのが出てきたな。色白でなよなよした役者だ。
人間社会ではああいうのがモテる男のルックスなのだそうだ。無論、魔族基準で言えば完全にナシだ。あんなもやしみたいなやつは魔族社会では見向きもされない。やはり戦士は屈強でなくてはな。
まぁヴァージルは別だけどな! あいつは可愛いからあれでいいんだ、あれで。
……なんて、余計なことを考えていないで舞台でも見ようか。
物語は〝勇者〟ブルーノの少年時代から始まった。
元々、ブルーノはこの国の大貴族だったそうだ。
しかしある日、彼はこれ以上人々が苦しむ姿を見たくないと立ち上がり、大貴族という身分でありながらたった一本の剣を片手に、自ら戦場の最前線へと足を踏み入れていく。
やがてブルーノは戦場で騎士としての頭角を現し、劣勢だった人間たちの軍を導く立場となり、魔王軍を押し戻していくことになる。
人々は、いつしかそんな彼のことを〝勇者〟と呼び始め、ブルーノが先頭に立つことで人間側は快進撃を開始し、ついには魔王を討ち果たす――
とまぁ、要約すればそんな感じの話のようだ。
舞台の役者たちは少しオーバーな演技でストーリーを進め、なぜか時折急に歌い始めたりして、次々と舞台が切り替わっていく。こいつら何で急に歌い出すんだろう……?
そして、けっこうな時間が経った。
この間、わたしは微動だにせずじっと舞台に目を向け続けていた。
傍から見れば、さぞ真剣に舞台を見ているように見えたことだろう。
だが……わたしが心の中で思っていたことはただ一つ。
それは――
つ、つまんねぇーッ!!!!!!!!!
ただそれだけだった。
内心で思わず呻いた。
ぐ、ぐぬう……何だこれは? 新手の拷問か? というかこれは何が面白いんだ? どこで楽しめばいいんだ? 全然分からんぞ。
わたしはすでに心の限界を迎えつつあった。
ちなみにまだ魔王は出てきていない。恐らく舞台はまだ中盤くらいだと思う。
でも、わりと限界だった。
……こ、これが人間の演劇というやつか。
わたしは途中から完全に虚無の心になっていた。
客席からは舞台が暗転して切り替わる時によく拍手が起きたりしているが、わたしは彼らがこの演劇のどこに拍手を送っているのかがよく分からなかった。
そもそもからして、人魔大戦を題材にしているというには、まったくストーリーがわたしの覚えている事実と噛み合っていない。1から10まで完全に創作だ。しかも事あるごとに都合良くピンチが勝手に去って行くので、いまいち緊張感にも欠ける。何があっても『どうせ適当な感じでうまくいくんでしょ』と思うと場面にのめり込めなかったのだ。
あと、主役のブルーノにまったく感情移入できないというのも致命的だった。
感情移入できない主人公が何をしたところで「ほーん。で?」という感じにしかならない。感情が動かないのだから面白いと思うはずもない。結果、わたしは「こいつらは今なにしてるところなんだっけ?」となってしまうわけだ。
それに役者たちが急に歌って踊り出すのも謎だ。いま戦争してるところだよな? 歌って踊ってる暇とかある????
……何と言うか、突っ込みどころが多すぎるな。真面目なのかふざけているのか判断がつかない。
こんな演劇、いったい誰が面白いと思って見るんだ……?
そう思いつつ隣にいるヨハンにちら、と視線を向ける。
「くうッ――!」
ヨハンは目頭を押さえて泣いていた。
「……」
ええ……?
ちょ、いや、ええ……?
どこ???? どこに泣く要素があった???? もしかして笑いすぎて泣いたのか???? いや、でも言うほど笑うところもなかったよな???? どゆこと????
とても同じ物を見ている反応とは思えなかった。もしかしてヨハンはわたしと違う演劇を見ているのでは? と思えるくらいの温度差が生じている。まるで間に見えない壁でもあるみたいだ。
だが、ヨハンはただ泣いているだけではなかった。
場面が変われば手に汗握り、大きく頷き、そして主人公がピンチの場面では歯を食いしばっていた。
普段は大人しい感じのやつなのに、演劇を見ている様子は何だか小さな子供のように見えた。
……演劇よりこっちを見てる方が面白いかもしれんな。
気が付くと、わたしは演劇ではなくヨハンのことばかり見ていた。
そうやってぼんやりヨハンのことを眺めていると、わたしはやはり同じ事を思った。
……やっぱり似てるな。
ヨハンの無邪気な子供みたいな表情を見ていると、ふとわたしの脳裏にかつての子供時代のヴァージルの顔が浮かんできた。
あいつがあのまま大人になっていれば、きっとこんな感じになっただろうな。もし戦争が起こらず、平和な世界のままだったら……もしかしたら、わたしはこんな感じのヴァージルと再会していたのかもしれない。
ヨハンとはまだ数回程度しか会って話していないが……こいつは良いやつだと思う。良くも悪くも裏表というものがない。そういう意味ではアンジェリカと似ているとも言える。
だからというか、わたしはつくづく不思議だった。
……どうして、こいつはわたしのことを、わざわざこうして誘ったりするのだろうな。
ヨハンがわたしを誘う理由は未だに不明だ。女に困るような立場ではないだろうに、どうしてわざわざ貧乏貴族のわたしなんて誘うのだろうか。
よく分からんやつだ。
「……ん? エリカさん、どうかしましたか?」
ヨハンがふとこちらを振り向いた。
わたしはハッとなって、反射的にいつもの笑みを浮かべていた。
「いえ、何でもありません」
「そうですか? あ、エリカさん! ついにクライマックスですよ!」
ヨハンは興奮したように舞台を指差した。
わたしもここで、ようやく舞台へ視線を戻した。
いつの間にか物語は佳境にさしかかっていたようだ。
「――よく来たな、勇者よ」
ホール全体に不気味な声が響く。
「こ、この声は……まさか、魔王か!?」
ブルーノ役の男が舞台の上で緊迫した声を出す。
……お、どうやらやっと魔王様のお出ましのようだな。
さて、いったいどんな魔王が出てくるのか……。
わたしはちょっとばかり期待しながら魔王の登場を待った。
「ふはははは!! 怖れ戦け、矮小な人間よ! このわたしが魔王メガロス様だッ!!」
舞台の袖からでっかいドラゴンみたいなのが出てきた。
「……」
つい顔を覆っていた。
……ああ、うん。そうだったっけ。
わたしって、現代ではこんな風に語り継がれてるんだっけ。
なんせ『身の丈は大型のドラゴンほどもあり、ドラゴンのように口から火を噴く』らしいからな。じゃあもうそれドラゴンじゃんと思っていたが、やっぱり現代人にもほぼドラゴンだと思われていたようだ。
ドラゴンは恐らく
「あの魔王のカラクリは何度見ても凄いですね。まるで本物の魔王みたいだ」
横でヨハンがはしゃいでいた。まぁ本物の魔王なら横にいますけどね?
「ほら、見てください。あの魔王、口から火も噴くんですよ。すごい迫力ですよね」
「本物は口から火なんて噴かんがな……」
「え? いま何か言いました?」
「いえいえ、何でもありませんわ。本当にすごい迫力ですね」
「ここが一番の見せ場ですからね」
と、ヨハンは子供みたいにわくわくした顔を見せた。
……突っ込みどころは多い作品だが……まぁヨハンは楽しそうだしな。これはこれでいいのかもな。
やがて、死闘の末に勇者ブルーノは魔王を倒した。
魔王が討ち果たされたことにより、魔王軍は降伏し、大戦は終結する。
凱旋した勇者は周囲からその功績を讃えられ、王女と結婚して王族に迎えられる。
そして、最後にブルーノがこの国の新たな王となって物語は終わった。
物語は完全なハッピーエンドだった。
まさに勧善懲悪というやつだ。
人間は魔族という悪を討ち滅ぼし、物語はめでたしめでたし――観客たちが満足する中、舞台の幕はゆっくりと下りていく。
『……最後に何か言いたいことはあるか?』
舞台の幕が下りていく時、わたしはふと自らの最期のことを思い出していた。
ヴァージルが剣を構え、わたしを見ている。
……あの時、あいつはどんな顔してたっけ。
確か、苦しげな表情をしていたはずだ。
まるでわたしを殺すのを躊躇っているような、そんな顔だったと思う。
『――感謝する』
記憶の中のわたしが言う。
直後、わたしの記憶は急に曖昧になっていく。
喉から血が溢れ、呼吸ができなくなり、溺れるように死んでいく。
舞台が暗転していくように、記憶の中も暗転してく。
――ぽたり。
もう何も見えなくなった時、わたしの手に水滴が落ちるような感覚があった。
「エリカさん……?」
「……え?」
気が付くと、ヨハンが驚いたようにわたしを見ていた。
それでわたしは、ようやく気が付いた。
わたしは――いつの間にか泣いていたのだった。
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