68,告白

「いやぁ、エリカさんにも楽しんで頂けたようで嬉しいです。まさか泣くほど感動してくれるなんて……もしつまらないと思われたらどうしようかと思ってましたけど……本当に良かったです」

 と、ヨハンは嬉しそうに言った。

 わたしはお上品に笑った。

「ほほほ、つまらないなんてとんでもない……とても面白かったですわ。演劇を見たのは初めてでしたけど、とても素晴らしかったと思います」

 いま、わたしたちは王都のとあるレストランを訪れていた。

 演劇の後の昼食だ。

 何でもここは貴族御用達の高級レストランだそうだ。ヨハンのような大貴族も足を運ぶくらいなのだから、かなりお高いお店なのだろう。わたし一人では絶対に入れない店だ。そもそも高位の貴族ってやつは家に専属のすごい料理人がいるだろうに、それでもそういう連中がわざわざ来る店なのだから、よほど美味いに違いないだろう。

 ヨハンはとても機嫌が良い様子だった。多分、自分の好きな物を気に入ってもらえたことが単純に嬉しいのだと思う。

 だが、そんな嬉しそうなヨハンを見ていると若干の罪悪感もあった。

 ……うんまぁ、正直なところ演劇自体はクッッッッッッッソつまんなかったからな。

 最後に泣いていたのも、演劇とはまったく別のことだ。

 ただ、それをいちいち言うのも野暮というものなので、わたしは演劇でとても感激して泣いたということにしておいた。

「ぼくはこの勇者と魔王の話がとても好きなんです。子供の頃から〝勇者〟に憧れてて……何て言うと、周りからは子供みたいだって笑われるんですが……」

「ヨハン様は〝勇者〟に憧れているんですか?」

「はい。ブルーノ様は大貴族という身分だったので、戦時中でも不自由ない暮らしはできていたはずです。でも、彼はそれをよしとせず、人類のために立ち上がって戦場に赴き、そして〝勇者〟になった――すごくかっこいいですよね! 僕もそんなふうになれたらいいんですけどね……」

「ヨハン様も騎士団の副団長なのですから、十分すごいと思いますよ」

 わたしがそう言うと、ヨハンはバツの悪そうな顔をした。

「はは……まぁ確かに立派な肩書きはありますけど、それは僕の実力ではなく家柄あってこそですから……もちろん、その肩書きに恥じないよう鍛錬は積んでいますけど……」

「ヨハン様は確かお一人で火竜フォティアを仕留めたと聞いております。それだけの実力があれば、もう十分だと思いますけれど」

「……あー、その話ですか」

 ヨハンはちょっと困ったような顔になってしまった。

 ……おや?

 思っていた反応ではなくて、わたしはちょっと首を傾げた。てっきりここぞとばかりにその時の武勇伝でも披露してくれるかと思ったのだが……そんな感じはまったくなかった。

「どうかされました?」

「あ、いえ……まぁそれもたまたま、みたいなものですので。別に僕の実力が優れていたからというわけではありません。ただの偶然ですよ。それより――」

 と、ヨハンは露骨に話題を変えた。

 わたしはその反応が少し気になったが、あえて深くは訊ねなかった。

「これは聞いてもいいのかどうか分かりませんが……エリカさんはいまお一人で暮らしていると言ってましたよね? ご両親はすでに亡くなっていると……」

「ええ、そうですね。それが?」

「……その、生活費とかはどうされているんですか?」

 ヨハンはけっこう真面目な顔で訊いてきた。

 わたしは思わず笑ってしまっていた。

 ヨハンは少し慌てた顔をした。

「す、すいません急に変なことを聞いて……」

「いえ、別に構いませんよ。あのボロボロの家を見て思わず心配になってしまいましたか?」

「そ、そういうわけでもありませんが……」

 と、ヨハンは目を逸らしながら言った。嘘が下手な男だ。

「ご安心ください。当面の生活費は、親の残してくれた財産でどうにかなりますから。それに来年成人して働けるようになれば、その後は自分で稼げるようになりますし」

「ですが……最初は見習いですよね。見習いの内は、さほど給料はもらえませんよ? 働き始めたからと言って、すぐに生活が安定することはありません。だとすると、少なくとももう2、3年は財産を少しずつ切り崩して生活することになるんじゃないかと思いますが……それくらいの蓄えはあるんでしょうか?」

 と、今度は心配そうな顔でヨハンは訊ねた。

 それに関しては、ヨハンの言うとおりだろうな――と、わたしも思った。

 アンジェリカからの話を聞く限りでも、見習いの内の給料はさほど多くはなさそうだ。それでも無収入よりはマシだろうが、どれだけ切り詰めたとしても見習いの給料だけでは恐らく足りない。

 そして、

 当面の生活費はどうにかなる――なんていうのは真っ赤な嘘だ。それどころか真っ赤に燃え上がるほどの火の車なのだ、我が家の家計は。

 だが、別にだからといってわたしは何も困らない。

 お金がない。

 食べる物がない。

 着る物がない。

 生きていれば困ることはいくらでもある。

 、な。

「それくらいでしたら大丈夫ですよ。両親もそれくらいの蓄えは残してくれていますので」

 わたしは笑顔でデタラメを言った。

 こう言っておけば、ヨハンはきっとわたしの言った言葉をそのまま信じて、ほっと安心したような顔を見せるだろう。

 良くも悪くもお人好しのお坊ちゃん――それがヨハンという男のわたしの評価だった。

 これは決して馬鹿にしているのではない。

 ヨハンはそれでいいのだ。むしろずっとこのままでいて欲しいと思う。

 ……あいつみたいに全く別人のように変わり果ててしまうよりは、その方がずっといいだろう。

 いまの世界は良くも悪く平和だ。

 それが仮に、魔族から奪ったもので築き上げた平和なのだとしても、平和であること自体は良いことだ。

 わたしが魔族であり、そして魔王であるのなら、人間の平和など忌むべき物であるはずだ。人間が我々から奪い去ったものを、自らの手で奪い返すべきだ――と思うはずだ。

 だが……わたしには人間の平和を妬む気持ちや恨む気持ちはまったくなかった。

 わたしは知っているのだ。

 人間にだって、たくさん良い奴らがいるんだっていうことを。

 戦争さえなかったら、わたしは、わたしがこの手で殺してきた人間たちと、仲良く手を取り合っていたのかもしれない。

 もし時代が違えば、わたしはヨハンも、アンジェリカも、みんなこの手で殺していたのかもしれない。

 もうそんなのはたくさんだ。

 だから――これはこれでいいのだろう。

「……エリカさん、それって本当ですか?」

「え?」

 ふと気が付くと、ヨハンがさっきより真面目な顔でわたしを見ていた。

 そこには、わたしのデタラメにほっとしているお人好しの青年はいなかった。

 ヨハンはじっとわたしを見ていた。

 何かを探るような視線で。

 わたしは思わずその視線にどきりとしたが、すぐに笑みを浮かべた。

「ええ、本当ですよ。そんなに贅沢しなければ、ですけど」

「……」

 ヨハンはなぜか黙ってしまった。

 思っていたのと違う反応に、むしろわたしの方が少し戸惑っていた。

 ……あれ? なんだか……思っていたのと違うな。

 こいつのことだから、きっとあっさり信じてしまうだろうと思っていたのだが……その様子がまるでない。

 もしかして、わたしの家ってそんなにボロいのか? 確かにボロいのは間違いないが……そこまで心配されるようなレベルだったのだろうか。

 わたしは何も言わずに何やら考え込んでいるヨハンのことを、なんとなくじっと眺めた。


 μβψ


 ……これは何となくだが、ヨハンは直感的にエリカが嘘を吐いていると感じていた。

 特に理由はない。本当に何となくそう感じた、というだけのことだ。

(……エリカさんはこれまで、僕に対してお金の話は一度もしてこなかった。それに、僕が大貴族だと知っていても、何だか他の人とは態度が違っていた。何と言うか――とても普通な感じだった)

 ヨハンもこれまで、多くの女性と接してきた。

 彼の経験上、相手はいつも自分に対して積極的だった。こちらから声をかけずとも、むしろ相手の方から声をかけられることが多かった。

 お見合いの話なんかもそうだ。こちらから申し込まなくても、ヨハンにはいくらでもお見合いの話が舞い込んできた。

 だが、不思議とこれまでそういったことを嬉しいと思ったことはなかった。

 というのも、相手が求めているのが〝自分自身〟ではなく、単に〝マギル家の長男〟だったからだ。

 ヨハンはこれまであまり女性と楽しい会話をした記憶はなかった。親しい間柄の女性はブリュンヒルデだけと言ってもよかった。

 それ以外の女性とは……何と言うか、本当に上辺だけの会話しかしたことがない。そして、と感じたことも、まったくと言っていいほどなかった。

 しかし……エリカと話している時は、不思議とそういう感じはなかった。

 エリカは自分の目を見て話してくれている。

 そう感じたのだ。

『ヨハン様のそういうところ、わたしはとても素敵だと思います』

 ……思えば、恐らくあの時点で自分はエリカが好きになっていたのだろう。

 理屈じゃなく、単純にもっとこの人と会いたいと思ったことは、人生でこれが初めてだったのだ。

 ヨハンは自分が奥手である自覚があった。

 シャノンにはまた馬鹿にされてしまいそうだが、本当に女性と結婚するまでの道のりは2年か3年くらいはかかるものと今も思っているし、それくらいは必要だとも本気で思っていた。

 結婚は自分だけのことじゃない。相手に自分を知ってもらうにも、それくらいの時間は必要ではないかと思うからだ。

 だから、今日のヨハンには全くはなかった。

 むしろ、次の約束を自分で取り付けることが出来れば、それで上出来――そう思っていたくらいだ。

 ……だが、エリカの置かれている境遇や経済事情を知って、ヨハンは自分自身ですら思いもしていなかったことを考え始めていた。

(……に住んでいるくらいだから、お金は相当無いはずだ。それに成人までまだ少し時間がある。それに、成人したとしてもすぐに生活が改善するわけじゃない。苦しい状態はまだまだ続くはずだ。だったら、その状態のエリカさんをすぐに助けてあげるにはどうすればいいだろう――?)

 そう考えた時、ヨハンの脳裏には一つの答えしか浮かばなかった。

「……あのー、ヨハン様? どうかされました?」

 ヨハンがずっと黙って考え込んでいると、エリカの方から話しかけてきた。

 彼は顔を上げると……自分でもよく考えないうちにこう言っていた。

「――エリカさん。僕と結婚を前提にお付き合いしてくださいませんか?」

 ……と。

 

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