62,手の届かない世界
……というわけで、しばらく朝の用事がなくて暇になったのだ。
「いつもの癖で着替えちまったな……でもやることねえしな……二度寝でもするか……?」
そう考えたが、さきほどの悪夢を思い出して、すぐに頭を振った。
「……いや、やることはねえけど、とりあえずどっかぶらぶらするか――」
特に具体的なことは決めず、シャノンは部屋を後にした。
王城内を移動していると、彼は何だか城内の様子が少し騒がしいことに気付いた。
なんだ? と首を傾げていたが、すぐに思い出した。
(……ああ、そうか。今日は評議会の日だったな。つーことは、この王城にお偉いさんとかが集まってくるわけか……下手したらオヤジ殿やウォルターのやつにも会うかも分かんねえな。めんどいから城からは出ておいた方が良さそうだな)
……なんて、ちょうどそう思っていた時のことだった。
廊下の向こうからぞろぞろと人がやってくるのが見えた。
先頭を歩く誰かが、大勢の人間を引き連れて歩いている。ウォルターもああやってよく誰かを引き連れているが、それにしたって人数が多い。
(……やべ、ありゃあオヤジ殿じゃねーか)
すぐに相手が誰か分かった。
アルフレッド・アシュクロフトだ。
彼は現在の国王にして、そして今の自分の父親だ。
すでに向こうもこちらには気付いているだろう。
(ちっ、会いたくないと思うやつに限ってばったり会っちまうな)
まさか踵を返して逃げるわけにもいかなかったので、シャノンは廊下の端に移動して頭を垂れた状態で相手が近づいてくるのを待った。
「……誰かと思えばシャノンか」
「これは父上、おはようございます」
シャノンはなるべく慇懃な対応を心がけた。
だが、シャノンのことを見るアルフレッドの視線は冷ややかだった。とても自分自身の息子に向けるような目ではなかった。
「今日は評議会のある日だ。暇ならば貴様も顔を出してはどうだ?」
「いえ、わたしが出るなど怖れ多い……それに兄上が出席するのであれば、わたしなどいてもいなくても同じようなものです」
「まぁそうだな。お前も少しくらいはウォルターを見習え。いまさらお前には何も期待はしておらぬが、あまりこれ以上王族の恥を晒すようなことはするではないぞ。いつまでも若気の至りでは済まされぬからな」
「はっ、気をつけます」
シャノンは慇懃に頭を垂れる。
顔を伏せながら、シャノンは思った。
(……今日はまだ顔色が良さそうだな。だが、元気だった頃に比べたら随分と痩せたな。痩せる前はブルーノによく似てる顔だと思ってたが……今は別人だな)
アルフレッドは2年ほど前から頻繁に体調を崩すようになった。
それまではむしろ健康過ぎるほどだったのに、本当に急なことだった。
原因はいまも分かっていない。王宮の医師でもアルフレッドがどんな病気なのか分からなかったのだ。他にも名医と呼ばれる医師をあちこちから呼び寄せたが、それでもアルフレッドの病気のことは誰にも分からなかった。
……だが、シャノンは薄々勘づいていることがあった。
ウォルターが政治的に表に出るようになったのは、アルフレッドが体調を崩し始めてからだ。最初は体調が思わしくないアルフレッドに代わって公務を代行するという名目だったが、その頻度が増えるにつれて、ウォルターは目に見えて自分の権力を強化するように動き始めた。結果的に王権は安定し、アルフレッドはウォルターの政治手腕を高く評価するが、シャノンから見ればあんなのはウォルターが単純に自分のために自分の派閥を作りだしただけに過ぎない。ウォルターは状況を利用して、足場固めを行ったわけだ。
(……どう考えても、色々とタイミングが良すぎる。だとすれば、オヤジ殿が体調を崩したのはただの偶然じゃない。恐らくウォルターが――)
そこまで考えたところで、
「父上、おはようございます」
と、当の本人であるウォルターの声がした。
シャノンが顔を上げると、ちょうどウォルターが廊下の角から姿を見せたところだった。
げえ、と思わず顔を顰めそうになったが、それは何とか耐えた。
「おお、ウォルターか。戻っておったか。もう少し遅くなると思っておったが」
さきほどとは打って変わって、アルフレッドはウォルターに向かって満面の笑みを向けた。
ウォルターもまたわずかに笑みを浮かべて頭を下げた。
「今日は昼から評議会ですからね。なるべく早めに戻って参りました」
「急な仕事を頼んで悪かったな。お前にしか頼めなかったのだ」
「いえいえ、ご遠慮なさらないでください。わたしたちは親子ではないですか。父上の頼み事であれば、わたしはどんなことでも引き受けましょうぞ」
「うむ。やはり最後に頼りになるのはお前しかおらぬな……これからも頼むぞ」
「心得ております」
「では、わたしは先に準備をしておくとしよう。お前は休んでから来るといい」
「畏まりました」
アルフレッドは機嫌良さそうにその場を後にした。すでにシャノンが傍にいることなど忘れてしまったようだ。
「……さて」
父親の姿がなるなくと、ウォルターは一瞬で無表情に戻った。
それからゆっくりとシャノンへと目を向ける。
「どうした、シャノン。そんな端っこにいないでこちらへ来ればどうだ。兄弟なのだからそんなに遠慮することもあるまい」
「はっ」
言われたとおり、シャノンはウォルターに近づいた。
ウォルターの目は遠ざかるアルフレッドの背中へと向けられていた。
「……父上も哀れだな。やはり器ではない者が王になると苦労する。本人も、そして周りもな。誰も得をせん。そうは思わぬか、シャノン?」
「……いえ、わたしごときには何とも」
「ふん、遠慮するな。ここには俺とお前しかおらぬのだからな」
ウォルターは無表情のまま、改めてシャノンへと向き直った。
「父上は良くも悪くも凡庸だ。いっそ平気で他人を陥れられる人間だったならば、まだ良かったものをな。気が小さいから大それたこともできない、大事なことを決められない。そのせいで、結局誰も味方にはならない。周りは好き勝手にやるだけ。さぞ自分の味方が欲しかったことだろう。それが息子であれば、尚さら良いというものだ。俺は父上が王であったことを感謝せねばならんな。おかげで、俺は労せずして王になれるのだから」
「兄上が王になれば、この国は安泰でしょう。父上もご安心なさるはずです」
「ふん、心にも無いことを」
「滅相もありません。本心です」
シャノンは慇懃に頭を下げる。
ウォルターはつまらなさそうに鼻を鳴らして――不意に口端を歪めた。
「そうそう、シャノンよ。これはいちおう聞いておきたいのだが……お前はブリュンヒルデとは恋仲ではないのだな?」
「……は? ブリュンヒルデと、ですか? いえ、そのようなことはありませんが……」
「そうか。それを聞けて安心した。ではな」
ウォルターはいやらしい笑みを浮かべたまま、踵を返した。
その背中を見送りながら、シャノンは首を傾げていた。
(……いまの質問は何だったんだ?)
μβψ
その後、シャノンは王城を後にした。
愛馬である
行き先は特に決めていなかった。
というより、彼が行くべき場所など、どこにもないのだ。
今の彼は何の不自由もない生活が出来ている。
欲しい物は何でも手に入るし、やろうと思えば何でもできる。そういう立場と財力を彼は有している。
……だというのに、彼にはしたいこともなければ、行きたい場所もなかったのだった。
〝シャノン〟として生まれてからというもの、彼は心から何かを欲したということが、ただの一度もなかった。
贅沢品をたくさん買い、前世では手も出なかったような美女をはべらせて遊び呆けても、心が満たされたことは一度もなかった。
むしろ、派手に遊べば遊ぶほど心は渇いていく一方だった。
自分がいったい何を欲しているのか――それを考える度に、彼の脳裏に浮かぶのは、かつての記憶の彼方にあるとても小さくてささやかな幸せだった。
だけど、それはもう二度と手に入らないもので、絶対に手が届かないものだった。
……そう、思っていたのだ。
結局、シャノンは外をただブラブラしただけで、特に何かすることもなく、夕方には王城へ戻ってきた。
それから、向かったのは自室ではなく、この王城でもっとも見晴らしの良い場所だった。王城の渡り廊下だ。
彼はこうして、高い場所から街並みを見下ろすのが好きだった。
こうしていると、まるであの時に戻ったような気分になれるからだ。
「……ああ、遠いな」
彼の目は、どこかを見ているようで、どこも見ていなかった。
彼が見ているのは、ここではないどこかだった。
そこはもう二度と手が届かない場所。
帰りたくても帰れない場所。
そして――もう、この世界のどこにもない場所。
シャノンは日が暮れるまで、ただ
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