52,パーフェクト・エリカスマイル
思わず閉口してしまった。
わたしはシャノンを誑かした覚えもなければ、金が欲しいなどと思ったこともない。全てはこいつの一方的な憶測と妄想でしかない。
だが、問題なのはこいつがどうやらそれを勝手に事実だと思い込んでいるというところだ。まるでわたしは全てお見通しですよ、みたいな顔をしているのだ、こいつは。
……これはちょっと、さすがに一発くらいガツンと言ってやったほうがいいのかもしれんな。
さすがにそう思って口を開こうとした。
しかし、
「エリカ様、どうぞ」
テオがケーキとお茶を持ってきて、わたしの前に静かに置いた。
「え? あ、どうも。ありがとうございます」
完全に虚を衝かれたわたしは、思わず礼を言っていた。するとテオはにこりと微笑んで、今度はブリュンヒルデにも同じようにケーキとお茶を配膳した。
それが終わると、テオは静かにブリュンヒルデの背後に立った。側仕えとして一切そつの無い動きだった。
……まさか、いまのは狙ってやったのか?
テオはまるでわたしがブリュンヒルデに反論しようとしたタイミングを遮るようにケーキを持ってきた……ような気がする。
確かにあのまま言い返していたらただの言い合いになっていたかもしれない。もし狙ってやったのだったら相当できるやつだが……と思いつつテオに視線を向けると、テオは先ほどと同じようににこりを微笑むだけだった。わたしが言うのも何だが、本心のよく分からない顔だ。
……少し冷静になるか。
わたしはケーキを食べた。
……う、うまいな、これ。
ちょっと感動ものだった。普段甘い物を食べることがないからかもしれないが、やけに美味しく感じた。シャノンの料理もかなり美味いが、あいつは菓子の類いは作らないしな。ケーキの甘みがそのまま心に染み渡っていくような感じだ。
「あー、うん。まぁまぁね。まぁこんなもんかしらね」
わたしが感動していると、ブリュンヒルデは言葉通り「こんなもんか」みたいな顔でケーキをパクついていた。
イラッ。
……うん。こいつとは本当に何もかも相容れないようだな。今ので確信が持てた。
「で、いくらがいいのかしら?」
そんなことを思っていると、相手は手を止めて改めてそう聞いてきた。
わたしも手を止め、少し考えてからまずこう言った。
「……ブリュンヒルデ様。あなたはまず勘違いをしておられます」
「勘違い?」
「ええ。わたしは別にシャノン殿下のことを誘惑などしておりませんし、そもそも男女の関係がどうこう、何て言う関係ですらありません。全てあなたの思い違いです」
「思い違いですって? そんなわけないでしょう?」
はっ、とブリュンヒルデは馬鹿にしたように鼻で笑った。
「あいつがこの家に足を運んでいるのは知っているんだから。とぼけても無駄よ。男が女の家に来て、男女の関係じゃないなら何だっていうの? じゃあ、あいつは何のためにこの家に来てるっていうのかしら? まさかお茶をしにきてるだけとでも? そんなわけないわよね。素直に認めるのならわたしも別にこれ以上事を荒げるつもりなんてないわ。でも下手に言い逃れをしようっていうのなら、ちょっと痛い目を見てもらうことになるわよ?」
「痛い目……ですか?」
「ええ」
ブリュンヒルデはにやりと笑った。
「わたしのお爺様はこの国では顔が利くからね。ディンドルフ家に逆らって、この国で平穏に暮らしていけるなんて思わないことね」
「……それはようするに脅しですか?」
「どう捉えてもらっても結構よ。で、素直に白状するの? しないの? はっきりしてくれるかしら? わたしもそんなに暇じゃないのよね……だから手っ取り早く話を終わらせたいのよ。別にわたしはあなたを糾弾しに来たわけじゃないの。素直に事実を認めて、欲しいだけの金額を言えばそれでいいの。それで話は終わるんだから。わたしって優しいでしょう?」
ブリュンヒルデは高圧的に言った。まるでこちらの言い分など聞くつもりはない、という感じだ。自分が思っているように話を進めることしか頭にないようである。
……あー、うん。これはあれだな……ケーキのおかげでちょっと冷静になれたと思ったが……やっぱいっぺん言っといた方がいいな。
魔王の器はどうしたって? 悪いがそんなもんは知らん。
「だから、ほら。二度とシャノンに近づかないことをここで誓うのよ。そうしたら望むだけのお金をくれてやるわ。こんな家に住んでるくらいですものね。さぞお金には困ってるでしょう? お金、欲しいわよね? だったらここでわたしに誓いなさい。もう二度とシャノンには会いません、って」
ほら、とブリュンヒルデはわたしに回答を促した。
その顔は『答えなんて聞かなくても分かりきってるけどね』とでも言いたげだった。
「――」
正直、それでもうわたしは我慢の限界だった。
有り体に言うと――キレてしまった。
だから、わたしはこれ以上ない最高のエリカスマイルを相手に向けてこう言ってやった。
「お 断 り し ま す」
「そう、お断りするの。まぁそれが当然よね。懸命な判断――って、え?」
ブリュンヒルデが困惑したようにわたしを見返した。
「……いま、あなた何て言ったの?」
「お断りします、と申し上げましたが?」
「……」
ブリュンヒルデは黙ってしまった。
ほけー、とした顔になっている。
どうやら面と向かって拒絶されるとは思っていなかったようだ。こういう事態は想定外なのだろう。どうしていいのか分からず処理が追いつかないようだ。
だが、そんなのわたしは知ったことではない。
向こうが売ってきた喧嘩だ。
だったら望み通り買ってやるまでだ。倍の値段でもいいから買ってやる。
わたしはますます笑みを深めた。
「申し訳ありませんが、そもそもそれにわたしが答える必要があるんでしょうか?」
「……え? な、何ですって?」
「聞こえませんでしたか? なぜわたしがそのような質問に答える必要があるのか、と言ったのですけれど。わたしがあなたにそのような個人的なことを話す必要があるとは感じません。だってわたしたちは他人ですよね? 主従関係があるわけでもないですし。なので、お話するつもりは微塵もありません」
「……え、ええと?」
ブリュンヒルデはますます困惑したような表情を見せた。もしかしたら、こいつは今まで他人からこんなふうに言い返されたことがないのかもしれない。
もちろん、わたしは構わず続けた。
「だいたいからして、あなたは何のためにそんなことを聞くんですか? あなたは殿下の恋人なんですか? それとも婚約者なんですか?」
「え? いや、まぁ、べ、別にそういうわけじゃないけど……」
と、ブリュンヒルデは視線を逸らした。
わたしはまぁそうだろうな、と思った。もしそうなら最初にそう言っているだろう。ようするにこいつは、わたしとシャノンが仲良くしていることが単純に気に食わないだけの第三者、ということだ。いや別にシャノンと仲良くはしてないけども。
とりあえずだ。こいつがただの第三者であるのなら、手加減をする必要もない。礼には礼を返すが、無礼には無礼をきっちり返すまでだ。それでお引き取り願おう。
「じゃあ、あなたはどういうつもりでわたしにこんな話をしているんですか? 恋人でもない、婚約者でもない……もちろん家族でもないですよね。では、あなたはシャノン殿下と何の関係もないただの他人では?」
「た、他人なんかじゃないわよ!」
ブリュンヒルデは声を荒げて立ち上がった。
「わたしは、わたしはあいつの――」
「おい、ブリュンヒルデ。お前ここで何してるんだ?」
突然、ドアの方から声がした。
わたしもブリュンヒルデも、どちらも驚いたようにそちらを振り返った。
そこには、いつの間にかシャノン本人が立っていたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます