第9章

51,悪女

「……え? なに、ここ? 家? 廃墟じゃないの?」

 家の中に入ったブリュンヒルデの第一声はそれだった。

 やかましいわ、と思いつつとりあえずエリカスマイルで応える。

「ほほほ、まぁ多少は年季が入っているかもしれませんね」

「いや、多少とかいうレベルじゃないと思うけど――うおぉ!?」

 ブリュンヒルデの足が廊下の床をぶち抜いた。

 彼女はおもくそ顔面からびたーん!! と倒れた。

 けっこう痛そうだったが、思いのほかすぐに身体を起こした。

「ちょっと何よこれ!? 何で床が抜けるの!? どうなってんのよこの家は!?」

「申し訳ありません、ブリュンヒルデ様。我が家の床は重いものには耐えられないようになってまして……」

「わたしはそんなに重くないわよ!?」

「あ、すいません。言葉が足りませんでした。我が家は床が老朽化して弱っているのでちょっとした重みにも耐えられないようになってるんです。なので足元にはお気をつけください」

「ぜんっぜん言葉が足りてない上にそもそも言うのが遅いわよ!! ていうかさっきの言い方完全に悪意あるわよね!?」

「悪意だなんてそんな滅相もない……ただ朝っぱらからいきなり押しかけてきて家に入れろだなんて大貴族の方は随分と常識や配慮というものが欠落しているんだな、とは思いましたけれど……お金はあっても道徳や倫理は買えないものなんですね。とても勉強になりました」(満面のエリカスマイル)

「こいつ〇す……ッ!!」

「お嬢様、落ち着いてください。それと大貴族のご令嬢が物騒な言葉を言わないでください」

 今にも飛びかかってきそうだったブリュンヒルデを、側仕えのテオがやんわりと止めた。その様子を見る限りでは、実に手慣れた様子だ。

 テオはわたしに向かって深々と頭を下げた。

「エリカ様、度重なる非礼をお詫びします。確かに朝っぱらから人の家に押しかけて高圧的に中に入れろと言われて怒らないわけがありませんよね……」

「ええ、そうですね。しかも断られることをまったく考慮せず、一方的にそっちの都合だけで話を進められて、正直ちょっと怒ってますわよ。ほほほ」

 わたしはエリカスマイルのまま毒づいた。

 普段、わたしはなるべく周囲には愛想良くしているつもりだ。よほど失礼なことをされない限りは適当に受け流している。

 だが、このブリュンヒルデという女はまるで失礼の塊のようなやつだった。

 いきなり押しかけてきたこともそうだが、まず態度が気に入らない。とにかく偉そうなのだ。この国でお偉い大貴族だか何だか知らんが、あまりにも要求が一方的だ。

 急に「お前に話がある」とやってきて「じゃあ家に上げろ」とは普通はならんやろ。どんな教育受けたらそうなるんだ。腕力至上主義とはいえ、これなら魔族の貴族社会の方がまだよほど礼儀があるぞ。

 ……本当なら鉄の意志で追い出しても良かったのだが、シャノンのことで話があると言われて、わたしはなぜかこいつらを家に上げてしまったのだ。正直、上げたことを今は後悔している。

 やっぱり今からでも出て行ってもらうか……と思っていると、

「エリカ様。これはつまらないものですが、よろしければお納めください」

 すっ――とテオがわたしに箱を差し出した。

 ぱかっと開けると、実に美味そうなケーキが入っていた。

「さ、お二人とも。どうぞこちらへ。こちらが応接室になっておりますわ☆」

 わたしは心からの笑顔で二人を応接室へと案内することにした。


 μβψ


「エリカ様、キッチンをお借りしてもよろしいですか? 最高級の紅茶をお持ちしましたので、できればそれもご用意させて頂きたいのですが……」

「どうぞ好きなだけお使いください、テオ様」

「ありがとうございます」

 テオは丁寧に頭を下げて、キッチンへと向かった。

 ……うむ。あいつは良いやつだな。ケーキは持ってきてくれるしお茶も入れてくれる。とても気配りのできる側仕えだ。わたしが今も魔王なら直属の側近にしていただろう。

「なんかカビ臭くない? ていうかこのソファ座って大丈夫なんでしょうね? まぁ今日は安い服だから別に汚れてもいいけど」

 ……それに比べて主の方と言えばこの様子だが。

 ブリュンヒルデは偉そうにソファで足を組んで踏ん反り返っていた。

 ……これが〝客人〟の態度だろうか。もう少し何とかならんのか……と、ついイラッとしてしまった。

 だが、わたしはすぐに自分に言い聞かせた。

 ……いや待て。落ち着くのだわたしよ。こんな小娘にいちいち怒ってどうするというのだ。精神年齢的に見ればこいつの方が年下だし、何よりわたしは元魔王だ。魔王とは魔族で最強の存在であり、誰よりも度量の大きな存在でなければならない。魔王の器を持つわたしがこんな小娘にいちいち怒る必要などないのだ。何を言われても適当に聞き流せばいい。それが魔王の器を持つ者の度量というものだ。

「それで、ブリュンヒルデ様。シャノン殿下のことでお話があるということでしたが……どのような話でしょう?」

「率直に言うわ。あなた、シャノンのことを誑かすのはやめてくれる?」

「……はぁ?」

 思わず素の声が出てしまった。

 それだけこの女の言い放った言葉はわたしにとっては想定外過ぎるものだった。

 ……誑かす? わたしが? あいつを?

 もちろんそんな記憶は一切ない。

 だが、ブリュンヒルデはまるでこちらの困惑などお構いなしに続けた。

「あいつが最近、この家に度々訪れていることは知っているわ。まぁおおかた、この間の式典でうまいことシャノンのことを誘惑したんでしょうけど……あなた、もう少し自分の身分というものを弁えた方がいいわよ? あなた小貴族よね? しかも見るからに貧乏くさいし」

「……」

「まぁ確かに? あなたの顔が他の連中よりちょっとばかし綺麗なのはわたしも認めてあげなくもないわ。このわたしと張り合えるレベル――かもしれないわね。でも、所詮は小貴族よね? あなたはうまいこと王子を籠絡できて喜んでいるかもしれないけど、普通に考えて王族と小貴族とじゃ家格がまったく釣り合わないじゃない?」

「……」

「はっきり言って、あなたの存在は迷惑なのよね。あいつの女好きはいまに始まったことじゃないけど、でもさすがに小貴族なんかが相手だと醜聞になるでしょ? あなたがあいつと会うだけで、あいつの立場が相対的に軽く見られてしまうのよ。あの王子は小貴族でも相手にするんだってね」

「……」

「まぁあなたの魂胆は分かってるわ。どうせお金が目的なんでしょう? だったらわたしが代わりに手切れ金を払ってあげるわ。それであいつとは縁を切ってくれる? いくらがいい? 好きな金額を言いなさい。すぐに払ってあげるわ」

「……」

 わたしはぽかーん、としたまま相手の話を聞いていた。

 何を言われているのかまったく理解が追いつかなかったのだ。

 ええと……ようするにどういうことだ?

 つまりわたしがシャノンをお金目的で誑かしているから、それをやめろ――という話なのか? で、金なら自分が払ってやるからさっさと縁を切れ――と?


 



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