50,恥ずかしがり屋

「……」

 アンジェリカはシャノンが使っていた木剣を拾い上げた。

(……あの人、何だかんだ言いながらテディ様の剣を全部わね)

 彼女は先ほどの稽古の光景を思い出した。

 エリオットは『必死だな』みたいなことを言って笑っていたが……? テディは〝最強の騎士〟と言われている男だ。並みの騎士なら一撃で剣を持って行かれるだろう。

(あの人がまともに剣を握ってるところなんて今日初めて見たけど……明らかに戦い慣れてたわね。テディ様相手にあれだけ出来るなら、わたしのお父様よりも、もしかして強いんじゃないの……?)

 そんなまさかとは思いつつ、しかし一度抱いた疑念を、彼女は払拭することができなかった。

「おや? 今日はシャノン殿下は来てないのかい?」

 ふと声がした。

 振り返ると、そこにはヨハンの姿があった。

 アンジェリカは少し驚いた顔をした。

「あれ、ヨハン様? 今日は予定があって訓練には来られないはずじゃ?」

「ああ、うん。そのはずだったんだけどね。予定が変わったんだ。だからちょっと顔を出そうと思って。それに今日は父上が意地でもシャノンを稽古に連れてくるんだって息巻いてたからさ。それもどうなったのかなぁ、って……あれ? シャノンと父上は?」

 ヨハンはきょろきょろと周囲を見回した。もちろん二人の姿はどこにもない。

「あー……ええとですね」

 アンジェリカは少し視線を彷徨わせてから、とりあえずこう言っておいた。

「ちょっと殿下の体調が思わしくなくなったので、稽古は中止になりました。テディ様はシャノン殿下に頼まれて部屋まで薬を取りに行ってます」

「え? 薬? シャノンって何か薬なんて飲んでたっけ?」

 驚いたヨハンは、ついシャノンのことを呼び捨てにしてしまった。

「あー、えっと、そのー……」

 アンジェリカは答えに窮した。シャノンのことはヨハンの方がよく知っているのだから、テディは誤魔化せてもヨハンを誤魔化すのは難しい――というか無理だ。

 アンジェリカの様子がおかしいので、ヨハンは何か気付いたような顔になった。

「アンジェリカ。もしかしてだけど……シャノン殿下は逃げたんじゃないのかい?」

「……逃げたというかまぁ、苦しがるフリをしてテディ様に飲んでもいない薬を取ってくるように頼んで、その間に姿を消したような感じと言いますか……」

「……あー、うん。なるほど。だいたい分かったよ。やっぱりこうなったか……」

 ヨハンは額を押さえて溜め息を吐いた。

 それから、ふと不思議そうに顔を上げた。

「しかし、君が殿下を庇おうとするなんて珍しいね。いつものアンジェリカなら、むしろ怒ってるところだと思うけど」

「ええと、それはまぁ……そうなんですけど……」

 ヨハンに指摘されて、アンジェリカは自分でもまったくその通りだと思った。

(……あれ? わたしどうして殿下のこと庇おうとしてるのかしら……?)

 なぜか自然とそうしようとしていた自分に、今さらながら疑問が生じた。

 思えば、なぜあんなことを最初に言ったのだろう? テディが戻って来たら言い訳しておいてくれと言われて、自然と『仕方ないからそうしてやろう』と思ったのだ。以前ならその場で噛み付いていただろうに、と自分でも思う。

 アンジェリカが困っていると、ヨハンは何をどう解釈したのか、少し苦笑しながらこう言った。

「無理しないでいいよ、アンジェリカ。どうせ殿下に無理矢理、言い訳しておくようにって頼まれたというか、押しつけられたんだろう? まぁ父上には僕がうまく言っておくよ。逃げたなんて言ったら、また父上の頭に血がのぼりそうだしね」

「えっと、はい。ありがとうございます(?)」

 アンジェリカはお礼を言っておいた。何のお礼なのかは自分でもよく分からない。

「あー、そうそう。それとこれは個人的な用件なんだけど……」

 と言いつつ、ヨハンはなぜか周囲を気にする様子を見せた。

 アンジェリカは小首を傾げた。

「なんでしょう?」

「その、もしエリカさんが良ければなんだけど……また彼女に取り次いでもらえないかな。今度は演劇でも誘おうと思ってるんだけど……」

 ヨハンは照れた様子で言った。

 アンジェリカは顔には出さなかったが、内心ではかなり驚いていた。

(え? もう一度誘うってことは……ヨハン様、もしかしてエリカにけっこう本気だったりする? 何となく脈はありそうな気はしてたけど……)

 アンジェリカはいつもエリカのことを心配している。だから、もしヨハンがエリカをめとってくれたらな――とはちょっと思っていたのだ。そうすれば、エリカはもう貧乏な生活をしなくても済む。それに、ヨハンは本当に信頼できる人物だ。ヨハンであれば、エリカを心から任せられる。だから、以前のヨハンからの仲介も快く引き受けたのだ。

 そして、こうして再びヨハンが取り次ぎを願い出てくるということは……ヨハンはきっとエリカに本気なのだろう。それはアンジェリカにとっては、とても喜ばしいことだった。余計なお世話だと分かっているが、それでもエリカの生活をどうにかしたいとアンジェリカは常々思っているのだ。

 だが、なぜか彼女の脳裏には一瞬、シャノンとエリカが仲良さげに話している光景が浮かんだ。

「ん? どうかしたかい?」

「あ、いえ、何でもありません」

 アンジェリカは我に返って、

(いえ、これはエリカのためだもの。こうするのが一番いいのよ)

 そう自分に言い聞かせてから、とりあえず頷いておいた。

「分かりました。エリカにはわたしの方からそのように取り次いでおきます」(まぁ演劇なんて全然興味ないとは思うけど)

「ありがとう、助かるよ」

 ヨハンはほっとした顔を見せた。

 そこでふと、アンジェリカは思ったことを口にしていた。

「でも、ヨハン様。次も誘うつもりがあったのなら、直接誘えばよかったのでは? 毎回、ドーソン家うちを仲介しなくてもいいんですよ?」

 アンジェリカはてっきり、ヨハンが貴族同士の付き合いにおける作法などを気にしているのかと思ってそう聞いたのだが、

「いや、ええと、その……」

 と、ヨハンはますます恥ずかしそうな顔になった。

 アンジェリカが首を傾げていると、彼は小さな声でこう言った。

「……ごめん。僕も直接誘おうと思ったんだけど、恥ずかしくて無理だったんだ」

「え?」

 思ってもいなかった答えが返ってきて、アンジェリカは少し返答に困った。

 これが気心の知れた相手なら『は? なに恥ずかしがってんのよ! 男でしょ! ガツンといきなさいよ!』と発破でもかけていただろうが、相手は自分の上官だし、何より目上の人間だ。かといって『そうですよね、恥ずかしいですよね』と同意するのもなにか違う気がする。

「あー……そう、なんですね。なーるほどぉ……」

 結局、アンジェリカは何とも言えない返事をするしかなかった。

「シャノン殿下ーッ! お薬をお持ちいたしましたぞーッ!」

 ちょうどその時、テディが汗まみれの暑苦しい顔で戻って来た。

 彼はハァハァ言いながら、周囲を見回した。

「む? シャノン殿下はどちらだ?」

「……」

「……」

 アンジェリカとヨハンはお互いに顔を見合わせ、どちらともなくお互いに頷き合った。

 とりあえず、二人はテディの頭に血が昇らないよう、うまいこと言い訳をしておいたあげた。

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