2,魔王の最期
……それすらも、今や風前の灯火だが。
「……考えても仕方ない、か」
思わず自虐的な笑みが漏れた。
まさかわたしの代でゲネティラが消滅することになろうとは……父上や先代の魔王たちに申し訳が立たない。
いっそ自分で首を引き裂いて死んでしまいたかった。
だが、魔王であるわたしがそんな無様な死に方をするわけにはいかない。
そう、わたしは魔王なのだ。
魔王であるからには――最後までその勤めを果たさねばならない。
「――
魔法を使った。全身を鎧化する魔法だ。
もうすぐ〝敵〟が来る。
気配でそれが分かった。
やがて、一人の男が玉座の間に姿を現した。
「……貴様が魔王メガロスか」
どこまでも暗い目をした男だった。まるで底なしの闇のようだ。我々なんかよりよほど〝魔族〟のような男だ。
でも、見た瞬間に分かった。
その男は――ヴァージルだった。
ヴァージル・パーシー。
人間たちからは〝勇者〟と呼ばれる男。
そして、我々の同胞を最も多く殺した大量殺戮者。
魔族にとっては最大の敵とでも言うべき相手。
だが、正直なところ、わたしはその姿を見て安堵を覚えてしまった。
……ああ、よかった。生きていたんだな、ヴァージル。
開戦直前、危険を察知した多くの人間たちがこのゲネティラの王都から逃げた。わたしは隙を見て一度だけあいつの家に行ったが、あいつはもういなかった。家族と一緒に逃げた後だったのだ。
結局、あの場所で別れたのが最後になってしまった。
もう二度と会えないだろう――そう思っていた。
でも、またこうして会えた。
それが例え敵同士だったとしても……わたしは本当に嬉しかったのだ。ヴァージルが生きていてくれた。そのことだけがわたしにとっての救いだった。
「……来たか〝勇者〟よ」
約束は果たされた。
でも、いまのわたしはもうミオソティスではない。それは〝魔王〟になった時に捨てた名前だ。
だから、わたしは武器を構えた。
相手も武器を構えた。あれが数多くの同胞を屠ってきた悪名高い魔術兵器〝聖剣グラム〟だろう。
一瞬。
ほんの一瞬だけこんなことが頭を過った。
ここでわたしがかつて一緒に遊んだ〝ミオ〟だと正体を明かせば――こいつはどうするだろう?
剣を収めてくれるだろうか?
また昔みたいに笑いかけてくれるだろうか?
また昔みたいに手を繋いでくれるだろうか?
「――」
開きかけた口を、わたしは閉じた。
……今さらそれを言って、わたしは何をどうしたいのだろうか。
わたしは魔王として数多くの人間たちを殺す指揮を執ってきた。
そのわたしが、今さらどの面下げて、ヴァージルに〝ミオ〟として再会できるというのだろう。
そう、わたしは〝魔王〟だ。
だから――わたしは最後まで、その責務を果たさねばならない。
「貴様を殺して、この戦争を終わらせる」
ヴァージルが〝
わたしたちは十五年ぶりに再会して――そして、殺し合った。
ヴァージルは強かった。
あんなに泣き虫だったのが信じられないくらいだ。わたしがいないと何も出来なかった弱虫のヴァージルはもう、どこにもいなかった。人間は弱い……だが、魔術道具という“力”がある。それが人間の強さだ。
死闘の末、わたしは敗北した。
動けなくなったわたしの喉元に、ヴァージルが剣先を突きつけた。
「……最後に何か言いたいことはあるか?」
と、ヴァージルは言った。
言いたいことはあった。
たくさんあった。
あれからどうしていたのか。泣いたりしなかったか。酷い目に遭ったりしなかったか。お腹は空かせていなかったか。家族は無事なのか。それと――
……どうして、そんなに泣きそうな悲しい目をしているのか。
闇のように暗い瞳の奥に、わたしはかつてのこいつの片鱗をわずかに見たような気がした。虫も殺せなかったあの頃の、泣き虫の小さな男の子。
出来れば、昔みたいにもう一度頭を撫でてやりたかった。
わたしはヴァージルに向かって手を伸ばし――相手の剣を掴んだ。
それから、自ら剣先を喉元に突きつけた。
ヴァージルがわずかに驚いた顔をした。
わたしは笑った。と言っても、
この時、わたしは心から『ようやく死ねるのか』と思った。
戦争なんてもうまっぴらだ。殺されるのも、殺すのも、もうイヤだ。うんざりだ。
だが、〝魔王〟である限り自ら死ぬことは許されない。
だからわたしは――ずっとこの時を待っていた。
いつか〝勇者〟がわたしの元へ来てくれるこの時を。
これで全てから解放される。
もういい。
もうたくさんだ。
わたしはもう――戦争なんてしたくない。
「――感謝する」
自然と言葉が出ていた。
本心だった。
本当に――わたしはただ、死ねることに感謝していた。
ヴァージルは少し迷うような素振りを見せたが――やがて、意を決したように剣に力を込めた。
これまで散々、魔族を殺してきただろうに……なのにヴァージルの顔は、なぜか苦しげだった。
剣がわたしの首を貫いた。
すぐに血が溢れてくる。
息をしようとしても、息ができない。
まるで溺れているような感覚だった。
意識が遠のく中、わたしは一つだけ後悔していた。
それは〝魔王〟としての後悔ではなく――わたし自身の後悔だった。
……ああ、結局、ヴァージルに好きだって最後まで言えなかったな。
次に会ったら、ちゃんと言おうと思ってたんだ。もちろん叶うはずなんてない恋だったけど……でも、せめてわたしがお前を好きだったってことだけは、ちゃんと伝えておきたかった。
でも、もう無理だ。
好きだと伝えたくても、声が出ない。
わたしはもうすぐ死ぬ。
全てが血と共にこぼれていく。
生きるために必要な〝何か〟が、身体から失われていく。
それはまるで、冷たい海底へゆっくりと沈んでいくような感覚だった。
最後に、無意識にわたしは懐に手を当てていた。
そこにはあの石があった。
ずっと持っていたのだ。
ずっと待っていたのだ。
いつかこうして、ヴァージルと再会した時のために。
大事に、本当に大事にずっと持っていた。
でも――意味、なかったな。
わたしは本当に……馬鹿だなぁ。
μβψ
……願わくば。
もし再びヴァージルと出会えることがあるのならば。
その時は、争いのない、平和な世界で会いたいな――
なんて、わたしはそんな間抜けなことを考えながら、死んでいったのだった。
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