3,逃れられない罪と、二度目の人生

 わたしは見渡す限りの荒野に立っていた。

 夥しい数のむくろがどこまでも転がっている。

 ここは、まるで伝承に語られる〝死者の世界ニヴルヘイム〟のような場所だった。

 どこまで走っても同じ光景が続いている。

 屍臭がまるで縋り付くように、全身に纏わり付いてくる。


 ――お前のせいだ。

 

 魔族か人間かも分からない骸たちが怨嗟の声を響かせる。

 幼い姿のわたしは、必死に走っている。

 それは逃げるためではない。

 


 ――お前があの時、戦争を止めてさえいれば。

 ――我々がこうなることはなかった。

 ――全てはお前のせいだ。


 違うの、わたしは戦争を止めようとしたの。

 でも、わたしはまだ小さかったから、誰も話を聞いてくれなくて……。


 ――そんな言い訳が通用すると思っているのか?

 ――あの時、戦争を止められたのは〝魔王〟であるお前だけだった。

 ――この戦争の責任は、全てお前にある。


 ごめんなさい、ごめんなさい。

 許してください。

 許してください。

 どうすれば、わたしを許してくれますか。


 ――いいや、お前は絶対に許されない。

 ――何があっても。

 ――お前はせいぜい苦しんで、最後はのたうち回って死ね。

 ――死ね。

 ――死ね。

 ――徹底的に苦しんで、そして死ね。


 ごめんなさい、ごめんなさい。

 わたしは

 わたしはちゃんと死ぬから、せめてわたしの大事な人たちは無事でいさせてください。


 ――いいや、それも許されない。

 ――我々をこんな目に遭わせておいて、自分の大事な者だけ見逃してもらおうなんて、許されることではない。

 ――お前は苦しんで死ね。

 ――そのために、お前の大事な者達を、我々は全て殺す。


 少し遠くにわたしのがいる。

 わたしは必死に叫んだ。

 早く逃げて、と。

 でも、声は届かない。

 どれだけ必死に手を伸ばしても、指先すら届かない。

 それでも、必死に走って、ようやく指先が届きそうなところまでやってきた。

 幼いわたしは必死に手を伸ばした。

 その瞬間、喉を貫かれる。

 気が付くと、わたしの喉から血が溢れていた。

 息ができない。

 いくら息を吸っても、苦しさは変わらない。

 倒れ込んでのたうち回る。

 それでもどうにか這いつくばって、わたしは手を伸ばす。

 だが、そこにはもう骸が転がっているだけだった。

 全員、わたしの知っている者たちの顔だった。

 わたしは泣きながら、彼らの骸にしがみつく。

 ……ああ、ダメだ。間に合わなかった。

 これはわたしのせいだ。

 全部、わたしのせいなんだ。

 あの時、わたしが戦争を止めていれば。

 あの戦争を止めることは、わたしにしかできなかったのに。

 だからこれは……その報いなんだ。

 

 ――そうだ。

 ――全てはお前のせいだ。

 ――だから、苦しんで死ね。

 ――大事な者が目の前で死んでいくのを見るのは苦しいだろう。

 ――絶望を見ながら死んでゆけ。

 ――それがお前への罰だ。

 ――それがお前のあがないだ。


 死者たちの黒い手があちこちから伸びてきて、わたしの大事な者達の骸を引きずり込んでいく。わたしはただ、それを見ていることしかできない。

 やがてわたしも、黒い無数の手によって全身を掴まれ、そして底のない暗闇へと引きずり込まれていった。

 ……暗闇に沈む中で、わたしは切実にこう思った。

 ――と。


 μβψ


 はっ、と目を覚ました。

 慌てて起き上がる。身体中は汗でべっとりだった。

 無意識に喉元に触れた。当然だが血が溢れているなんてことはない。息もできる。そんな当たり前のことに、わたしはとてつもなく安堵していた。

 もちろん、どこにも骸なんて転がっていないし、屍臭もない。黒い手が蠢いている、なんてこともない。

「……また、あの夢か」

 わたしの周りは荒野ではなく、普通の寝室だった。

 当然だが魔王城でもない。

 全ての感触が、わたしに今いるこの場所こそが現実なのだと教えてくれている。

 だというのに、わたしにとっては未だにの方が夢の中みたいだった。

 ……かつて、わたしは確かに死んだはずなのだ。

 魔族の国ゲネティラの最後の魔王――メガロスとして。

 勇者となったヴァージルと戦った時のことも、死ぬ間際のことも、全てはっきりと覚えている。あふれ出す血と共に身体から熱や生気といったものが零れ落ちていくようなあの感覚を、わたしは覚えている。

 ……だというのに。

 わたしはベッドから降りて姿見の前に立った。

 そこには長い黒髪の少女が立っていた。

 もちろんそこにいるのは人間だ。ツノもなければ尻尾もない。触れればそのまま形を失ってしまいそうなほどに細く華奢な身体、そして透き通るような白い肌。

 正直、わたしは未だにこう思う。

 こいつは誰だ? と。

 ……ここでようやく、わたしの寝ぼけた意識が現実を正しく認識し始める。

 これは夢でもなんでもない。

 そう、ここは紛れもない現実の中であり――鏡の中にいる少女は姿なのだ、と。

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