4,貴族の優雅な朝食

 唐突だが諸君は“生まれ変わり”という言葉を知っているだろうか。

 わたしは知っている。なぜならわたしは賢いからだ。魔王は誰よりも強く賢いので当然である。

 そう、ようするに何が言いたいのかと言うと……かつて〝魔王〟だったわたしは、なぜか人間に生まれ変わってしまったのだ。

「うーん、しかしツノも尻尾もないというのは未だに変な感じだな……どうも心もとない」

 鏡の中にいる少女をまじまじと見た。傍から見ればたぶん変なやつだろう。どんだけ自分が好きなんだこいつは、とか思われそうだ。

 ……だが、わたしにとって鏡の中の少女は“自分”ではないのだ。まるで知らない他人……生まれ変わってからもう十四年も経つというのに、その感覚は消えていなかった。

 わたしはぷにぷにした自分の二の腕をつまんだ。

「相変わらず貧弱な身体だのう……人間というのはどうしてこう貧弱なのか」

 つくづくそう思った。まぁ、その貧弱な人間に負けたわたしが言うことではないのだが。

 そう、人間というのは本当に貧弱な種族だ。魔族と比べればあらゆる点で劣っている。

 魔族なら強靭な肉体に加え、魔力による身体強化があるし、魔力を四元素と干渉させて魔法を使うこともできる。だが、人間にはそれができない。

「……うーん、つくづく魔族が人間に敗北したのが信じられん」

 思わず言葉が漏れていた。

 とはいえ、それはもうである。

 今さらあれこれ考えたって仕方ないことだ。

「そうそう、もう終わった話だ。考えるのはやめよう」

 わたしは頭を切り替えた。

 今のわたしの名前は『エリカ・エインワーズ』という。

 なんと人間のお貴族様だ。

 人間の社会にも、魔族の社会と同じように身分や階級というものはある。魔族の社会にも貴族という身分はあったので、そこらへんはまぁ似たようなものだと勝手に認識している。細かいところはよく知らん。

「さーて、優雅に朝メシとしゃれこむか」

 貴族たるものつねに優雅であらねばならない。

 これでもかつては魔王である。

 魔族の王族として生まれたわたしは幼少期から礼儀作法や勉強をたたき込まれた身だ(まぁ頻繁に脱走してはいたが)。人間の貴族として生まれ変わっても、礼儀の塊のようなこのわたしにとっては礼儀作法など恐るるに足らんのだ。

 部屋を出る。

 一歩踏み出した瞬間に床が抜けて足がハマった。

「え?」

 そのままぶっ倒れた。

 ぐへえ、と淑女にあるまじき声が発せられたような気がするが、そこは無かったことにしようと思う。

「いたたた……くそ、か」

 穴の中から足を引っこ抜いた。

 怪我はしてないみたいだな……と足の具合を見ていると頭に何か当たった。

 水滴だ。

 見上げると雨漏りしていた。天井にシミが出来ている。

「こっちもか……」

 さすがにちょっとうんざりした。

 ま、でもこの家ではだ。気にしてもしょうがない。

 わたしは一階に降りてまずキッチンに向かった。

 人間の生活には〝魔術道具〟というものが欠かせない。

 魔術道具というのは、ようするに魔法を起こす道具みたいなものだ。人間は魔族のように魔力を制御して操ることはできないが、魔力そのものは保有している(ただし魔族に比べるとカスみたいな魔力量だが)。その魔力を活用して擬似的に魔法を発生させるための道具が、つまり魔術道具というわけだ。

 魔術道具は人間の生活に完全に組み込まれている。例えば部屋の照明一つとっても魔術道具だし、キッチンにある調理器具も全て魔術道具である。

 例えばこの焜炉コンロと呼ばれる調理器具もそうだ。

 こいつも魔術道具である。ツマミに触れてカチッと回すだけで火が点くという便利な道具だ。

「わたしも人間の生活を始めてそれなりに経つからな……魔術道具の扱いも慣れたものよ」

 フッ、と意味深に笑った。

 特に意味は無い。

「さて、何を作るか……」

 わたしは氷室ひむろを開いた。ここは食べ物を保存しておく魔術道具だ。これそのものが魔術道具の一種であり、食べ物を低温で保存しておくことができるのだ。貴族のキッチンには氷室は必ずと言っていいほどある。平民は知らん。

「……おや? 全然冷たくないな」

 わたしは異変に気づいた。

 氷室の中は明らかに常温だった。というかなんかすっぱい匂いがする。

 まさかと思って保存しておいたの食料を確認すると、明らかにダメになっていた。

「……ま、魔術道具の故障か」

 どうやら温度調節をする部分がイカれたようだ。ついこの間修理したばっかりなのだが……。

「くそ、せっかくの肉が……」

 肉屋でお裾分けしてもらった肉がなんか妙な色合いになっていた。久しぶりの肉だと思って大事にとっておいたのに……やはりさっさと食っておけばよかったか……? くう……。

「……いや、焼けばまだ食えるのでは?」

 そうだ。諦めるにはまだ早い。まずは焼いてから考えよう。ここで諦めて捨てるのは簡単だが、かつて魔王だったプライドにかけて、簡単に諦めることなどできない。できようはずもない。いや本当に。

「まずは調理器具を……」

 焜炉の上にフライパンを用意する。

「それから火を点けて……」

 カチッ、カチッ。

「……あれ?」

 火が点かない。

 おかしいな、と思いながら再びツマミを回す。

 カチッ、カチッ、カチッ、カチッ。

 点かない。

「……」

 カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ。

 点かない。

「……」

 カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ。

 点かない。

「だー!! うっとうしい!! もうええわい!!」

 わたしは手元に魔力と集中させ、周囲の火元素と干渉させて火を起こした。

 そう――これは魔法だ。

「ったく、やっぱこっちの方が手っ取り早いな」

 そのまま火を操ってフライパンを熱する。知らない人間が見たらちゃんと焜炉を使っているように見えるだろうが、実際はわたしの魔法だ。

 本来、人間には魔法は使えない。

 だが……人間に生まれ変わったわたしはなぜか魔法をそのまま使うことができる。

 正直、理由はよく分からん。なんかやろうと思ってやったら出来たのだ。

 前世の魔力を制御する感覚と、それを四元素と干渉させる感覚を、わたし自身が記憶と共に引き継いでいるからかもしれないが……やはりちゃんとした理由は不明のままだ。

 もちろん、これを誰か他の人間に知られる訳にはいかない。

 というのも、人間たちの感覚では『魔法が使える=魔族』という認識だからだ。

 魔族には色んな種族がいる。その中には比較的、人間と似たような見た目の種族もいる。前世のわたしがそうだ。ツノと尻尾が生えていただけで、後は特に人間と変わりなかった。逆に言えば、ツノと尻尾がなかったら見分けはつかないだろう。

 わたしが人前で魔法なんて使えば、すぐに『あいつは魔族だ』と言われる羽目になる。

 そうなったらどうなるか?

 答えは簡単。

 処刑だ。

 いまや魔族は人間の宿敵だ。魔族は発見され次第、問答無用で殺される。隠れ潜んでいる魔族を炙り出して処刑することを現代では“異端狩り”というそうだ。その異端狩りを専門に行っている〝異端審問官〟という連中もいるという話だ。

 それが、今のこの世界の姿だ。魔族は存在することすら許されないというわけである。

「……さて、とりあえず焼けたな」

 匂いを嗅いでみた。

 うん、いける気がする。やはりこういうのは、とにかく焼けばいいのだ。焼けばだいたいのことは解決する。火こそパワーである。

 皿に肉をのっける。


 皿。

 肉。


「……」

 ……さすがに色味が足りないな。

「野菜もいるな」

 そう思い、庭に移動する。

 貴族の邸宅に庭があるのは当然のことだ。貴族が庭でお茶会を開くなど息をするのと同じくらい自然なことだ。だから貴族の庭はつねに丹念に手入れされていなければならない。

 ……のであるが、うちの庭は完全に野菜畑と化していた。

 大して広くはない庭に、丹念に手入れされた畑があった。今は四種類ほど育てている。トマトとかナスとキュウリとか、比較的育てやすいやつばかりだ。

 ここが野菜畑と化したのは半年ほど前からである。

 ある日の昼下がり、わたしはふと気付いたのだ。

 野菜から種をとって、それを土に撒けば無料タダで野菜が食えるのでは? と。

 ……我ながら天才的な発想だったな。

 発想の勝利に酔いしれながら、少し大きくなっているトマトの実に触れる。

「むう……食うにはまだ少し早いか。ならば――」

 わたしは再び、手に魔力を集中させた。

 そのまま、魔力をトマトに注ぎ込んでいく。

 すると、まだ少し青かったトマトがすぐに熟して真っ赤になった。

「うむ。これなら食えるな」

 それを繰り返して、他の野菜も収穫する。ちなみにこれは自分の魔力を利用して野菜の成長を促進させただけでいわゆる魔法ではない。

 愛情まりょくたっぷりの野菜を持ってキッチンに戻る。

「てい」

 包丁を使うのはめんどいので風魔法でパパっとスライスして皿にのっける。

 後はいつも行くパン屋で安く譲ってもらった出来の悪いパンを添えれば――

「できた!」

 貴族の朝食が完成した。


 味付けせずに焼いた肉(少しコゲている)

 採れたての新鮮な野菜(味付けは特にない)

 パンになりきれなかったパンのような食べ物(めちゃくちゃ硬い)


「……」

 うん。

 相変わらずひどい食事だ。

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