5,アンジェリカ・ドーソン
わたしは貴族だ。
これは嘘ではない。
ただ一つ付け加えるなら、貴族は貴族でもわたしは〝小貴族〟というやつなのだ。
小貴族とはつまり貴族界における最弱の存在である。
小貴族は主に上位の貴族に仕える立場であり、中貴族の使用人などは小貴族が務める。
では小貴族は誰を使用人にするのかと言えば、主に平民だ。
どんなショボい小貴族でも、何人かの使用人は雇うものだ。でなければ貴族としての『見栄』が張れないからだ。
だが、うちに使用人などはいない。残念ながら『見栄』を張る金もないのである。
しかも、わたしの今世での両親は、もうとっくにどちらも他界している。
母親は今のわたしがまだ小さな頃に亡くなり、父親の方は半年ほど前に亡くなった。
つまり、わたしはすでに天涯孤独の身だった。
この家を見れば分かるように、わたしの家はとても貧乏な家だ。現在は親が残したわずかばかりの財産を取り崩しながら、毎日爪に火を灯すような日々を送っている。
貴族が住んでいる場所は基本的に王都の中心部に集中しているが、小貴族が住んでいるのは平民たちが住んでいる場所との境あたりだ。ぶっちゃけ、金持ちの平民のほうがわたしよりよほど良い生活をしていると思う。
だが、貴族には魔術道具を使える特権がある。
この特権があるおかげで、貴族は平民よりも優位に立つことが出来る――のだが、そんな特権あっても金がなければ何の意味もないんだよな。ははは。
むしろ高価な魔術道具も『見栄』のために揃えなければならないので、木っ端のような小貴族たちは基本的に貧乏だ。そして、うちはその中でもより貧乏――つまり最弱の存在の中のさらなる最弱ということだ。もうよわよわである。
「ま、こうやって屋根があって食うものがあるだけ恵まれていると思わなければな……」
もしゃもしゃと野菜をほおばる。
続けて焼いた肉。
「……」
なんか、よく見たら微妙だな。色合い的に。匂いもなんとなく……いや、恐れるな。とりあえず焼けば何とかなるだろうの精神だ。
ぱくっ。
もぐもぐ……。
うん。
ゲロマズだな、これ。
やっぱ焼いてもダメなもんはダメか。
そう思いつつ、わたしは無表情で朝食を完食する。
例え肉が多少傷んでいるからといって、それを食べないという選択肢はわたしにはない。
なぜなら、食べられるものがこれしかないのだから。
……もはやこれは食事というより作業だ。わたしは生きるために必要な作業をしているのだ。
「……生きるため、か」
ぽつりと呟いた。
わたしの視線は、自然と棚の上にあるものへ向けられていた。
あの小さな絵のようなものは〝写真〟というものだ。写真機という魔術道具で、見たそのままの風景をああやって絵のように残すことが出来るという代物である。
そこに写っているのは、まだ赤ん坊のころの
母親がティナ、そして父親がダリルだ。
ティナの方は今のわたしの姿とよく似ているが、目付きの悪いわたしと違っておっとりしていて優しそうだ。ダリルの方はちょっとダンディーな老け顔だ。
赤ん坊であるわたしを座ったティナが抱いており、ダリルはその横で何となくむかつく顔で微笑んでいる。
「……」
何も知らずに見れば、ただの何でもない家族写真に見えるだろう。
……だが、これはただの家族写真ではない。
そこに写っているのは〝化け物〟と、その〝犠牲者〟なのだ。
なぜなら、あの二人はわたしが殺したようなものなのだから。
「……わたしは何のために生きてるんだろうな」
ぼんやりと言葉が漏れていた。
わたしはエリカとして生まれて、そして前世の記憶を思い出してから、ずっと同じ事を考えている。
わたしはいったい何のために生まれ変わったのだろうか、と。
もし〝神〟というやつが本当にいるのだとして、そいつがわたしを生まれ変わらせたのだとしたら、そいつはいったい何のためにそんなことをしたのだろう。
わたしの存在は周囲に不幸をバラ撒くだけだ。
なぜなら、わたしは呪われているのだから。
「……」
不意に、じっと手元に目を落とした。
右手には食事に使っていたナイフがある。
一瞬、こんな考えが脳裏を過る。
……いまここで、このナイフを喉に突き刺せば、何もかも終わらせることができる。
前世で死んだ時のように、わたしは血に溺れながら、ちゃんと苦しんで死ぬことができるのだ。
わたしは望んで生まれ変わったわけではない。
だったら、別にここで終わらせてしまっても、何の問題もないのだ。
別に未練などない。
だから、そう。
わたしがいまここで死んだところで、何の問題も――
「エリカー!! エリカ、いる!?」
急に騒がしい声が聞こえ、わたしは我に返った。いつの間にか握りしめていたナイフから手を離し、テーブルの上に置いた。
どたどた、と騒がしい音が近づいてくる。
今のわたしの知り合いの中で、呼び鈴も鳴らさずにいきなり人の家に入ってくるようなやつは一人しかいない。
なんて思っていると、一人の少女が部屋に飛び込んできた。
ちなみに有事の際には
「あ、いるじゃない! いるなら返事してよ!」
「……返事する前に乗り込んできておいてよく言うな」
現れたのは銀髪ショートカットの少女だった。
こいつの名前はアンジェリカ・ドーソンという。
わたしとはいちおう親戚らしい。
わたしの父は、アンジェリカの父親と同じ家柄の分家という話だ。よく分からんがとりあえず遠縁にあたる親戚、とわたしは適当に解釈している。そういう関係もあって、わたしとアンジェリカは子供のころから付き合いがあった。
年齢はこいつの方がわたしよりふたつ上で十六歳。年齢こそ相手の方が少し上だが、まぁあんまり年上だと思ったことはない。精神年齢でいえばこちらが年上なので、わたしにとってはただの小娘のようなものだ。
人間の貴族は十五歳で成人という扱いになるので、十五歳になると見習いという立場になって何かしらの仕事に就くことになる。
基本的には文官、魔術師、騎士――というのが貴族の主な仕事だ。アンジェリカの家であるドーソン家は代々騎士の家系なので、アンジェリカも当然のように騎士見習いとなったわけだ。
まぁとにかく座れ、とこちらが言うより先にアンジェリカはわたしの対面にどかっと座った。
それから、何やらおもむろにテーブルに身を乗り出してじっとわたしの顔を覗き込んできた。
「……」(じー)
「……なんだ?」
「エリカ、なんか顔色悪いけどちゃんとご飯食べてる?」
「ああ、食っとる食っとる。いまも豪勢な朝食を腹一杯に平らげたところだ」
「本当? もし困ってるならすぐに言いなさいよ?」
「そうだな、困ったらな」
わたしは頷いてから――ふと、こんなことを訊ねていた。
「……なぁ、アンジェリカ。お前、最近〝黒い手〟を見たりしたことはないか?」
「え? 黒い手? 何のこと?」
「あ、いや……何でもない。見てないならいいんだ」
「?」
アンジェリカに不思議そうな顔をされてしまった。
……何を訊いているんだ、わたしは。そんなこと、こいつに訊いても無駄だろうに。あれが見えるのはわたしだけなのだから。
わたしはすぐに話を変えた。
「それより、何の用だ? 何か用があるんだろ?」
「あ、そうだったわ!」
アンジェリカは本来の用件を思い出したように手を叩いた。
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