第1章

1,魔族の敗北

 魔王の座を継いだわたしはすでに“ミオソティス”ではなかった。

 幼名と共に子供であることを捨て、メガロスという名で亡き父上の跡を継いで〝魔王〟となった。

「……どうしてこうなったのだろうな」

 誰もいなくなった魔王城で、わたしは一人で玉座に座っていた。

 ゲネティラが誇った魔王軍はもはや壊滅寸前だった。

 人間たちの〝連合軍〟はもうすでにそこまで迫ってきている。王都が落とされるのも時間の問題だ。

 人間なんて弱い種族だ。我々が負けるはずなどない――と、魔族の誰もが思っていた。

 だが、これが結果だ。

 我々はいままさに負けようとしている。あれほど弱いと侮っていた種族に。

 本当にどうしてこうなったのだろう。

 戦争が始まってから、わたしはそのことばかりずっと考えていた。

「……あの時、わたしがもっと強く戦争に反対していれば……この戦争は回避できたのだろうか」

 そのことを考えない日はなかった。

 そもそも事の起こりは、人間たちの言いがかりだった。

 人間たちの領土で、一部の魔族が村を襲撃して住民たちを皆殺しにしたというのだ。それも、他ならぬ魔王の命令で。

 もちろん我々はそんなことをしていない。

 このとんでもない言いがかりにゲネティラの元老たちは怒り狂ったが、父上がそれを止めた。

「きっと何かの誤解だ。わたしが直接話して誤解を解いてこよう」

 そう言って、父上は最低限の部下だけ連れて人間たちの国へ向かった。

 魔族は人間よりもはるかに強い種族だ。だからあまり大人数で押しかけると相手を警戒させると思ったのだろう。

 それに、父上は魔王だ。魔族で最強の存在だ。

 きっと父上に任せておけば大丈夫だ――と、誰もがそう思っていた。

 ……だが、後日後に父上は死体でゲネティラに戻ってきた。

 人間たちに殺されたのだ。

 それも、凄まじい拷問の後が身体中に残っていた。あまりにひどい死体だった。

 あまりの仕打ちに、最初はわたしも怒りで頭がどうにかなりそうだった。

 誰もがすぐにでも人間たちに報復すべきだと言った。

 わたしもそうすべきだと思った。

 ……でも、ふと冷静になった。

 もしこのまま人間たちと戦争になれば、王都に住んでいる人間たちは――ヴァージルはどうなる? 追放されるだけならまだいいだろう。下手したら見せしめに殺されるかもしれない。

 そう思うとわたしは怒りを忘れていた。

 それから考えた。

 どうして父上は魔法が使えるのに人間たちに抵抗しなかったのだろう、と。

 父上が一人いれば、人間など何十人いても相手にならない。普通に考えて父上が殺されるわけないのだ。

 仮に毒や罠を使われたとしても、父上が本気で抵抗すればどうにかなったはずなのだ。

 だとすれば、考えられる理由はただ一つ。

 父上はあえて抵抗しなかった。

 きっと話し合いで解決しようとしたのだろう。ここで下手なことをすれば人間と魔族の間で大きな戦争になる……きっとそれを回避しようと最後まで足掻いたに違いないのだ。

 人間たちも一枚岩でない。父上にこのような仕打ちをした勢力は絶対に許さないが、かといってこのまま人間全てを敵に回してもいいことはない。

 元々、人間たちの一部の勢力がゲネティラに不穏な動きを仕掛けてきていたのはこちらも察知していた。人間たちが魔術道具に使う魔石は、魔族の領土には豊富にある。その資源を力尽くで自分たちのものにしようとしている連中がいたのだ。父上にこのようなことをしたのも、きっとそいつらだろう。

 父上亡き後、魔王の座を継いだわたしはみなにそう言った。これは一部の人間たちによる陰謀に違いない、と。

 ……だが、当時のわたしはまだ十歳かそこいらだった。魔王の座に就いたはいいが、所詮はお飾りみたいなものだ。

 そんな子供に、頭に血が昇った戦士たちを抑えきることなどできなかった。

「待て! いまことを起こせば取り返しのつかない戦争になってしまう! それだけはダメだ! 父上もそれを回避しようとしていたのだ! その遺志を無駄にするつもりか!?」

「魔王様、人間など恐るるに足りません。魔法も使えず、道具に頼るしかない種族に我々が負けるはずなどありません」

「さようです、魔王様。いっそ人間どもを全て奴隷にしてしまえばいい。二度と我々に逆らえないようにな」

「そもそも先代様は人間たちに甘すぎたのだ。あのような劣等種族、最初から我々が支配していればよかったのだ」

 ここぞとばかりに意気を巻いていたのが、人間たちの存在をそもそも快く思っていなかった武闘派の連中だ。

 これまでは父上を筆頭に穏健派がゲネティラを治めていたが、その穏健派も父上へのひどい仕打ちで意見を翻した。

「……マルコシアス、お前はどう思う?」

 わたしは傍らに控えていた一人の家臣に意見を求めた。

 そいつはマルコシアスと言って、父上の右腕だった忠臣だ。そして、わたしの教育係でもあった妖狼族リュコスの男だ。

 体躯は大きく、全身は毛で覆われ、顔は狼そのものだ。人間に近い外見のわたしと違って、マルコシアスは人間とはほど遠い外見だった。

 これがかつての穏やかで優しいマルコシアスであれば、きっとみなを諫めてくれただろう。

 わたしもそれを期待していた。マルコシアスは人間との共存を望む穏健派で、父上もそうだったからだ。マルコシアスは父上の良き理解者だった。

 だから、きっと人間との戦争を止めてくれるはずだ。

 そう思った。

 だが――

「……魔王様、人間は愚かな種族です。その思い上がり、我々で正す必要があるでしょう。そして、先代様の無念を晴らすのです」

 ……そう言ったマルコシアスの顔には、かつての穏やかさは微塵もなかった。父上を惨たらしい方法で殺された怒りで、彼は変わり果てていたのだ。

 戦争はもう止められなかった。魔王軍は即座に人間たちの国へと攻め込んだ。我々に難癖をつけて、父を殺した国だ。

 我々は開戦からわずか10日で国を落とした。

 勝てる。

 誰もがそう思った。やはり人間など弱い。恐るるに足らん、と。

 我々は落とした国を足がかりに、次なる国へと攻め込んだ。この時点で、我々の敵は〝人間〟そのものになっていた。全ての人間を支配下に置く――それが目的になっていたのだ。

 魔族の戦士は屈強だ。人間の兵士が束になっても敵わない。誰も人間に負けるなど思っていなかった。

 最初は魔族が圧倒的に優位だった。この勢いなら、1年も経たずに人間の国を全て落とせる――と、誰もが自分たちの勝利を確信していた。

 ……だが、人間たちの国が徒党を組んで〝連合軍〟を結成してからは風向きが変わった。

 我々が貧弱と侮っていた人間だったが、いざ戦争になるとその恐ろしさは想像を絶するものだったのだ。

 我々が人間の持つ〝ちから〟の大きさに気付いた時には、もう何もかも手遅れだった。


 そして、開戦から十五年の月日が流れ――今まさに、魔族われわれは人間たちに敗北しようとしていた。

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