44,シャノンの評価
やがて、馬車がディンドルフ邸へと到着する。
ディンドルフ家はマギル家に並ぶこの国の大貴族だ。もちろん邸宅もかなり大きい。これを見るだけでも、彼女がどういう立場にいる人間なのか、それがよく分かるというものだろう。
「それではお嬢様、僕は荷物を片付けておきます」
「ええ、お願い」
テオが荷物を持って先に姿を消した。
ブリュンヒルデが一人になったところで、メイドの一人が現れた。彼女は長年この家に仕えるメイドの一人だ。
「お帰りなさいませ、お嬢様。さっそくですが、旦那様がお呼びです」
「え? お父様が?」
「はい。お嬢様が帰ってきたら、すぐに顔を出すようにと」
「……悪いけど、体調が優れないからすぐに部屋で休むと言っておいてくれる」
ブリュンヒルデは少しバツが悪そうな顔でそう言って、そそくさと自室に戻ろうとしたが、
「申し訳ありません、お嬢様」
メイドは慇懃に頭を下げつつ、それとなく彼女の進路を封じた。
そして、こう言った。
「もしお嬢様が体調が悪いと仰っても、必ず顔を出すようにと伝えろ――と、旦那様から仰せつかっております」
「……」
メイドはあくまでも慇懃だが、そこには有無を言わせぬ雰囲気があった。
どうやらこちらに拒否権はないようだ――と思ったブリュンヒルデは諦めて頷いた。
「……分かったわよ。行けばいいんでしょ、行けば」
「恐れ入ります」
ブリュンヒルデが父親の部屋へ足を向けると、メイドも後に続いて歩き出した。
途中で逃げないか見張っているのだろう。
(ちっ、行くフリしてバックれてやろうかと思ったけどこれじゃ無理ね)
結局、ブリュンヒルデは父親の元へやってくるしかなかった。
「お父様、失礼します」
ノックしてから部屋に入ると、執務机で作業していた男が顔を上げた。
彼がカール・ディンドルフ――ブリュンヒルデの父親であり、現ディンドルフ家の当主だ。
恰幅が良く、貴族らしく口元にはヒゲを蓄えている。性格は一言でいえば気が小さい。今も先代当主である自身の父親には面と向かって逆らえないので、ディンドルフ家は〝大旦那〟が実質的に取り仕切っているようなものだ。ようはブリュンヒルデの祖父である。
「来たか、ブリュンヒルデ。こちらへ来なさい」
カールは仕事を切り上げて立ち上がり、ソファに座った。
ブリュンヒルデも対面に座る。その顔にはやや警戒した様子があった。
「……お父様、お話というのは?」
「率直に聞こう。ブリュンヒルデよ、お前まさかまたあの〝道楽王子〟のところへ行っていたのではあるまいな?」
「そうですが……それがどうかしましたか?」
ブリュンヒルデが肯定すると、カールは目に見えて溜め息をついた。
それからすぐに不機嫌さを露わにした。
「あの男には近づくなと何度も言っているだろう。あんな男と一緒にいるだけでお前の貞操が疑われかねないんだぞ? あんな女を取っ替え引っ替えするような
「……お言葉ですがお父様、わたしとシャノン殿下は特別な関係ではありません。ただの友人です。自分の友人と会うことが、そんなに悪いことですか?」
「相手によると言っているんだ、相手によると」
とんとん、とカールは指先でテーブルをたたいた。
「ヨハン様のような立派な青年であればわたしとて何も言わん。だが、あの道楽王子だけはダメだ。お前だってそろそろ結婚する相手を決めねばならん年齢なのだぞ。本来なら、お前にはもっと見合いの話が来ていてもいいはずなのだ。なのに明らかに話が少ない……これはどう考えてもあの男のせいだろう」
「別にそうとは限らないと思いますが?」
「いいや、絶対にそうだ。しかも、その数少ない話でさえお前は断ってしまうし……お前は自分がディンドルフ家の長女だという自覚がちゃんとあるのか?」
「お父様、わたしの結婚相手はわたしが自由に決めていいとお爺様から言われているはずです。だったら、別に見合いの話を断っても問題はないはずです」
「お父上はお前に甘すぎるんだ。わたしは現当主として、父親として、お前にはちゃんとした相手と結婚して欲しくてだな――」
「お話がお見合いのことなのでしたら、わたしはお見合いを受けるつもりはありませんので。これで失礼します」
ブリュンヒルデは立ち上がると、一礼して部屋を後にしようとした。
「待て! 話は終わっておらんぞ!」
カールは慌てたように立ち上がり、彼女の背中に向かって声をかけた。
「お前はあの男に遊ばれているだけだ! いい加減に目を覚ませ! あんな男と付き合うだけ時間の無駄――」
バタンッ!! とブリュンヒルデは勢いよくドアを閉じて、父親の声を遮った。
「……何よ、シャノンのことちゃんと知りもしないで」
ぎり、と思わず歯を食いしばってしまう。
彼女は大股に歩き出す。
その顔には悔しさみたいなものが浮かんでいた。
「なによ……なによなによなによなによ……ッ! どいつもこいつも、みんなシャノンのことちゃんと知りもしないで……あいつは、あいつは本当はすごいヤツなんだから……ッ!」
……第二王子、シャノン・アシュクロフトの評判はとても悪い。最悪と言ってもいいだろう。
本当の意味で彼のことを理解している人間は本当に少数だ。
ブリュンヒルデは、自分のことを悪く言われるよりも、シャノンを悪く言われることの方が、なぜだかずっと腹立たしくて――そして、悔しかった。
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