43,幼なじみの気持ち

 王城を後にしたブリュンヒルデは、待たせていた馬車のところまでやって来た。もちろんその馬車は彼女専用のものだ。ディンドルフ家ほどの大貴族ともなると馬車も機械馬マキウスも複数台くらい所有していて当たり前なのだ。

 主の戻ってくる気配をすでに感じ取っていたのか、馬車の前には彼女の側仕えであるテオが馬車から降りて姿を見せていた。

 テオは十八歳になる彼女の側仕えだ。彼は男だが容貌はまるで女性のようにも見える。服装が男物じゃなかったら男には見えないだろう。黒髪ショートカットの男装した女性のように見えなくもない。

「お嬢様、どうぞ」

 テオが慇懃に頭を下げ、ブリュンヒルデが馬車へ乗り込む。彼も続いて乗り込むと、御者をしている別の側仕えが機械馬マキウスを動かした。

 御者は外側なので、カーゴの中はブリュンヒルデとテオの二人きりだった。

 さっそくテオは訊ねた。

「それで、お嬢様。シャノン様には会えたのですか?」

「ええ、まぁ会えたのは会えたけど……」

 ブリュンヒルデはぶすっとして、外の景色を見ながら答えた。

 ははあ、とテオは何やら納得した顔になった。

「そのご様子ですと、最近会えてないから久々にちょっと偶然を装って王城にやってきてさり気なく素知らぬ顔で『あら、久しぶりね』という感じでとっかかりを作って自然と食事を一緒にしてそこから次に会う口実をどうにかこうにか取り付ける作戦は失敗したようですね」

「あなたの一方的な妄想をまるで事実のように言うのやめてくれる!?!?」

 ブリュンヒルデはテオを睨んだ。

 しかし、テオは涼しい顔のままだ。

「おや? 違いましたか? 急に用事もなく昼を過ぎてから王城に行くとか言い出したあたりで、どうせそんな感じだろうな、と僕は思っていたのですが……」

「ふ、ふん。そんなわけないでしょ。別にシャノンに会う予定なんてなかったわ。本当に王城に用事があったのよ。まぁ? もし会えるなら会ってやろうかとは思ったけど?」

「『もし』会えるならを期待して三時間も僕らをここに放置してシャノン殿下が戻ってくるのを待ってたわけですか……」

「だから用事があったって言ってんでしょ! あなた人の話聞いてないの!? 側仕えクビにするわよ!?」

 ブリュンヒルデは「むきー!」と怒った。大貴族の令嬢にあるまじき姿であるが、ここではそれを指摘するものは誰もいない。ああ、いつもの感じだな、と思うだけだ。

 テオはやはり慇懃に頭を下げた。ただ態度こそ慇懃だが、悪びれた様子は一切なかった。

「申し訳ございません、お嬢様。過ぎたことを申し上げてしまいました」

「分かればいいのよ」

「それで、また今度もシャノン殿下が追いかけてる女性に圧力をかけて、シャノン殿下に近づかないようにこっそりと裏でご自分の権力を行使するつもりですか?」

「はあ? 何よそれ。わたしがそんなこと、今まで一度でもしたことある? 馬鹿も休み休み言いなさいよね」

 ブリュンヒルデがはーやれやれ、と肩を竦めた。

「わたしは別に人様の恋愛どうこうに首を突っ込むほど野暮じゃないし暇じゃないの。まぁでも? わたしはあいつの〝幼なじみ〟として? あの馬鹿に真っ当に意見できる一人の真人間として? 相手の女があいつに相応しい釣り合いが取れる存在なのかどうかをチェックはしてあげてるけど? まぁそれだけよね。大したことはしてないわ」

「お嬢様は人の恋愛に首を突っ込むほど野暮でおまけに暇なんですね……」

「うっさいわね! そもそもあいつが悪いのよ、あいつが! わざわざ他の女のケツなんか追っかけなくてもここに〝女〟がいるでしょうが! 何なの!? あいつわたしの性別が男だとでも思ってるの!? 王子っていう肩書きに相応しい大貴族の令嬢が誰よりも傍にいるのよ!? 何でわたしには愛想の一つも振りまかないわけ!? 他の女と話してる時はヘラヘラ笑って愛想良くしてくるくせに……う~! はらたつ~!!」

 突然怒りだしたブリュンヒルデは、もはや開き直るなんていう言葉も生やさしいほどに剥き出し感情を爆発させ、自分のハンカチをかみ始めた。というかもはやハンカチを噛み千切りそうな勢いだった。

 今度はテオが溜め息を吐いてやれやれ顔になった。

「お嬢様、シャノン殿下にそういうお気持ちがあるのでしたら、もう自分から思い切って伝えた方がよろしいですよ。でないとこの状況は一切、今後も変わることはありません。家の意向で勝手に婚約を決められてしまう前に、殿下をその気にさせてしまえばよろしいのです」

「いやよそんなの! わたしから言うなんて! だって恥ずかしいでしょ!」

「今にもハンカチを噛み千切ろうとしてるそのお姿の方がよほど恥ずかしいと思いますが……」

「だって……それに今さらあいつにどう言えばいいって言うのよ」

 急にブリュンヒルデはしゅん、と泣きそうな顔になってしまった。

「ずっと昔から〝幼なじみ〟の相手に、今さら何をどう好きって気持ちを伝えたらいいの? あいつはきっとわたしのことを〝女〟とは見てないわ。〝幼なじみ〟ってそういう感じでしょ? 誰よりも近しい立場にはいるけど、でもそれは別に男女っていう関係じゃない。言うならば兄妹きょうだいに近しい感じだわ」

「でも、言わなければ何も変わりませんよ?」

「……そうね。でも、もし拒絶されたら〝幼なじみ〟であることすらなくなるわ。それだけがあいつとわたしの、唯一の絆なのよ? それさえなくなってしまったら……いっそ全て失うくらいなら、まだ今の方がマシよ」

「なら、あの方に近しい立場の一人として、あの方の恋愛を応援してさしあげたらどうですか?」

「……ごめん、それは無理」

 ブリュンヒルデは悔しそうに、手に持っていたハンカチを握りしめた。いつの間にかちょっと涙目になっていた。

「自分が醜いことを言ってるっていう自覚はあるわ。でも、あいつが他の女とイチャイチャしているところを想像するのも、わたしはイヤなのよ。あいつがわたし以外と結婚するなんて考えるのもイヤ。あいつが他の女の物になるなんて――わたしには耐えられないわ。だって……そこらへんの訳分かんない女なんかより、わたしの方がずっと昔から、あいつのことが好きなんだから。だから――」

 彼女は涙目のまま、しかし強い意志を宿した瞳でこう続けた。

「わたしよりあいつのことが好きな女じゃなきゃ、あいつのことは絶対に譲ってやらないわ。例えあいつが王子じゃなくても、を好きになるような相手じゃなきゃ、わたしは絶対に絶対にぜーったいに認めない……っ!」

「お嬢様……」

 彼女の子供じみた強い嫉妬と意思を見て取ったテオは、この時、心の中でこう思っていた。

(……これは多分、

 今後の行動の予測が簡単についてしまって、テオはひっそりと溜め息を吐いていた。

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