37,〝本当〟のシャノン

 ふざけて笑っていたシャノンも、思わず顔から笑みが消えた。

 ヨハンはじっとシャノンのことを見つめた。その視線は、まるでシャノンの心の中を見ようとしているかのようでもあった。

「君がを発揮してみせたら、ウォルターなんて相手にならない。王位は君で決まる。剣術も政治的手腕も、君ほどの能力があれば立派な王になれるだろう。だいたい、あの時、火竜フォティアを倒したのだって、本当は君じゃないか。今じゃ僕の功績になってしまっているが……僕はただ、君に助けてもらっただけだ」

 1年ほど前、王都の近くに火竜フォティアが出現した。

 中央騎士団はすぐに討伐隊を派遣した。万が一、火竜フォティアが王都を襲ったら甚大な被害が出る。火竜フォティアは人間をエサとして見ている危険な魔物だ。だから、人的被害が出る前に討伐する必要があった。

 報告では、火竜フォティアはまだ小さい個体という情報だった。だから討伐隊の隊長にはヨハンが使命された。小さい個体でも火竜フォティアには違いない。討伐をすれば箔がつく。息子に花を持たせてやろうという、彼の父親テディの配慮だった。もちろん討伐対には十分な装備が与えられ、報告にあった個体を倒すには十分過ぎるほどだった。

 だが、いざ討伐に向かうと、そもそも報告が誤りで、そこにいたのは巨大な火竜フォティアだった。報告の3倍以上はある個体だったのだ。

 予想外の事態に討伐隊は蹴散らされ、ヨハンも危うくその場で死ぬところだった。

 だが――誰もが逃げ惑う中、たった一人で火竜フォティアを討伐したのがシャノンだった。

 ただ、表向きシャノンはその討伐対には参加していない。それはそうだ。王子がそんな危険な場所に行くことなど誰も認めるわけがない。だから、彼はこっそり討伐対に紛れ込んでいたのだ。ちなみにヨハンが紛れ込んでいるシャノンに気付いたのは王都をかなり離れてからである。

「あの時のことは今も覚えてるよ。君はほぼ一撃であの巨大な火竜フォティアの首を落とした。あんなこと、僕の父でも無理だ。いや、あんなことできる騎士は多分、どこにもいないだろう……君は昔から、剣術の稽古も真面目にやってこなかった。だから、誰も君があんなに強いなんてことは知らない。みんな、君は不真面目でただの役立たずだと思っている。火竜フォティアを倒した功績は、その悪評を一蹴するチャンスだった。君はどうして、その功績を僕に譲ったんだ?」

 ヨハンはじっとシャノンを見やった。

 シャノンも真面目な様子で彼の視線を受け止めていたが……ふと軽く笑みを見せた。それはヨハンの視線を受け止めるのではなく、受け流すことに決めたという顔だった。

「それはそうだろう? そもそもオレはあの場にいちゃいけない人間だったんだからな。あの討伐隊にオレは参加したことになってない。王子が勝手に討伐対に紛れ込んでたなんてバレたら、それはそれで大問題だ」

「だが、それも火竜フォティア討伐の功績があればうやむやにできた。どうにでもできたはずだ」

「そんな功績はオレには必要ない。それにもう済んだことだ。どうだっていい話なんだよ、そんなことは」

「しかし……」

 それでも言いつのろうとするヨハンに、シャノンは急に冷めた顔になってこう言った。

「悪いが、オレは〝責任〟を負うつもりは一切ない。だから功績も必要ない」

「責任……?」

「ああ、そうだ。オレはもう何も背負いたくない。。だから王位を継ぐつもりもない。ウォルターが王位を継ぎたいなら勝手にすればいい。そんな〝責任〟を背負うつもりなんざ、オレにはこれっぽっちもねえんだからよ」

「シャノン……?」

 いつもと違う様子のシャノンに、ヨハンは少し困惑した。

 というのも、今の彼は、本当の意味で本来の自分というものを曝け出しているのだった。

 普段は〝道化〟を演じ、ヨハンの前では素の自分を見せていたシャノンだが、本当の意味でこうして〝本性〟を曝け出したことは、これまでなかった。

 シャノンは――いや、シャノンという人間の中身である〝彼〟は知っているのだ。

 〝彼〟はかつて〝勇者〟と呼ばれた。

 そう――〝勇者〟という都合のいい役割と共に、あらゆる責任を押しつけられたのだ。

 だから知っているのである。

 人間は無責任だ。

 人間は嘘つきだ。

 人間は、人間が定義する〝邪悪な魔族〟なんかよりよほど劣悪な種族だ。邪悪なのではない。ただただ劣悪なのだ。

 彼はそのことをよく知っている。

 どこかで生じた〝責任〟というものは、勝手に消えたりしない。必ず誰かがそれを背負うことになる。

 世の中は不平等だ。無責任なやつらほど、人生を楽しんでいる。本来背負うべき責任を他人に背負わせておいて、自分だけ人生を楽しんでいる。

 だったら、他人の分まで〝責任〟を押しつけられたやつの人生はどうなる? 無責任な連中が放り出した分の〝責任〟まで背負うことになったやつはどうなるんだ?

 そんなのはもはやただの貧乏くじでしかない。

 人生というのは――貧乏くじを引いたやつの負けなのだ。

 そして、楽しんだやつの勝ち。ようは無責任でいればいるほど、人生は勝ったも同然なのである。

 彼はそのことを――誰よりも、とてもよく知っているのだった。

「――とまぁ、そういうこった」

 シャノンは急にいつもの顔になって、ぽんぽんとヨハンの肩を叩いた。

「そんじゃ、オレは用事があるから行くぜ。今日も女の子と約束してるんでな。ははは」

 シャノンは笑いながらその場から歩き出した。

「シャノン」

 だが、ヨハンは立ち去ろうとするシャノンを呼び止めた。

 シャノンは少しだけ振り返った。顔には軽薄な笑みを貼り付けたままだったが、声色は少し硬かった。

「……何だ?」

「君が僕のことをどう思っているかは分からないけど……僕は君のことを本当に親友だと思っている。そして感謝もしている。僕は昔からいつも君に助けられてばかりだ。だから、君が困ったことがあれば、僕は必ず力になるよ。もし君の気が変わって王位を継ぐ気になったら、その時は遠慮無く僕に言ってくれ。全力で君の力になると約束しよう」

「おいおい、さっきの話聞いてなかったのか? オレは王になるつもりなんてねーっての。それに、オレみたいなのが王になったら国が潰れるぜ? こんなクズが王になんてなれるわけねえって」

 シャノンは笑ったが、ヨハンは笑わなかった。

 彼はどこまでも真面目な顔のまま続けた。

「いま、この国はひどい有様だ。政治腐敗が当たり前のように横行している。ウォルターが王位を継げばどうなるかなんて、すでに目に見えている。このままじゃ、この国はますます民を苦しめるはずだ。そういう国が最終的にどうなるかなんて、歴史を振り返れば自ずと理解できそうなものだけどね……だけど――君が王になれば、それを変えられるかもしれない。僕はそう思ってる」

「はっ、そりゃオレを買い被り過ぎだぜ、ヨハン。オレにはそんな力も能力もねえよ。そうそう、それとテディにも言っといた方がいいぞ。意地張らずにさっさとウォルターの派閥に鞍替えしとけってな。このまま中立派なんて続けてもあいつに目をつけられるだけだからな。意地張ってもいいことなんてねえぞ」

「父上は頑固だからね。それに父上はこの国に対して誇りを持っている。ウォルターからいくら金を積まれても、恐らくあちら側に付くことはないだろう。それに僕個人としても……ウォルターの治世には賛同はできない。民を守るのが国だ。僕はこの国を、民から搾取する国にしたくない。貴族は国と民を守るための存在だ。支配して搾取するための存在じゃない」

「……そうかい。まぁ好きにしろ。政治のことにオレは関与しねえからよ。んじゃあな。邪魔して悪かったな」

 シャノンは笑いながら背を向け、ひらひらと後ろ手を振って、今度こそヨハンの前から消えた。

 ……だがこの時、ヨハンに背を向けた直後、シャノンの顔からは一切の笑みが消えていた。

「安心しろ、ヨハン。オレが王になるなんて時は絶対に来ねえよ。絶対に――な」

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