36,シャノンとヨハン

「……はぁ、緊張した」

 エリカを乗せた馬車が去って行くと、ヨハンは大きく息を吐いた。

 彼はずっと、なるべく澄ました顔でエリカと話していたが……実はずっと心臓はドキドキだったのだ。エリカが微笑む度に心臓が口から出そうで大変だったのだが、何とか乗り切ることが出来た。思わず一息ついてしまうのも仕方ないというものだ。

(……僕なんかがエリカさんのような美人とちゃんと話せるか心配だったけど、思ったよりずっと気さくな人で良かった。でも、随分と気を使わせてしまったな……)

 ヨハンには自分の方が格上だ、などという思いはまるでなかった。むしろ、エリカほどの美人を自分が対等にエスコートできるか心配していたくらいだ。

 だが、そんな心配は全て杞憂で、彼女はどんな話題でも楽しそうに聞いてくれたし、ヨハンがちょっと会話につまれば、自然な感じでこちらの話を繋げてくれた。退屈そうな素振りも一切見せなかった。

 それはこれまで彼が接してきた、他のどの貴族女性とも違って見えた。

(エリカさん、何て素敵な人なんだ……あんな素敵な人、僕はこれまで見たことがない)

 ヨハンもう完全にエリカに惚れていた。

『ヨハン様のそういうところ、わたしはとても素敵だと思いますよ』

 あの日、彼女に微笑まれた時、ヨハンは恋に落ちた。しかし、彼は自分の気持ちがどういうものなのか、はっきり分からなかった。 と。

 今日はそれを確かめたかったのだが……実際にエリカと接したことで、むしろヨハンの気持ちは強まっていた。

 ちなみに完全に猫を被った状態のエリカは、ヨハンから『清楚で可憐な、それでいて笑顔の可愛らしい美女』に映っていた。これは別に彼の目が節穴というわけではなく、エリカの猫かぶりがそれほど鉄壁だったということだ。残念ながら彼の目では、彼女の〝本性なかみ〟までは見極められなかったようだ。 

「よう、何とか乗り切ったな」

「え?」

 急に声がした。

 すると、どこからともなくシャノンが姿を現した。

 ヨハンは目を剥いた。

「シャノン!? まだいたのか!?」

「当たり前じゃねーか。こんな面白いイベント見逃せるかよ。ずっと物陰でお前らのこと見てたぜ? いやぁ、面白い見世物だったぜ。ははは」

 シャノンは悪びれずに笑った。

 さすがのヨハンもこれには少し怒った。

「き、君というやつは……さすがにそれは悪趣味だぞ!」

「いや、すまん。言い方が悪かったな。お前のことが心配だったんだよ。だからつい、見守ってやりたくなったんだ。お前の兄貴分としてな」

「嘘吐け! 最初に言った方が本心だろ!」

「ははは」

 ヨハンは恨みがましそうにシャノンを睨んだが、やはりシャノンは一切悪びれる様子がなかった。

 二人はどちらも二十歳で同じ年齢だが、何だか兄弟のようにも見えた。もちろんヨハンの方が弟だ。

 ヨハンとシャノンの二人は付き合いが長い。もう10年になる付き合いだ。だから二人しかいない時は、ヨハンもいちいち畏まった口調は使わなかった。さすがに人前ではそれらしい態度と口調で接するようにはしているが、そうでなかったらこのように砕けた態度と口調になる。それだけ二人は親密な仲ということだった。

「で、お前、あの女に結婚でも申し込むつもりか?」

 シャノンは直球を投げてきた。

 ヨハンはあまりの直球に狼狽えた。

「い、いやいやいや……結婚とかそういうのはまだ早いっていうか……今日やっとマトモに話したんだし、まだそんな段階じゃないよ。今日はただ、話がしてみたかったというだけで……」

「じゃあどれくらいしたら、そういう段階になるんだ?」

「え? ええと……そりゃあもっとお互いのことをよく知ってからだから……それにエリカさんはまだ十四歳だろ? 十五歳で成人して、結婚できるようになるけど……でもそれだと早すぎるだろうして……うーん……3年ぐらい?」

「いや長えよ!? どんだけ奥手なんだてめーは!?」

「だ、だってそれくらい必要じゃないか? 結婚だぞ? 一生を左右することだ。そんなすぐに決められることじゃないよ。それにエリカさんの気持ちもあるし……」

「はぁー……お前は自分が大貴族の御曹司だって自覚がまるでねえな。まぁそこがお前の良いところではあるんだが……いいか? お前は『黙ってオレと結婚しろ』くらい言っていい立場なんだぜ。誰も大貴族の長男に――それもマギル家の人間に結婚を申し込まれて断る女なんて普通はいねーよ」

「え? そ、そうかな? もしかしてエリカさんもオーケーしてくれるかな?」

「あ、いや、すまん。あいつは別かもしれん……」

「え!? どっち!? どっちなの!?」

「〝普通〟はいねえが、あいつは〝普通〟じゃねえからな……」

 と、シャノンは腕を組んで難しい顔した。

 エリカの〝本性なかみ〟を知っているシャノンとしては、そう言うしかなかった。どう答えるかなんて、まるで予想ができない。

(……いや、でもあいつなら断るような気がするな。普通なら絶対断らないような話だが、でもあいつなら――)

 シャノンの脳裏には、どうしてもエリカのが浮かんで離れなかった。

(呪われている、というのはいったいどういう意味なんだ……? あいつはどうしてあんな顔をするのか――)

 まるで全てを諦めたかのような顔。

 なぜ彼女があんな顔をするのか、シャノンは思わず考え込んでしまっていた。

 ふと気が付くと、ヨハンがじっと不思議そうにシャノンの顔を見ていた。

「……ん? どうした?」

「いや……そう言えば、君にしては珍しく女の子の前では〝普通〟だったな、と思って。いつもなら女の子にはもっと自分を良く見せようとしてるのに……まるでブリュンヒルデと話してる時みたいだったね。もしかして、君はエリカさんと親しかったりするのかい?」

「え? あーいや、それは……」

 シャノンは少し口籠もった。

 ……これは親しいとか親しくないとか、そういう話ではない。

 強いて言うのならば〝因縁〟というやつなのだ。

 だが、それを説明するのはとても難しかった。というより、とても信じて貰えるような話ではない。

 あれこれ考えたが、シャノンは結局はぐらかすことにした。

「さっきも言っただろうが。お前が目をつけた女を口説いたりするほど、オレも根性曲がってねえって。だいたいよ、どう考えてもオレの方がお前よりかっこいいんだから、いつもみたいにかっこいい顔してたらエリカがオレに惚れちまうだろ? そうしたらお前だって困るんじゃねえの?」

「べ、別にそういうことは……そこはエリカさんの気持ちが大事だし……」

「とか言いながらそわそわしてんじゃねえよ。だいたいな、男だったら『相手の気持ちが~』とか言う前に、オレに惚れさせてやる、くらい言え。そんなんじゃ本当に好きな相手と結ばれるなんてこと、絶対にねえぞ」

「……」

「……? 何だよ、人の顔じっと見て?」

「あ、いや……何かシャノンにしては、随分と真面目な顔だなと思って。いつも真面目なこと言うの嫌がるのに」

「う、うっせえ。オレだってそういう時くらいあるんだよ」

 シャノンは急に少し恥ずかしくなった。

 確かに、いつもの自分なら適当に茶化すところだ。それがどうしてあんな真面目なことを言ってしまったのか……それではまるでシャノンらしくないではないか。

 〝シャノン・アシュクロフト〟は馬鹿でお調子者で、間抜けな女好きでなくてはならないというのに――

 自分の取るべき態度を思い出したシャノンは、努めてそのように振る舞った。

「まぁそれに? エリカはあんまし胸がでかくねーからなぁ。オレの好みじゃねえんだよな。オレの好みは胸のでっかい女だからな! ははは!」

「……シャノン、君はどうしていつも、そうやってわざわざ〝道化〟を演じているんだ?」

 気が付くと、ヨハンがじっとシャノンのことを見つめていた。

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