35,エリカとヨハン

「んじゃ、食うもん食ったし、オレは行くわ」

「へ?」

 最後に出てきた料理を食べ終えると、シャノンはおもむろに立ち上がった。

 突然のことにヨハンが目を丸くしているが、シャノンはまったくこちらに頓着した様子もなく、

「じゃーな。邪魔して悪かったな。後は二人で楽しんでくれ」

 と、部屋を出て行ってしまった。

 わたしはヨハンとその背中をただ見送るしかなかった。

 ……あいつは結局何をしに来たんだ?

 恐らくヨハンも同じ事を思っていたのだろう。わたしたちは何となく顔を見合わせてしまった。

「……シャノン殿下はいつもああいう感じなのですか?」

「……そう、ですね。まぁだいたいあんな感じですね……はは」

 ヨハンは困ったように笑った。

「いつもいきなり現れては、今みたいに急にいなくなったり……気分屋なんでしょうね。まぁそこが彼らしいと言えばそうなんですが」

 ヨハンの顔は、別にシャノンのことを糾弾しているとか、そういうものではなかった。ただ単純に、仲の良い友人について話している……という感じだった。

 そこにはやはり、アンジェリカが言っていたような『シャノンが一方的にヨハンをアゴで使い、振り回している』という気配はなかった。それはきっとアンジェリカのシャノンに対する一方的な悪印象がそう思わせてしまっているだけなのではないだろうか。わたしの目から見れば、やはりシャノンとヨハンは良き友人のように見える。

「さきほど、ヨハン様はシャノン殿下に非常に親しげな口調で話していましたけれど……普段はああいう感じなのでしょうか?」

「え? あー、それはまぁ何と言うか……ははは。これは内緒にしておいてくださいね? 第二王子を呼び捨てにするなんて、どれだけ親しいと言っても本当なら不敬罪ですしね」

「大丈夫です、他言したりはしませんから。お二人は付き合いが長いのですか? シャノン殿下の方も、ヨハン様には随分と気を許しているように見えましたけど」

「そうですね……もう10年くらいの付き合いにはなりますね。いわゆる幼なじみってやつになるんですかね。僕とシャノンにはもう一人そういう相手がいて、子供の頃からよく三人で遊んだりしてましたから」

「もう一人仲の良い方が?」

「はい。まぁ、その相手というのがブリュンヒルデの事なんですが……式典の時は本当に彼女が失礼なことをして申し訳ありませんでした」

 ヨハンが急に謝ったので、わたしは何のことかと思った。

 少し考えてから思い出した。

 ……そう言えば、式典でお菓子を食ってる時に絡んできた失礼なやつがいたな。色々うろ覚えだが、今思えば名前もそんな感じだったような気がする。

 というかいまヨハンが名前言ったよな。そう、確かブ、ブル……ええと、ブル……ブル――とにかくブル何とかだ。←まだ覚えられない

「いえ、わたしは別に気にしていませんから。あの方もシャノン殿下とは親しいのですか?」

「そうですね。ブリュンヒルデも、シャノンとは付き合いは長いですよ。ディンドルフ家と言えばこの国では有名な大貴族ですから、もちろん王族とも付き合いはありますしね。マギル家は騎士の家系ですが、ディンドルフ家は文官の家系ですね。現在の内務尚書ないむしょうしょはディンドルフ家の当主であるカール様ですよ」

「ははあ、なるほど。そうなんですね。よく分かりました」←分かってない

「と、ところでエリカさん、食事も終わりましたし、良かったら中庭でお茶でもいかがでしょう?」

 ヨハンが話を変えた。どうやら話を変えるタイミングを見計らっていたようだ。多少強引ではあったが、きっと最初からヨハンの中ではそういう予定が組まれていたのだろう。

 見たところ、ヨハンは女のエスコートには不慣れな様子だ。それでも、こいつからは頑張ってこちらをもてなそうとしてくれている気持ちが伝わってくる。

 ……まぁメシだけ食ってハイサヨナラ、というのもさすがに失礼だしな。

 わたしは笑顔を浮かべて頷いた。

「ありがとうございます。ぜひご一緒させてください」


 μβψ

 

 中庭には名前も知らない綺麗な花がたくさん咲いていた。

 とても手入れが行き届いている。

 どこぞのエインワーズさん家の野菜畑と化した中庭とは大違いである。

 わたしたちは中庭にある東屋あずまやでお茶とお菓子をつまんでいた。

 ……ふむ。これが本来あるべき貴族らしい中庭の姿か。やっぱり野菜なんてどこにも植わってないな。

「何か珍しいものでもありましたか?」

 わたしがきょろきょろと中庭を見回していると、ヨハンがそう訊ねた。

 とりあえず笑顔で答える。

「いえ、とても綺麗なお庭だなと思って」

「庭師が丹精込めてお世話してくれていますからね。エリカさんの家の中庭も、きっと綺麗に手入れされているんでしょうね」

「そうですね。わたしが自分の手で、丹精込めて手入れしておりますわ」

「え? 自分でお世話していらっしゃるんですか? エリカさんはとても花がお好きなんですね」

「ほほほ。まぁそれほどでも……」

 無邪気な笑みで感心するヨハンからわずかに視線を逸らした。まぁ野菜も花は咲くしな。嘘は言ってないぞ、嘘は。

「ところで……エリカさんはまだ成人はしていませんよね? 成人したらやはり騎士見習いになるのでしょうか?」

「……へ? いえ、特に騎士になるとかは考えておりませんが……?」

 わたしは首を傾げた。なぜいきなりそんな話になるのかよく分からなかったからだ。

 ヨハンは首を傾げるわたしに首を傾げていた。

「あれ? 違いましたか? 何やら〝隙〟があまりないように見えたので……てっきり日頃から鍛錬されているものかと」

 と、ヨハンは何気なく言った。

 その言葉に、わたしは多少なりとも感心した。

 ……ほほう。こいつ、ただのお坊ちゃんではなさそうだな。

 確かにわたしは前世からの癖で、ほぼ無意識に気配を研ぎ澄まして隙を作らないようにしている。魔族というのは誰もが一人の戦士だ。どのような立場の者であろうと鍛錬は欠かさなかった。もちろん魔王であるわたしもだ。むしろ魔族で最強であらねばならない立場上、わたしは誰よりも己に厳しい鍛錬を課していたつもりだ。

 だがまぁ……今のわたしはただのクソザコヒョロガリだからな。気配だけ研ぎ澄ましたってあんまり意味はないんだけども。今のわたしは切れ味だけ鋭いすぐ折れるナイフみたいなものだ。

「それはきっとヨハン様の気のせいです。わたしの父はしがたない魔術師でしたから。騎士の家系でもないのに、鍛錬なんていたしませんわ」

「おや? そうなんですか? じゃあ僕の勘違いですかね……?」

「むしろわたしは昔からあまり身体が丈夫ではありませんから。鍛錬などしたら熱を出して倒れてしまうと思います」

「身体が弱いんですか?」

「そうですね……どちらかと言えば。でもまぁ、子供の頃に比べれば、随分とマシにはなりましたけれど」

 この身体で魔力を制御出来るようになるまでは、何度も熱を出して大変だった。何とか出来るようになってからは無駄に熱を出すことはなくなったが、それでもあまり無茶はできない。シャノンと取っ組み合いした時に身体強化しただけでとんでもないレベルの全身筋肉痛になったくらいだしな……。

「今はそういったことはないんですか?」

「たまにあるくらいです。無茶さえしなければ、ですけれど」

「そうなんですか……あの、エリカさん。もし良かったらうちが昔からお世話になっているお医者様をご紹介しましょうか? 腕の良い医者ですから、きっとエリカさんに合う薬も出してくれると思います」

「いえ、大丈夫ですよ、ヨハン様。さきほども言いましたが、無茶をしなければ熱は出しませんから。それにそのような高名なお医者様から薬を買うようなお金もありませんし……」

「お、お金のことでしたら気にしないでください。僕が何とかしますので」

 ヨハンは少し意気込むように言った。冗談を言っているような顔ではなかった。

 多分、こいつはわたしが頼れば本当に金を出すつもりでいるのだろう。そう思わせるような、誠実さが見える顔だった。

 それを見たわたしは、単純にこう思った。

 ……こいつ、いいやつだな。

 まともに話すのは今日が初めてだが……この短い間だけでも、ヨハンの人となりはよく分かった。こいつはきっと……間違いなく〝いいやつ〟だ。

 でも、だからこそ、わたしはこう思った。

 こういうやつほど――わたしのような呪われた〝化け物〟に関わってはいけないのだ、と。

 わたしは〝エリカ〟として、にこりと微笑んでこう答えた。

「ありがとうございます、ヨハン様。でも――それは、お気持ちだけ頂いておきますね」

 ……その後、わたしはヨハンと取り留めのない会話をして、夕方ごろに迎えに来たドーソン家の馬車で、マギル邸を後にした。

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