147,対話
……もうほとんど意識は朦朧としていた。
あの自白剤とやらを何度も打ち込まれたせいだろう。
たぶん、今のわたしは鎖で両手を天井から吊られている状態なんだと思う。
手足の指から全て爪が剥がされた後は、ずっとこんな感じだ。
あれからどれだけの時間が経ったのか、今のわたしにはもう分からない。
「く、くそ……貴様ッ!! いい加減諦めて吐いたらどうなんだッ!? ええッ!?」
男が鞭を振りかざしてわたしの身体を思いきり打った。
甲高い音が部屋の中に響くが、わたしの口からはほんのわずかに息が漏れ出た程度だった。
むしろ、息を乱しているのはわたしを痛めつけている男の方だ。
クスリのせいか、それとも身体へのダメージのせいか分からないが、今のわたしは視界がほとんど見えていない。全てがただぼんやりと、おぼろげにそこにあると分かる程度だ。男の顔だって、まったく見えていない。輪郭がわずかに分かるだけだ。
「……どうした? 随分と息が上がっているようだな。今日はもう終わりか?」
「こ、この――ッ!? 汚らわしい魔族風情が生意気な口をきくなァ――ッ!?」
男は怒りに任せてひたすら鞭を振るい、わたしの身体に打ち付ける。
その度に激痛が襲ってくる。
わたしが本当にただの小娘だったのならば、きっと一度打たれただけで泣いて許しを請うただろう。
だが……わたしにそんな無様な姿が許されるはずがなかった。
なぜならば――そう、わたしは〝魔王〟なのだから。
息を切らす男の声に混ざって、血の滴る音がわずかに聞こえる。恐らく、それらはわたしの身体から零れ落ちているものだろう。文字通り命が一滴ずつ、ぴちゃりぴちゃりと漏れ出しているのだ。
きっとわたしはじきに死ぬ。
ここでこの男になぶり殺されて死ぬだろう。
だが――別にそれでも構わない。
「貴様、吐けッ!! シャノン・アシュクロフトが貴様の協力者であったとッ!! いい加減に自白しろッ!!」
ガッ、と顎を強く掴まれた。
無理矢理に上を向かせられる。
恐らく男はそれこそとんでもない形相でわたしを睨んでいるのだろうが、生憎といまのわたしにはそこまで見えない。ただ気配と声色から、その激情を察するだけだ。
わたしは思わずくぐもった笑い声を出していた。
「く、くくく……」
「何が可笑しいッ!?」
「いやぁ、実に滑稽だと思ってな……本当に滑稽だよ、なぁ長官殿」
「だから何が可笑しいというんだッ!?」
「いくらお前がわたしから都合の良い自白を得ようとしても、それは全て無駄なことだからだよ。わたしは何があっても証言を変えるつもりはない。何があってもな」
「こ、このッ――」
「で、次はどうする? もう剥がす爪はないぞ? このまま鞭で打ち続けるか? それとも指でも切り落とすか? それとも目玉でもえぐり出すか? わたしは何でも構わんぞ。好きなようにやればいい。ただ――何をしたところで、お前程度ではわたしの意志を曲げることは到底できんがな」
「――」
わたしの言葉を挑発と受け取ったのか、男は何か喚きながら思いきりわたしの顔を殴った。
その際、わたしは思いきり男の手に噛み付いてやった。
「ぎゃああああッ!? は、離せ!? 離せ、この――ッ!?」
男は喚いたが、わたしは本当に指を食いちぎってやるくらいのつもりで噛み付いてやった。
けれど、今のわたしにはそこまで力が残っていなかった。何度か殴られている内に、口から指が離れてしまった。
「ぐああああッ!? くそ、くそぉ!? このクソ魔族めぇえええ!? わたしの指が、クソがああああ!!」
男が床をのたうち回っている。視界がぼやけているせいで、男の無様な姿をはっきりと見られないが非常に残念だ。
わたしは自分のか相手のかも分からない血を吐き捨ててから、男にこう言ってやった。
「ぺっ。おい、長官殿。早く解毒したほうがいいぞ?」
「な、なに? どういうことだ?」
「いま、お前の体内に毒を流し込んだ」
「な、なんだとぉ!?!? いったい何の毒だッ!?!?」
「さてな。まぁお前らはさぞ魔族のことには詳しいようだし、そういう解毒剤も揃えてあるんじゃないのか? 何にせよ、早く処置しないと死ぬぞ? 身体中に毒が巡って、とんでもない苦しみを味わいながらのたうち回ることに――」
「ひ、ひいいぃぃ!?」
言い終えぬうちに、男は慌てて部屋を飛び出して行った。
わたしは思わず笑っていた。
「ははは。馬鹿が。嘘に決まってるだろうが」
ぺっ、ともう一度血を吐いた。からん、と甲高い音がしたが、たぶん折れた歯だろう。口の中もズタズタだ。鏡を見たら、さぞ顔が風船みたいに膨れ上がっていることだろう。
「……は、ははは」
気が付くとまた笑っていた。
笑える。
本当に――何もかも滑稽だ。
【よう、実に哀れな姿だな】
急に〝声〟がした。
あれの気配だ、とすぐに分かった。
顔を上げると、そこに〝影〟が立っていた。
すでに視界はほとんど見えていない。なのに、その〝影〟の輪郭だけはやけにはっきりとしていた。むしろ、はっきりと目が見えていた時よりもよく見えるくらいだ。
「……ああ、お前か。しばらく出てこなかったな。どうした、またわたしのことを笑いに来たのか?」
【おいおい、本当にひどい姿じゃねえか。以前とは別人みたいだ】
「やかましい。笑いに来ただけならばさっさと消えろ。お前と話している暇などない」
【暇なら腐るほどあるだろう? どうせ後はただ死んでいくだけなんだ。それまで、せいぜいおれと楽しく話そうじゃねえか】
「……どうして最後の最後でお前と話さねばならんのだ。御免被る」
【ひひひ、おれも嫌われたもんだなぁ……で、何でお前はまだ生きてるんだ?】
「さあな。自分でもとっくに死んでいてもおかしくは無いと思うが、人間の身体というのも存外にしぶといようでな」
【いやいや、そうじゃねえよ。オレはどうして、お前はまだ自害してないのかと聞いてるのさ】
「……なに?」
【だってそうだろう? お前は死のうと思えば舌でも何でも噛みきって死ねるはずだ。どうも向こうはお前が本当に魔族だと思っているようだから、舌をかみ切ったくらいじゃ死なないと高を括ってるんだろうが……お前は人間だ。魔族みたいに身体は再生しない。舌をかみ切ればそれで終わりだ】
「……まぁ、そうだな。確かにそうすればすぐに死ねるだろうな」
【なら、なぜそうしない? むしろお前が死ぬことで、お前の望みは達成されるんだぜ? 向こうは大勢の前でお前に証言させたいんだ。シャノン・アシュクロフトが協力者だったとな。だが、お前が死ねばそれは不可能だ。だったら、お前はむしろさっさと死ぬべきじゃねえのか?】
「それはつまり――わたしにまた逃げろと言うことか?」
【なに?】
「確かにお前の言うとおりだ。わたしが死ねば向こうは切り札を失う。それでもわたしの目的は達成されるかもしれない。だが――それでは〝昔〟と同じだ。わたしはまた……死んで逃げることになる。そんなことが許されるわけがない」
……そう、それは絶対に許されないことなのだ。
かつてわたしが死を受け入れて逃げ出した後、他の者達は戦い続けたのだ。
ヴァージルもマルコシアスも、その場に踏みとどまって戦い続けた。
だというのに、わたしは逃げ出したのだ。〝魔王〟という立場にありながら、最も逃げ出してはならない立場にいながら、その〝責任〟を全て放り出して逃げ出したのだ。
「――そうだ。今度は逃げない。わたしは生きている限り戦い続ける。せめて……せめて、あいつのことだけは絶対に守り抜くんだ。この命が尽きるその瞬間まで」
【……】
「だって、だってそうだろう? あいつはわたしのせいで、前世は何もかもめちゃくちゃになったんだ……だったら、今世くらいは幸せにならなきゃおかしいだろう? そうじゃないと辻褄が合わないじゃないか……」
気が付くと涙がこぼれていた。
涙を流すなど〝魔王〟に相応しくないことだ。
それでも――わたしはあふれ出すものを押さえることができなかった。
それは、自分自身があまりにも情けないからだった。
「あいつは、本当は剣なんて持てるようなやつじゃないんだよ。戦えるようなやつじゃないんだよ。虫だって殺せないような泣き虫だったんだ。なのに、あいつは〝勇者〟になんてなってしまった……そのせいで、結局何もかも失ってしまった。それは全てわたしのせいなんだ。いや、あいつだけじゃない。わたしが、わたしさえあそこで戦争を止めていれば、あれだけ大勢の人間が苦しまずに済んだはずなんだ。全てはわたしのせいだ」
【……ふむ。お前は自分の罪を全て受け入れるのか?】
「……受け入れるも何も無い。ただの事実だ。わたしは、わたしの犯した罪の全てをこの身で償う」
【たかだかお前一つの身で、あれだけ膨大な命と釣り合いが取れるとでも?】
「釣り合いなど取れん。だから――わたしは、わたしが奪ってしまった命の分だけ苦しもう。死んでも再び生まれ変わって、また苦しみながら死ぬ。それを何度でも繰り返す。全ての奪われた命の数だけ」
ずっと、どうして自分は生まれ変わったのだろうかと思っていた。
もしかしたら前世のことなんて忘れて、普通に暮らしていけるのではないかと思ったこともあった。
でも、そんな都合の良いことが許されるはずなんてなかったのだ。
わたしが生まれ変わったのは、わたしが然るべき罰を受けていなかったから。それ以外に理由なんてない。
きっと〝神〟というやつがどこかでちゃんと全て見ていたのだ。
わたしでは、
「わたしの罰は、わたしが一人でケリをつける。ヴァージルは関係ない。もうこれ以上、あいつを巻き込みたくない」
【……それほどまでに、あの男のことが大事か】
「当たり前だ。だってヴァージルは――わたしが生まれて初めて、好きになった相手なんだから」
一度は忘れていた気持ち――本当の意味でわたしが子供だった頃の思い出。
錆び付いて元の色さえ分からなくなっていたそれは、いまははっきりとかつての輝きを取り戻していた。
……わたしには〝これ〟がある。
わたしには〝これ〟さえあればいい。
〝これ〟さえあれば、わたしは何度苦しんだって、何度死んだって、別に構わない。
〝これ〟さえ失わなければ――わたしは、戦っていける。
本当は、本音を言えば、これからもヴァージルと一緒に手を繋いで、たくさん思い出を増やしていきたい。
あの時みたいに、ただ一緒にいることを楽しみたい。
でも、それは無理だ。決して許されることではない。
この胸の中にある遠い日の思い出でさえ、わたしには過ぎたものなのだ。
だからもう――わたしは、これでいい。
これでいいのだ。
【なるほどな。まぁお前さんの気持ちは分かった。だが……果たして、あの男がこのままで済ますかね?】
「……え?」
【いるんだよなぁ、たまに。歴史っていう大きな流れを、自分の意志だけで変えてしまうような、そういうとんでもねえやつがさ。本来はあり得なかったはずの因果を生み出して、運命ってやつをねじ曲げちまうやつが】
「……何の話だ?」
【別に、何の話でもない。ただそういうやつもいるって話だ。もちろん、大概のやつはそうじゃない。自分には過ぎた妄想を切実に願いながら野垂れ死んでいくだけだ。おれもそうだった――と、思う。まぁ今となっては何もかもがおぼろげで、はっきりと覚えちゃいないがな】
〝影〟が急にその輪郭を失い始めた。
【まぁ何にせよ、お前さんがいったいどうなるのか、せっかくだから最後まで見届けさせて貰うとしよう。こうして因果が絡まっているのも何かの縁だろうからな。無様にのたうちまわって死ぬか、それとも――】
ふっ、と目の前から〝影〟が消えた。
再び静かになった部屋の中で、わたしはついその名を口にしてしまっていた。
「……ヴァージル」
……どうしてその名を呼んだのかは、自分でもよく分からなかった。
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