133,真実
「シャノン……?」
彼がゆっくり眼を開けると、すぐ目の前にブリュンヒルデの顔があった。
目が合うと、今にも泣きそうだった彼女の顔が、驚きに満ちたものに変わった。
「シャノン!?」
「……ブリュンヒルデ?」
「ああ、良かった……! 眼が覚めたのね……!」
と、彼女の顔がくしゃりとまた泣きそうになった。けれど、今度の泣き顔は安堵と嬉しさによるものだった。
まだ寝ぼけているシャノンは、ブリュンヒルデが何をそんなに大袈裟に喜んでいるのかと、ぼんやりとした頭で考えていた。
(ここはどこだ……? 見慣れない部屋だが……?)
自分の部屋ではないようだ。だが、調度品から見て高位の貴族の家であることは間違いなかった。
「……ブリュンヒルデ、ここはどこだ?」
「ここはマギル邸よ」
「マギル邸?」
「そうよ。あなたが気を失っている間に、ここに運び込まれたのよ」
「オレが気を失っている間に……」
どうして自分がここにいて、ブリュンヒルデかここにいるのか。
記憶を辿ろうとした時、ずきりと胸元が痛んだ。
その瞬間、彼はハッキリと全てのことを思い出していた。
「そ、そうだ!? ミオは!? ミオはどうなった!? ぐ――ッ!?」
慌てて起き上がった反動で傷口に痛みが走った。
ブリュンヒルデは慌てた。
「ちょ、ちょっとシャノン! まだ動いちゃダメよ! 傷が完全に塞がってないんだから!」
「……傷?」
そう言われて、シャノンはゆっくりと自分の胸元を見下ろした。
上着は着ておらず、上半身は包帯だらけだった。
そっと胸元に触れる。
当然のように、ずきずきとした痛みがある。胸に穴が空いたのだから、痛くないはずがない。
……だが、同時に不思議な感覚もあった。確かに痛みはあるのだが、温かな感触も同時に感じるのだ。その温かさが、痛みを和らげてくれているように彼には感じられたのである。
「……あなたはあの女――エリカ・エインワーズに刺されたのよ」
シャノンが混乱していると思ったのか、ブリュンヒルデは説明するようにそう言った。
彼もすでにそのことは思い出していた。
だが、彼が思い出していたのは貫かれた時の痛みなどではなかった。
彼が思い出していたのは、もっと別のことだ。
――すまん、ヴァージル。
あの瞬間の、エリカの絞り出すような苦しげな声がいまもはっきりと耳に残っている。
そのことを思い出しながら、ヴァージルは現状を確認するために訊ねた。
「……オレは、どれくらい意識を失っていた?」
「三日はずっと眠ってたわ」
「え? 三日?」
「ええ。だからわたし、もう本当にダメかと思って……でも、眼が覚めてよかった。もう大丈夫よ。あの女はもう捕まったから」
「――」
捕まった。
その言葉を聞いて、ヴァージルは背筋が冷たくなった。
というのも、意識を失う直前のことを思い出したからだ。
エリカに刺されて倒れる直後、確かヨハンが激高して斬りかかっていったはずだ。
シャノンはなるべく声の震えを押さえながら、再び訊ねた。
「……捕まった? じゃあ、あいつは生きているのか?」
「ええ。わたしが聞いた話だと、いまは捕らえられて地下牢にいるって話よ。魔族を捕らえるための最下層の地下牢にね」
「……」
「シャノン? どうしたの?」
ブリュンヒルデが呼びかける。
だが、シャノンには聞こえていなかった。
というのも、彼はいますぐにでもエリカのことを助けに行きたいという衝動に駆られていたからだ。
だが、反射的に飛び出して行こうとする自分自身を、何とか理性で押さえつけていた。
(……落ち着け。ミオは死んでいない。生きている。だが――相当まずい状態のはずだ。地下牢なんかに入れられていたら確実に死んでしまう。しかもすでに三日も……あいつは魔族だと思われているはずだから、まともな治療なんてされていないはず。今すぐにでも助けないとまずい)
時間は本当に一刻の猶予もないだろう。
しかし――と、彼は自分自身の胸の傷を見下ろした。
(……あいつはオレを助けるために自ら罪を犯した。しかも、魔法を使うところをすでに大勢に見られている。いまさらあいつを人間だと訴えたところで、誰も信じないだろう。オレはどうすればいい、いったいどうすれば――)
シャノンが深く考え込んでいる姿を見てどう思ったのか、ブリュンヒルデは寄り添うように語りかけてきた。
「……シャノン、そう落ち込まないで。あなたは何も悪くないわ。あなたはあの女に魔法で操られていただけなんだから」
「……魔法で? 何の話だ?」
シャノンが顔を上げると、ブリュンヒルデは優しく微笑んだ。
「あの女が、自分でそう自供したのよ。魔法であなたを洗脳して操っていたって。それで用済みになったから、口封じに殺そうとしたんだって」
「……あいつが、そう言ったのか?」
「そうよ。最初はあなたにも協力者の疑惑がかかっていたけど……でも、これでその疑惑は晴れたも同然よ。だから安心して。だって本当に殺されかかったんだもの。普通なら死んでいてもおかしくなかったんだから」
「……そう言えば、オレはどうして生きてるんだ? 胸を刺されたはずなのに」
「医者の話では、奇跡的に急所を外れていたそうよ。本当に奇跡的なくらい、運が良かったんだって言ってたわ」
「……」
違う、とシャノンは反射的に思った。
奇跡的に外れていたのではない。
恐らくだが……彼女があえて急所を外したのだ。
「それに、やけに傷の治りも早いって医者も驚いてたわよ。元々出血もかなり少なかったみたいだけど……それにしても、傷の治りが早すぎるって」
「……あいつだ」
「え?」
「これはミオが、オレの傷を治してくれてるんだ。だから――」
シャノンは胸を押さえた。
痛い。
その痛みを、じんわりとした温かさが消し去っていく。
……けれど、彼にとっては、その温かさの方が、本来の痛みよりもずっと痛かった。それは彼女が自分を救うために、残した嘘と優しさだからだ。
「……ミオ? ねえ、シャノン。ミオって誰のこと? さっきもその名前を呼んでたけど――」
「ブリュンヒルデ、シャノンの様子はどうだ?」
その時、ちょうど部屋にヨハンが入ってきた。
起き上がっているシャノンの姿を見ると、彼は驚いたような顔をした。
「シャノン!? 眼が覚めたのか!?」
ヨハンはすぐに喜色を浮かべた。
慌てたようにベッドの傍までやって来ようとしたが、
「で、殿下ーッ!」
その前に、別の人影が物凄い勢いで部屋に飛び込んできた。
「……え? ぐふぉッ!?」
アンジェリカだった。
彼女は起き上がっていたシャノンの姿を見るなり、感激のあまり飛びついてしまったのだ。
「よ、よがっだぁ! 眼が覚めたんでずね! ほんどうによがっだーッ!」
「……あ、ああ。アンジェリカ。喜んでくれるのは嬉しいんだが……」
「え?」
「すまん、めちゃくちゃ痛い」
「うわぁ!? す、すいません!?」
アンジェリカは慌てて離れた。
「ちょっとあなた!? 怪我人に飛びつくなんてどういうつもり!? 怪我が悪化したらどうするのよ!?」
「す、すいません! 本当につい思わず……」
ブリュンヒルデがかなり本気でアンジェリカに怒っていた。
シャノンは慌ててブリュンヒルデをなだめた。
「ブリュンヒルデ、別にいい。そいつも悪気があったわけじゃない」
「だけど……」
「それより、ちょうどよかった。二人を呼ぶ手間が省けた。実は――お前らに話したいことがある」
シャノンが急に真面目な顔をしたので、三人は何事だろうかと顔を見合わせた。
ヨハンが口を開く。
「シャノン、何か話があるようだけど……それより今は身体を休めた方がいい。話なら後でゆっくりと――」
「いや、後じゃダメだ。今すぐじゃないとダメなんだ」
シャノンは頭を振った。
彼の様子が明らかに普通ではないことに、三人は気が付きつつあった。
「……オレは今から突拍子もない話をする。正気を疑われるんじゃないかと、自分でもそう思うような話だ。だから先に言っておく。オレは決して頭がおかしくなったわけでもないし、いたって正気だ。それを踏まえた上で聞いて欲しい」
……本当は、今すぐにでもエリカを――いや、ミオを助けに行きたかった。
でも、それではダメだ。
それではミオの気持ちを台無しにしてしまうし、本当の意味で彼女を救うことにはならない。
仮に、今から無理矢理助け出したところで、それでどうなるというのだろうか。満身創痍の彼女を連れ出して、どこに逃げるのか。まともな治療を受けさせなければ、彼女の命も危うい。ただ死ぬ場所が変わるだけだろう。
それではダメなのだ。
本当に彼女を救うためには――〝今〟ここにいる仲間たちの力がどうしても必要だった。
そのために、彼は〝真実〟を話す決断をした。
ミオを助けるためには、もうなりふり構っていられなかったのだ。
正直、真実を話すことは恐ろしかった。
なぜならこれは本当に突拍子もない話で、とても現実的な話ではないからだ。
魔法による洗脳で頭がイカレたのだと思われても仕方ない。
それでも、シャノンにはもう他に選択肢はなかった。
正直に話して、その上で彼らの手を借りる。
彼は、意を決して口を開いた。
「オレは――本物の〝勇者〟の生まれ変わりなんだ」
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