115,ミオ

 ……懐かしい夢を見ていた。

「ミオ……ねえ、ミオ」

 わたしのことをそう呼ぶやつは、この世界には一人しかいない。

 もちろん――それはヴァージルだ。

 その名前で振り返った先には、いつだってがいた。

 がミオと呼んでくれる度に、わたしの胸は大きく高鳴った。

 だから、これも夢だと思った。

 あの懐かしい呼び名で、わたしのことを呼ぶ声が聞こえる。

 もう二度と呼ばれることはないだろうと思っていたその名を――わたしは、確かに聞いたのだ。

 その名前で、もう一度呼ばれたいと思った。

 そう思うと……わたしはこんな都合のいいことを考えてしまった。

 ……まだ、死にたくない。

 もう少し、の傍にいたい――と。


 μβψ


「……」

 ゆっくり眼を開けた。

 すぐ目に飛び込んできたのはシャノンの顔だった。

 少しどきりとしたが……シャノンはと半分眠るように小さく頭が揺れていた。

 首だけ動かして、周囲を確認する。

 洞窟のようなところだった。

 けれど、薄暗くはなかった。すぐ傍で焚き火が焚かれていたからだ。

 ぱちぱちと音を立てて燃える火はさほど大きくはなく、わたしたちの周囲をぼんやりと明るくしていた。

 ……外は夜だ。雨も降っているようだ。それも、かなり強く。

 身体の具合を確かめる。

 熱はまだあるようだ。でも、しばらく気を失っていたせいか、少し体調がマシになっているように思えた。

 続けて両腕の感覚を確かめようとしたが、右腕に関してはぴくりとも動かなかった。感覚もまったくない。左手は……まだ何とか動かせる。感覚も鈍いが残っている。

 ……〝王の鉄槌レーバテイン〟を使ったのに、まだ生きているとは。

 本当に死ぬ覚悟で使ったのだが……人間の身体も思ったより頑丈なのかもしれない。代償が右腕だけで済んだのであれば、かなりマシと言える。

 頭の奥には鈍い痛みがずっと残っていたが、ゆっくり動けば何とかなりそうなくらいだ。

「いつつ――」

 身体は動かすとあちこちが痛んだ。

 それでも時間をかけてゆっくりと上半身だけ起こした。片腕が使えない状態で痛む身体を起こすのは中々きつかった。

「……ここは、どこだ?」

 見回してみると、洞窟というほど深い穴でもなかった。山肌に出来た窪み、といった程度だ。けれどまぁ、雨風を凌ぐくらいはできそうな窪みである。

「……ん?」

 わたしの気配に気付いたのか、シャノンがゆっくり眼を開けた。

 真正面から目が合う。

「……」

「……」

 なぜか、しばし見つめ合ってしまった。

 ……ええと。

 まず、わたしは何を言えばいいのだろう?

 とか思っていると、

「ミオッ!?」

 シャノンがいきなり抱きついてきた。

 さすがにわたしも慌てた。

「お、おい!? いきなり抱きつくな!? 節操というものがないのかお前には!?」

「よかった……ッ! もう目を覚まさないかと思った……ッ!」

「わ、分かったから離せ! ていうかちょっと痛いぞ!?」

「あ、わ、悪い!」

 シャノンは慌てて離れた。

 すぐに申し訳なさそうな顔になった。

「本当にもう目を覚まさないんじゃないかって思ったから……嬉しくて舞い上がっちまった。本当に悪い……身体は大丈夫か?」

 とても心配そうな顔で訊いてくる。

 まるで迷子の子供のような顔だった。

 その雰囲気は――わたしがよく知るヴァージルと、まったく同じものだった。

 とても懐かしい気持ちがこみ上げてきた。

 ……この時、わたしは本当の意味で、確信を持ったのだった。

 こいつが本当に……わたしがよく知っている、あのヴァージルなのだ――と。

 これが昔のわたしであれば、頭の一つでも撫でてやっていただろうが……生憎、いまは右手が動かせない。まったく感覚がない。左手もそこまで上げられない。感覚はあるが、動かすと痛みがあった。

 だから、せめてシャノンが安心できるよう、平気な顔で答えた。

「わたしは大丈夫だ。しばらく寝ていたおかげだろう」

「そ、そうか。なら良かった」

「わたしはどれくらい眠っていた?」

「そうだな……丸三日は眠ってたと思う」

「……え? 三日?」

「ああ。だから、本当にもう目を覚まさないんじゃないかって思って……とにかく良かった」

「……」

 シャノンは安心したような顔をしたが、わたしはとてもそれどころじゃなかった。

 ……三日? 三日だと?

 あの襲撃事件からすでに三日が経過しているとして――シャノンはここにいて、わたしは死んでいない。

 シャノンはわたしを殺さなかった。

 それどころかこうして助け、王都にも戻っていない。

 わたしはすぐに――この状況はと思った。

「どうした?」

 シャノンが不思議そうな顔で問いかけてくる。

 わたしは顔を上げ、シャノンのことを真っ直ぐに見た。

「……シャノン、どうしてわたしを殺さなかった?」

「え?」

「わたしの首を持って帰れ――そう言ったはずだ。今のままでは、お前はわたしの協力者だと思われてしまう。時間が経てば経つほどお前の立場は悪くなるだけだ。今からでも遅くない。すぐにわたしを殺せ」

「な、馬鹿か!? そんなことできるわけねぇだろ!?」

「だが、このままでは……」

「オレは別に、王都になんぞ戻れなくてもいい。むしろ戻ることなんか、もう考えてねえよ」

「……え?」

 戸惑うわたしに、はっきりとシャノンはこう言った。

「オレは――さえ無事なら、それでいい。他に望むものなんて一つもない」

「――」

 ミオ。

 まただ。

 また、シャノンはわたしをその名で呼んだ。

 夢ではなかった。

 こいつはいま、確かに――わたしをミオと呼んだのだ。

「……いつからだ?」

 つい、声が震えてしまった。

「いつから、わたしがミオだと知っていた? 子供の頃、わたしはお前に素性は隠していたし、再会した時にはもう〝魔王メガロス〟だったのに――いつ、気付いた?」

「それは……」

 シャノンは少し、答えるのを迷う素振りを見せた。

 けれど、少ししてから、ぽつりと答えた。

「お前がミオだと気付いたのは――前世で、お前を殺した直後だ」

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