60,それぞれの思惑2

「……何だったの、今の?」

 ブリュンヒルデは首を傾げた。ウォルターが何を言いたかったのか、さっぱり分からなかったからだ。

 ひとまず再び歩き始めたが……ブリュンヒルデのイライラは中々収まらなかった。

(なーにがお前のためだ、よ! あんたには何の関係もないでしょうが! シャノンのことよく知りもしないくせに……あんたと話してる方がよっぽど人生の損失だっての! 毎回顔会わすたびに嫌味言ってきて……あー、むかつく!)

 心の中で散々悪態を吐いた。

 だが、ふとこんなことを思った。

(……でも、ウォルターも昔はあんなんじゃなかったのよね……いつからあんな風になったのかしら……?)

 ブリュンヒルデはもちろんウォルターの小さな頃も知っている。

 ただ、あまり一緒に遊んだことはない。というのも、ウォルターの母親である第一王妃が、彼のことをあまり外に出さなかったからだ。

 彼は第一王妃の意向で、毎日のように勉強をたたき込まれていた。だから、ウォルターと顔を合わすことはあまりなかった。

 一方、シャノンは完全に放任されていた。小さい頃から素行が悪く、誰からも見放されていたのだ。それはシャノンの母親である第二王妃が、彼を産んで間もなくして逝去したことも関係していると思う。

 そういう経緯もあり、同じ王子という立場なのに、二人はまったく違う境遇の中で育った。

 ブリュンヒルデの知る限りでは、子供のころのウォルターは、どちらかと言えば大人しい性格だったと思う。

 だが……今のウォルターは、明らかに昔とは違う。

 今のウォルターは、どうも苦手だ。

 何を考えているのかさっぱり分からないし、事あるごとにシャノンを目の敵のようにしている。

 その上、権力にあまりにも固執し過ぎているきらいがある。

 ウォルターが今もまだ中立派であるディンドルフ家に圧力をかけてきていることは、彼女も知っている。そしてマギル家にも同様に圧力をかけているということも。

 今のウォルターは、本当に蛇のような男だ。

 そして――とても不気味だ。

「それでは父上。僕は少し用事がありますので、先に家にお戻りください」

「うむ」

 ふとそんな会話が聞こえた。

 ヨハンだ。テディもいるが、すぐにどこかへ行ってしまった。

「あれ? ブリュンヒルデじゃないか」

 テディを見送ってから、ヨハンがこちらを振り返る。

 目が合うと、ヨハンはちょっと驚いた顔をした。

「ヨハンじゃない。こんなところでどうしたの?」

「僕は父上と評議会に出てたんだ。それがさっき終わったところだよ」

「評議会? あれってお偉いさんが出るやつでしょ? どうしてあなたが出てるのよ?」

「いや、まぁ僕も副団長だしね。いちおう、そのなわけなんだけど……」

「ああ、そういやそうね……あなたも偉くなったもんねえ。わたしたち三人の中ではいちばん泣き虫だったのにね、ヨハン坊ちゃん?」

 ブリュンヒルデはヨハンを肘で小突いた。ヨハンはちょっと恥ずかしそうな顔になった。

「そ、それは昔の話だろ……それより、ブリュンヒルデこそ王城で何をしてるんだ? シャノンに会いに来たのかい?」

 さっきと同じ事を言われて、ブリュンヒルデは思わず溜め息をついてしまった。

「……何でどいつもこいつも、わたしがここにいたらシャノンに会いに来たと思うのよ。もしかしてわたしってそんなにシャノンのことばっかり追っかけてるように見えるわけ?」

「え? 違うのかい?」

「……」

 ブリュンヒルデはつい黙ってしまった。結局その通りなので否定することもできなかったのだ。

 その様子を見たヨハンが思わず、という感じで笑った。

「何だ、やっぱりそうなんじゃないか」

「う、うっさいわね。別にいいでしょ」

 ブリュンヒルデは少し恥ずかしかったが……いっそもう開き直ることにした。

「そうよ、シャノンに用があるのよ。で、その評議会ってシャノンは出てなかったの?」

「シャノンがあんな堅苦しい会議に顔を出すと思う? まぁウォルター殿下ならいたけど……」

「ああ、ウォルターならそこでさっきすれ違ったわよ。相変わらずいけ好かない態度だったわ! 思い出すだけで腹立つわね!」

 さきほどのことを思い出して、ブリュンヒルデは再び怒りがくすぶり始めたが、

「……君の家は、あいつに何かされてないか?」

 と、急にヨハンが真面目な顔になったので、彼女は首を傾げた。

「何かって?」

は自分たちの派閥になろうとしない相手に、あからさまな攻撃をしかけてきている。以前はもう少し水面下で動いていたけど……もう隠そうともしてない。今はまだあくまでも父親であるアルフレッド陛下の補佐をしているように振る舞っているけど……僕から見れば、まるで今から自分が王になる準備でもしているみたいだ。さっきの評議会でも、国内全体の騎士団の再編成がほぼ決まったところだ」

「……騎士団の再編成? それって中央騎士団も含まれるの?」

「ああ、もちろん含まれる。名目としては連合憲章に基づく国際平和の維持だの、軍事費の削減だの、色々あるんだろうけど……もしこれがそもそもウォルターによる提言だとすれば、マギル家への遠回しな圧力だろうね。自分の言うことを聞かないマギル家を、中央騎士団ごと縮小させようとしているのかもしれない」

「……そこまでする? だって、それって中央騎士団だけじゃなくて、国全体の話でしょ? マギル家の力を殺ぐためだからって、いくら何でもやりすぎじゃないの……?」

「マギル家への圧力でもある、ってことだよ。一つの手段でいくつもの利を得ようってことさ。これでついでに軍事費を大幅に削減できるし、ウォルターにとっては良いことづくめだ。その浮いた金を、さらに自分の派閥に回すつもりなんだろう。ウォルターは自分の配下には本当に気前よく金をバラ撒いているようだからね」

「そんなこと許していいわけ? どうして陛下はウォルターの好きにさせてるのよ?」

「陛下はウォルターにうまく言いくるめられているんだろう。出来の良い息子であるウォルターを、陛下はかなり信用しているからね。実際、彼のおかげで今の王権体制はかなり持ち直した。見事な手腕だよ。ただ、そうやって自分たちの懐に入れる金を増やした分、税が上がって平民の生活は苦しくなっているわけだけどね……噂じゃあ、各地で暴動も起きてるらしい。でも、すぐにウォルターが根回しして、地方の騎士団が鎮圧しているって噂だ。そして恐らく、それらは陛下の耳に入る前に、恐らくウォルターがもみ消しているはずだ」

「……なにそれ。もうやりたい放題じゃない」

「そうだ。ウォルターは、それが許される立場を確立しつつある。このまま有力貴族が全て今の王権派になれば――いや、ウォルターの派閥になれば、この国はいずれあいつの独裁下に入る。彼が王になった時、この国がいったいどうなってしまうのか……正直、僕は今からとても恐ろしいよ」

「大丈夫よ、ヨハン。少なくともディンドルフ家がいまの王権派につくなんてまずあり得ないわ。お爺様が絶対にそれを許すはずないもの。お父様だってお爺様には逆らえないしね。ディンドルフ家とマギル家が中立である限り、ウォルターの目論見が成功するなんてあり得ないわよ」

「ウォルターも、それが分かっているんだよ。だから未だに中立派であるマギル家に圧力をかけてきた。だから――遠からず、恐らくディンドルフ家にも何かしてくる可能性はある。いや、もしかしたらすでに何か動いているかもしれない。君は何か心当たりはないか?」

「……」

 そう言われたとき、ブリュンヒルデは先ほどのウォルターの言葉を思い出していた。

『ブリュンヒルデ、近いうちに良い報せが届くだろう。その時を楽しみに待っておけ』

 と、ウォルターは言っていた。

 さっきはただ何のことだろうかと疑問に思っていただけだったが……ヨハンの話を聞いてから思い返すと、何だかとても不気味な言葉に思えてきた。

「どうかしたかい?」

「え? あ、うん……いや、何でもないわ」

 ブリュンヒルデは不安を振り払うように頭を振った。

「うちはまぁ、今のところは大丈夫よ。特に何かされたりっていうのはないと思うわ。それに何かされたって、うちにはお爺様がいるからね。きっと大丈夫よ。ウォルターの要求なんてきっと突っぱねてくれるわ」

「ならいいけど……油断だけはしないようにね」

「分かったわ。と言っても、まぁわたしに出来ることなんて別にないけど……でも心配してくれてありがとうね、ヨハン」

 と、ブリュンヒルデは素直にお礼を言った。普段、誰彼構わず我が侭で横柄なブリュンヒルデであるが、ヨハンと話しているとそんな様子はまったくなかった。それだけ彼は、ブリュンヒルデにとっては気心が知れた相手ということだろう。

「ところで、今日はシャノンにどんな用事なわけ?」

 真面目な話はそこで一段落して、ヨハンは話題を変えた。

 すると、ブリュンヒルデは急に視線を泳がせてそわそわし始めた。

「え? あー、まぁ、うん。何て言うか……ちょっと告白しに? みたいな?」

「へえ、シャノンに告白しに? そうなんだ、へえ――え?」

 ヨハンは一瞬停止した。

 それから驚いたように声を大きくした。

「えええええ!?!? こ、告白!?!? ブリュンヒルデが、シャノンに!?!?」

「声がでかい!!」

「むぐ!?」

 ブリュンヒルデはヨハンの口元をガシッ!! と鷲づかみにした。

 それからすごい顔で迫った。

「……いい? 誰にも言うんじゃないわよ? あんただから言ったんだからね、これは。分かったら頷いて?」

「――ッ!」(コクコクコクコク!!)

 ヨハンは必死に頷いた。

 彼女はそれを確認してから、手を離した。

 解放されたヨハンは混乱しつつも口を開いた。

「えっと……どうして急に? 前に自分からは言いたくないみたいなこと言ってなかったっけ?」

「……ちょっと気が変わったのよ」

 と、ブリュンヒルデはそっぽを向きながら言った。

 だが、彼女の顔は完全に覚悟を決めた顔に見えた。

 どうやら本気らしい、とヨハンもそれで悟ったようだ。

 そう、今日彼女がここへやって来たのは――ここにある気持ちを、正直にシャノンへ伝えるためだったのだ。

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