59,それぞれの思惑

「まったく、陛下にも困ったものだな……完全にウォルター殿下の言い分だけを信用しておる。こちらの話は聞く耳も持たん、という感じだったな。連合憲章による不戦条約の恒久的維持とは、実にそれらしいお題目を持ってきたものだ」

 評議会が終わった後、テディとヨハンの二人は評議室を辞して、人気の無い場所にいた。まだ王城内なので、もちろん声を潜めて会話している。

 ヨハンも険しい顔で頷いた。

「それを持ち出されたら反対のしようもないですしね、こちらとしては……むしろ反対すれば、余計に私欲を疑われてしまいかねないですし」

「ふん……まぁ高尚なお題目も結構だが、それよりもまず目の前の脅威をどうにかせねばならんということになぜ陛下も気付かないのか。理解に苦しむわい」

「実際、今の陛下の基盤が盤石になったのは全てウォルターの手腕のおかげみたいなものですからね。陛下がウォルター殿下のことを信頼するのは当然と言えば当然でしょう」

 ヨハンがそう言うと、テディは大きく溜め息をついた。

「……恐らく陛下は、ウォルター殿下から我らマギル家は『将来的に反乱の怖れがある不穏分子』とでも吹き込まれておるのだろうな。今回の騎士団再編も理由はもっともらしいが、結局は我らマギル家の力を殺いでおきたいだけのことだろう。そんなことをしている余裕はないというのに……陛下も含めて、どうも王都の連中は危機感が足らんな。魔族を相手にしなければならないのに、人間同士で化かし合って何の意味があるのだ、まったく」

「仕方ありません、父上。王都はこれまでアサナトスの襲撃を受けたことがありませんから、魔族の脅威をちゃんと理解している人間が少ないのですよ。父上は若い頃に何度も魔族との戦闘を経験しているから相手の脅威を正確に把握しておられるでしょうが、知らない人間は敵を過小評価するものです。僕も実際に魔族と戦ったことはないですし……」

「だが、お主は自力で火竜フォティアを倒したことがあるほどの実力があるではないか。なに、心配することはない。あの大きさの火竜フォティアと戦えるのであれば、魔族とも十分対等に戦える。我が輩が保証しよう」

「あー……いえ、父上。そのことなんですが……」

 ヨハンは気まずそうに何か言いかけたが、その前にテディは話を続けてしまった。

「とにかく、上からどういう命令が下ろうと、現場の我々はいざという時に対処できるようにしておかねばならんな。〝殺戮のマルコシアス〟は自身も屈強な戦士でありながら、恐ろしい策略と知謀の軍師でもある。もしかしたら、我々が油断して軍備を縮小させるところまで読んで行動している可能性もある」

「そ、そうですね。その可能性はありますね」

 ヨハンは頷いた。

 だが、心の中では自責の念に駆られていた。

(ダメだ、また言いそびれた……)

 火竜フォティアを倒したのは自分ではない。

 ヨハンは何度もそれをせめて父には本当のことを言おうと思っているのだが、まだ言えていなかった。おかげで、あれ以来ヨハンに対するテディの評価、および周囲の評価は凄まじいものになっている。それだけ重圧もすごいので、ヨハンとしては胃が痛い話だった。

「魔族との〝戦争〟はまだ終わっておらぬ。そのことを理解している人間が、果たしてどれだけこの国にいることか――」

 テディの言葉はまるで独白のようだった。

 ヨハンは、その言葉がやけに胸に強く突き刺さったように感じた。


 μβψ


 評議会が思惑通りに進み、ウォルターは内心ほくそ笑んでいた。見た目はいつもと変わらない表情だが、いまの彼は実に機嫌が良かった。

(これで遠からず、マギル家の権力も今よりは落ちることになるだろう。これで将来的に俺の障壁になりそうな相手はほとんど排除できたといっていい。後は――)

 その時、ふと前方から誰かがやって来ることに気付いた。

 ブリュンヒルデだった。

 向こうもウォルターに気付いた。一瞬、げ、という顔をしたが、すぐに表情を取り繕って、表向きは涼しい顔になった。

 一方、ウォルターはにやりと笑い、自分から相手に近寄って行った。

「なんだ、また来たのかブリュンヒルデ。今日もシャノンに会いに来たのか?」

「……別に、そういうわけではありません。単に王城に用事があっただけです」

「さて、今日は別に式典も催しもなかったと思うが……政治に関与していないお前にいったいどんな用事があるんだ?」

「個人的なつまらない用件です。ウォルター殿下にお話するほどのことではありません」

「ふん、つれないな。子供の頃はもう少し、俺にも愛想良くしてくれていただろう? お前も変わったな」

「それを言うなら、ウォルター殿下も変わったと思いますよ」

「ほう? 俺のどこが変わったというんだ?」

「昔のあなたは、そんな蛇のような目をしていませんでしたよ」

 ブリュンヒルデは、ウォルターの目を真っ直ぐ見ながら言った。

 もしこれが他の相手だったら、彼は不愉快な気持ちになったかもしれない。

 だが……今のウォルターはむしろ、とても愉快な気持ちになっていた。

「くくく……」

「……何ですか? 急に笑いだして? 気持ち悪いですよ?」

「昔からお前だけだな。そうやって、この俺に向かってずけずけと物を言うのは。どいつもこいつも、俺の顔色を窺うヤツばかりだった。だが、お前は違った。お前だけは――俺の目を見ていた。昔から……そして、今もな」

「話す時は相手の目を見て話せって教わりませんでしたか? わたしは別におかしなことはしていませんけど?」

「ああ、そうだな。お前は何もおかしくない。お前はそれでいい――」

 ウォルターは再びくぐもった笑い声を上げた。

「よく分かりませんが……特にお話がないようでしたら、これで失礼します」

「ブリュンヒルデ、シャノンのような愚か者に近づくのはもうやめておけ」

 ウォルターは冷たく言い放った。

 ブリュンヒルデの顔が険しくなる。

「……何ですか、急に」

「お前がどういうつもりであいつと交友を持ち続けているのか知らんが、あの馬鹿と一緒にいてもお前にメリットなど一つもない。むしろ汚点だ。あの女好きと一緒にいるだけで、お前の貞操まで疑われるようなことになるぞ?」

「わたしの交友関係を人にとやかく言われたくはありませんし、どんな噂が流されたところで別にわたしは気にしません。ですので、どうかお構いなく」

「これはお前のためを思って言ってやっているんだがな……シャノンはどうしようもないクズだ。そして愚かだ。あんなやつと付き合うだけ時間の無駄、人生の損失だ。あいつはお前には相応しくない」

「ご心配してくださってありがとうございます。でも、それはウォルター殿下には関係のないことですので。それでは」

 ブリュンヒルデは苛立たしげにさっさと話を切り上げ、わずかに頭を下げてウォルターの横を通り過ぎていった。

 ウォルターは彼女の背中に声をかけた。

「ブリュンヒルデ、近いうちに良い報せが届くだろう。その時を楽しみに待っておけ」

「……? どういう意味ですか?」

 ブリュンヒルデは振り返り、怪訝そうな顔をした。

 だが、ウォルターは、

「なに、すぐに分かる」

 それだけ言って、彼女の前から歩き去った。

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