16,泣き虫

 わたしが〝その名〟を出した途端、明らかにシャノンの様子が変わった。

 動揺しているのが分かった。

 そして、それを必死に押し隠そうとしていることも。

 ……なんだ?

 わたしはなぜ、相手がそれほど動揺するのか分からなかった。

 不思議に思っていると、シャノンはわずかに震える声で続けて問うた。

「……なぜ、お前はその名を知っている? 歴史からは抹消された名前のはずだ」

「ああ、確かにそうだな……なぜ人間の歴史からは、ヴァージル・パーシーの名が消えているのだろうな。ブルーノなんてやつ、わたしは一切知らんぞ。そんなやつに倒された記憶などない。どこで何がどう間違ってそんなことになったのだろうな?」

 わたしも出来る限り書物などを調べてはみたが、やはりどこにもヴァージルの名前は存在していなかった。

 現代における〝勇者〟というのは〝ブルーノ・アシュクロフト〟のことなのだ。そして、残虐非道な魔王メガロスを倒した功績は、全てこのブルーノのものになっている。

「ヴァージル・パーシーと言えば、我が魔王軍でも知らぬ者はいなかった。それに人間共が〝勇者〟と呼んでいたのは一人だけだったはずだ。わたしの知る限りでは、他に〝勇者〟と呼ばれた人間はいない」

「それがブルーノ・アシュクロフトだろう? それが〝史実〟だ」

「いいや、違うな。メガロスわたしを倒したのはヴァージル・パーシーだ。やつは一人で玉座の間に乗り込んできて、そしてサシの勝負でこのわたしを倒したのだ。自分で言うのも何だが、全盛期のわたしを一人で倒せるような人間はあいつしかいなかっただろう。他の者では絶対に不可能だ。仮に聖剣グラムのような強大な魔術兵器を持っていようと、有象無象に魔王わたしは倒せぬよ」

 わたしはハッキリと言い切った。

「……」

 シャノンは呆けた顔でわたしを見ていた。

 それは『何を馬鹿なことを――』という顔ではなかった。完全に『信じられないものを見ている目』だった。

 やはりわたしは怪訝に感じた。

 どうしてこいつがそんな顔をするのだろうか、と。

「も、もし本当に――もし本当にお前が〝勇者〟と戦った〝魔王〟だと言うなら、最後にお前はなんと言った?」

 こちらが訝っていると、シャノンは急にそんなことを聞いてきた。声は少し震えている。

「最後?」

「そうだ。最後に言いたいことはあるか、と〝勇者〟に聞かれたはずだ。その時、お前は何と答えた? 覚えているか?」

「ああ、もちろん覚えている」

 そう、覚えている。

 忘れるはずがない。

 だって、その時にわたしはようやく〝魔王〟というから解放されたのだから。少なくとも、あの時はそう思った。

 わたしは相手の眼を真っ直ぐに見ながら言った。

「感謝する、だ」

「――」

 今度こそ、シャノンは驚愕のまま固まってしまった。

 その反応を見て、わたしは再び首を傾げていた。

「……なぜ貴様がそんなに驚くのだ? というかなぜそのようなやりとりがあったことを貴様が知っている?」

「……」

「おい、聞いてるのか?」

「……」

「……おーい?」

 目の前でひらひらと手を振ってみたが、シャノンは無反応だった。

 ……なんだ? こいつどうしたんだ?

 そう思っていると……急にシャノンの両目からぽろぽろと涙がこぼれはじめた。

「……は?」

 思わず戸惑う声が漏れてしまっていた。

 それくらい唐突に、シャノンがぽろぽろと泣き始めたのだ。

「お、おい……? どうしたんだ?」

「……へ?」

 わたしが声をかけると、シャノンはハッと我に返り、乱暴に両目を袖で拭った。

「な、何でもねえよ!」

「い、いや、何でもないってレベルじゃないと思うが……なぜ泣いているんだ?」

「な、泣いてねーし!! こ、これはあれだ……目に塵が入ったんだよ!!」

「どれだけ塵が入ったらそれだけ涙が出るんだ」

「う、うるせえ!! と、とにかくこれは泣いてるんじゃねえからな!! 勘違いすんじゃねーぞ!! あと今日のところはひとまず見逃しといてやらぁ!! 感謝しやがれ!!」

 シャノンは涙目で顔を赤くしたまま、小物みたいな捨て台詞を残してものすごい勢いで走り去ってしまった。

「……お、おーい」

 ぽつん、とその場に取り残されてしまった。

 ……ええと、何だったんだ?

「エリカー!」

 頭の上に大量のハテナを浮かべていると、アンジェリカがやって来た。

「お、アンジェリカ――」

 わたしはついいつもの感じで応えようとしたが、ふともう一人いることに気付いた。

 あのヨハンというやつも一緒だったのだ。

 ……おや? なぜあの男が一緒にいるんだ?

 疑問に思ったが、わたしはとっさに猫かぶりエリカ・トランスフォームをした。

「アンジェリカ様、どうされたんですか?」

「中々戻って来ないから心配で見に来たのよ。あのバカ王子――じゃなかった。シャノン殿下に変なことされなかった?」

「いえ、特にそのようなことは――」

 なかった、と言いかけたわたしは少し言葉に詰まった。

 ……何もなかった、というと語弊があるな。

 いや、しかしさっきの会話を説明しようもない。

 中身が魔族だと見抜かれて、もうどうにでもなーれ☆の勢いで魔王だとカミングアウトしたら相手が猛烈に泣きべそかきながらすごいダッシュで走り去っていった――と言っても訳が分からないだろう。うん、わたしも分からん。

「……なかったですよ?」

「なんで今ちょっと間があったの!? しかも疑問形だし!? やっぱり何かされたのね!? 何されたの!?」

「い、いえ、大丈夫ですから……」

 アンジェリカは本気でわたしのことを心配している様子だった。こういうところは本当にいいやつだな、といつも思う。

「あの、エリカさん。シャノン殿下はどちらに? さきほど誰かが走り去っていくのを遠目に見ましたが……」

 ヨハンが周囲を見回しながら言った。

 わたしは少し考えてから、

「ええと、シャノン殿下は急用を思い出されたとかで、慌てて戻って行かれましたよ。そりゃもうすごい勢いで」

 と言っておいた。

 すごい勢いで走り去ったのは嘘ではない。

 すると、ヨハンは目に見えて呆れた顔になり、

「そうなんですか? まったく、一方的に女性を連れ出しておいて放り出して帰るとは……ご迷惑おかけして申し訳ありません、エリカさん。あの馬鹿――じゃなかった。シャノン殿下に代わってぼくがお詫びします」

 と、今度は申し訳無さそうな顔になって頭を下げた。

 ……さっきの女の時もそうだったが、こいつは自分が悪くもないのにすぐに頭を下げるやつだな。

 だが、ただペコペコと謝っているわけではない。ちゃんと相手に対して真摯な態度であろうとしているのが見ていて分かる。

 ……同じ大貴族でもさっきの女とはえらい違いだな。なかなか見どころのあるやつだ。まだ若いが上に立つ者の器量というやつを感じる。わたしがいまも魔王なら幹部にしているところだ。

 うむ、苦しゅうないぞ――と言いたいところだが、今のわたしが言うと色々問題があるからな。

 わたしはあくまでもにこやかな対応を心がけた。

「ヨハン様、そのように頭を下げないでください。シャノン様はとても紳士な方でしたし、本当に急用を思い出されたのだと思います。わたしは気にしておりません。ですから、ヨハン様もお気になさらないでください」

「エリカさん……」

 ヨハンはほっとしたような顔を見せた。そのほっとした表情は、いかにも人の良さがにじみ出ているような、そんな感じの顔だった。

 そのほっとした顔が、わたしには一瞬、本当に昔のヴァージルのように見えた。

 それを見たわたしは――気付いたらこう言っていた。

「……ヨハン様は本当に、とても良い人なのですね」

「え?」

「すいません、ふとそう思っただけです。シャノン様のことなのに、まるで自分のことのように謝って……ブ――先程の女性の時もそうでしたけれど、ヨハン様はとてもご友人思いなのだなぁ、と」

 自分のことじゃないのに、まるで自分のことのように泣いたり喜んだり……かつて、そういうやつがわたしの傍にもいた。

 そして、わたしはそういう〝あいつ〟が大好きだったのだ。

「ヨハン様のそういうところ、わたしはとても素敵だと思いますよ」

「――」

 ぼん! とヨハンの顔がいきなり真っ赤になった。

「……ん? あれ? ヨハン様? どうされました?」

「い、いえ!? な、何でもありません!? あ、ええと、その――すいません僕も用事を思い出しました!! 失礼します!!」

 ヨハンは頭を下げると、踵を返してすごい勢いで走り去った。

「あ、あれ? ヨハン様?」

 呼び止めようとしたが、すでにその背中は遠くなっていた。本当にすごい勢いだった。

 ……はて?

 シャノンといい、ヨハンといい、いったいどうしたというのだろう……?

 首を傾げていると、アンジェリカにちょいちょいと服を引っ張られた。

「ん? どうした?」

「……エリカ、あんたもしかして本気でヨハン様のこと狙ってたりする?」

「は? 何の話だ?」

 わたしが怪訝な顔をすると、アンジェリカは難しい顔で頷いていた。

「いや……うん、そうか。なるほど。あんた、実は魔性の女だったのね……」

「んん?」

 アンジェリカが何を言いたいのか、わたしにはよく分からなかった。


 μβψ


 ……結局、この時はシャノンがどうしてあんなに泣いたのか、うやむやの内に終わってしまったのだが――わたしはその理由を、すぐに知ることになる。

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