17,〝勇者〟の襲来

「ま、待ってよー!」

「どうした、遅いぞヴァージル!」

 わたしたちは坂を駆け上がっていた。

 ヴァージルはいつものように必死だ。

 わたしは立ち止まって、ヴァージルに向かって手を伸ばす。

「まったく、仕方ないやつだな……ほれ、手を貸してやる。わたしが引っ張ってやるぞ」

「う、うん。ありがとう――って、ちょ、ちょっと!? 速い!? 速いよ!?」

 わたしはヴァージルの手を引っ張って、思い切り駆け出した。

「わははは! 楽しいな、ヴァージル!」

「た、助けてー!」

 楽しくてしょうがなかった。

 きっとこんな日が永遠に続くんだと思っていた。

 この黄金のように輝く日が、ずっと、いつまでも――


 μβψ


 ふと眼が覚めた。

「……夢、だったのか」

 意識がはっきりしてくると、相対的に夢の光景がぼんやりと輪郭を失い始めた。

 けれど、わたしの心の中には、確かに温かなものが残っていた。

 わたしは横になったまま、何となく胸元を押さえていた。

 ……珍しい。今日はあの夢は見なかったな。

 夢を見ると言えば、わたしはいつもあの悪夢を見るのが常だった。

 どこまでも荒れ果て、屍臭のまとわりつく死者の国ニヴルヘイムのような場所。

 だけど、今日はとても穏やかな気分で目が覚めた。

 こんなに寝起きの気分がいいのは、いったいどれくらいぶりだろう……?

 しばし余韻に浸ってしまっていた。

 わたしは胸の中にある温かさに触れてみようとした。

 けれど、それにはちゃんとした形はなくて、触れようとした途端、まるで砂のように輪郭が失われていってしまった。

 それでもどうにか再びあの温かさを感じたくて、心の内に手を伸ばすが――そこでふと我に返った。

 思わず自嘲してしまう。

「……って、わたしは何をやっているんだかな」

 この期に及んで、まだあの時代の記憶に縋り付こうとするとは……。

 これでは前世と同じだ。

 わたしは一度死んだ身だというのに、どうにも以前と何も変わっていないようだ。

「どれ、そろそろ起きて――」

 身体を起こそうとした。

 その瞬間、身体中に猛烈な痛みが走り、わたしは声にならない悲鳴を上げる羽目になった。


 μβψ


 今日は式典の次の日である。

「ぐう……か、身体が痛い……」

 朝起きると全身がとてつもなく痛かった。それはもう想像を絶する痛みだ。おかげで良い夢見られた余韻なんて全部吹っ飛んだところだ。

 ……こんなことになっている理由は明白だ。昨日魔力を使いすぎたせいだ。無理矢理身体強化した影響で、あちこちガタが出ているのだ。

「くっ……あの程度でこの有様とは……人間の身体はなんと脆弱なのか……」

 わたしは全身重度の筋肉痛になってしまった人みたいな動きで、壁をつたいながら何とか一階まで降りてきた。どうしても動きがカクカクしてしまうが、あちこち身体が痛いのでどうしようもない。

 とりあえずソファに座って一息つく。と言っても、出てきた一息はただの溜め息だったが。

「はあ……情けない……これがかつて魔王だった者の姿か……?」

 思わず自分の両手を見下ろしていた。

 相変わらず貧弱な腕だ。

 わたしは人間として生まれてから、ずっとこの虚弱な身体に悩まされてきた。

 そもそもからして、わたしは人間にしては魔力の量が多すぎるのだ。

 そりゃまぁ魔王だった前世と比較すれば比べものにならないくらい少ない魔力量だが、それでも人間の身体という器には多すぎるのである。

 そのせいで、わたしは幼い頃からよく熱を出していた。多すぎる魔力が身体に大きな負担をかけていたせいだ。

 おかげで前世のように魔力制御ができるようになるまでの間、本当に何度か死にかけた。

 今ではそれなりに魔力制御ができるようになったので日常生活くらいなら普通に送ることができるし、ある程度なら魔法を使うこともできるようになった。

 ただ……それでも昨日のように魔力を使いすぎればこうなってしまう。使いすぎた、といっても大したことはしていない。なのにこのザマだ。結局、器に対して魔力量が多すぎることが原因なのだ。つまり根本的な解決方法はない。わたし自身が、うまく魔力を制御するしかないということだ。

 まぁ後先考えず本当に死ぬつもりでやれば、大規模魔法の一発くらいなら撃てるかもしれんな。反動で本当に死ぬかもしれんけど……実際にどうなるかはやってみんと分からんが。

「……にしても、あの男はどうしてあんなことを突然聞いてきたんだろうな」

 自然と、昨日出会った男のことがぼんやりと頭に浮かんできた。

 シャノン・アシュクロフト。

 この国の第二王子。

 〝魔王〟の最後の言葉が何だったのか――なんて、普通そんなこと聞いたりするだろうか?

 そんなの当事者でなければ分かりようがない。

 だというのに、あいつはそれをわたしに訊ねた。

「……まさか、あの男が〝あいつ〟の生まれ変わりだったりとか?」

 ふとそんなことを思った。

 だが――

「はは、なんてな。そんなことあるわけがないか」

 すぐに自分で笑ってしまった。

 それはあまりにも都合が良い考えだろう。

 前世に因縁のあった二人が生まれ変わって来世で再び出会う? 出来すぎだ。これが物語の類いであればあまりにも陳腐だ。そんな都合の良い話、物語の中にだってそうそうない。

 だいたい、そう何人も〝生まれ変わり〟がいてたまるか、という話だ。そりゃあわたし自身〝生まれ変わり〟なのだから、他にもそういうやつがいないとは言い切れないが……それがよりによってヴァージルだと?

 はは、ないない。そんなことは絶対にない。

 はい、やめ。もう考えるのやめ。この話はこれでおしまい。

 わたしはシャノンのことを頭から追い払った。どうせこの先、あの男と関わり合いになることはない。なんせ相手は第二王子だ。普通に生きていたら、わたしのような貧乏貴族とこの先に接点などあるわけないのだから考えるだけ無駄だ。

「あー……にしても腹減ったな……でもメシを用意する気力もないしな……やっぱり昨日の会場からお菓子を持って帰ってくればよかったな……」

 実は本気で持って帰ろうと思って綺麗な布にこっそり包んでいたのだが、アンジェリカに見つかって没収されてしまったのだ。そんな恥ずかしいことするな、と怒られてしまった。どう見てもお菓子は余っていたが、それでもダメなのだそうだ。なんともったいない話だろうか。

 ぐぎゅう~、と腹の虫が鳴いた。メシを寄越せと言っているようだ。

 うむ、腹の虫よ。わたしもできればお前に朝メシを食わせてやりたい。だが身体が動かんのだ。すまん腹の虫。いまのわたしにはお前にしてやれることがないのだ。許せ。いやまぁ結局困るのはわたしなのだが。

 ……まぁでも、いっそこのまま何も食わずに餓死をするという手もあるな。

 それはそれで悪くない――なんて半ば本気で考えてしまっていた。

 ――ジリリリリリ

「……ん? 誰か来たか?」

 玄関の呼び鈴が鳴っていた。この呼び鈴も魔術道具の一種だ。人間の貴族の生活は本当にあらゆるところに魔術道具が使われているのである。

 のそのそと冬眠から覚めた熊みたいに身体を起こした。今のわたしは道をゆっくり歩いている老人よりも動きが遅い有様だ。

「あー、だっるう……いったい誰だ? くそ、いっそ居留守でも使ってやろうか……」

 ぶつくさ文句を言いながら玄関に向かった。

 おっと、一応来客用の顔を作っておかんとな。

 わたしはエリカスマイルを顔に貼り付けて、玄関を開いた。

「はい、どちら様ですか?」

「オレだ」

 男が立っていた。

 シャノンだった。

 シャノン・アシュクロフト。この国の第二王子。いかにもチャラい男。そして、昨日なぜか泣きながら走り去った男。

 そう、間違いなくあの男だ。これから先、普通に生きていたら絶対に接点なんてないであろう男が、なぜかわたしの家にやって来ていた。

「……」

「……」

 しばし見つめ合った。

 わたしはそっとドアを閉じた。

「っておい!? なぜ閉める!?」

 シャノンが慌てたようにドアを開いた。

 わたしは来客用に貼り付けていたエリカスマイルをかなぐり捨てた。

「誰かと思ったら貴様か!? というかなぜわたしの家を知っている!?」

「はっ、オレは王子だぜ? 王子の権力を使えば女の家くらいすぐに突き止められるんだよ!」

「他に権力の使い道あるだろ!? というか何しに来た!? 昨日の続きか!?」

「……まあ、そうだ。昨日の話の続きだ」

 シャノンは急に真面目な顔になった。

 わたしはつい訝しげな顔をしてしまった。昨日と違って敵意がまったく感じられなかったからだ。

「……なんだ? どうもわたしを仕留めに来たって感じではないようだな?」

「……お前、昨日こう言ったよな。自分は〝最後の魔王メガロス〟の生まれ変わりだって」

「ああ、言ったぞ。まぁ信じられんとは思うが――」

「実はオレも生まれ変わりだ」

「――は?」

 つい間抜けな声を出してしまった。

 思わず相手を見返した。

 シャノンはあくまでも真面目な顔でこう続けた。

「オレは〝勇者〟――ヴァージル・パーシーの生まれ変わりだ」

 と。

「……………………はぁ?」

 ……多分、この時のわたしは、きっとものすごく間抜けなあほ面をしていたことだろうと思う。

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