80,王子の風格
その日、シャノンは朝からディンドルフ邸を訪れていた。
真っ先に彼を出迎えたのは、どこか疲れた顔のカール・ディンドルフだった。
シャノンは本当に何の連絡も無く現れたので、カールは急いで準備して出てきた様子だった。多少、髪と服が乱れていた。
「こ、これはよくお出でくださいました、シャノン殿下。お待たせして申し訳ございません」
「いや、いい。急に来たこちらが悪いんだ」
と、シャノンは淡々と応えた。
〝普段〟の彼であれば笑顔の一つでも浮かべて、〝いつも通り〟の第二王子の姿を見せたことだろう。
相手に自分を軽く見せる――それがシャノン自身の根底にある行動原理だった。そうすることで、彼は本来なら第二王子としての身分に生じるはずのあらゆる責任から、自分自身を遠ざけてきたのだ。
けれど……今の彼には、そうした様子がまったく見られなかった。
むしろ、王子という立場に相応しいほどの堂々とした態度であるように見えた。本人にそういうつもりはなかったが、つまらない〝仮面〟をつけていない今の彼の姿は、他人にはそのように映ったのだ。
「……ええと、申し訳ありません。シャノン殿下――でいらっしゃいますよね?」
そのため、カールはそんな分かりきったことをつい本人に訊ねてしまっていた。
カールがシャノンに会うのは、もちろんこれが初めてではない。なので、カールは〝普段〟のシャノンの姿を知っている。知っているからこそ、シャノン自身に対してはある種、軽蔑ともいえる心証を抱いていた。
だが、いまのシャノンにはそのような雰囲気はまったくなかった。
そのため、カールは思わず分かりきったことを訊ねてしまったのだ。まるで〝別人〟のような雰囲気をまとったシャノン・アシュクロフトに。
「そうだが? オレが他の人間に見えるのか?」
「い、いえ! 妙なことをお訊ねして申し訳ございません!」
カールはハッとして、慌てて謝った。自分でも何でそんなこと訊いたのだろうと思いつつ、彼は自然と居住まいを正してシャノンと接した。
「事前にご連絡いただければ、歓迎の準備をさせていただいたのですが……」
「別に気にするな。それより、ブリュンヒルデに用がある。部屋にいるか?」
「は、はい。居るには居ますが……」
カールはどことなく警戒した様子で訊ねた。
「娘に何の御用件でしょう? 娘はいま色々とあって部屋に引きこもっておりまして……ここ数日は部屋から出てきておりません」
「事情はオレも知っている」
「事情、と申しますと……?」
カールはシャノンに探るような視線を向けた。
……ブリュンヒルデがシャノンと婚約しているなどと言った話の真偽を、カールはまだ知らないのだ。
だが、その話はどこから漏れたのか、すでに真実であるかのように、信憑性の高い噂としてあちこちに知れ渡っている。それと同時にディンドルフ家やブリュンヒルデのことを貶める噂まで一緒に広がっていて、もはや収拾がつかない状態になっていた。カール自身、いったい何が本当でそうではないのか、訳が分からない状態だろう。
婚約の話がそもそも本当なのかどうか、彼は確認したい気持ちでいっぱいのはずだ。なんせ当事者が目の前にいるのだから。しかし、ただの娘の妄言かもしれないという思いもあるのか、自分からは切り出しにくい様子だった。
もしかしたら、シャノンがブリュンヒルデを糾弾しにきた――という可能性もある。カールはどの程度踏み込んで聞いて良いのか、それを探ろうとしているのだろう。
それを分かっていて、シャノンは自身の用件についてあえて深くは説明しなかった。
「とにかく急ぎの用件だ。本人に取り次いでくれ」
μβψ
応接室に通されたシャノンがしばらくソファで座って待っていると、ようやくブリュンヒルデが姿を見せた。
シャノンはまず彼女の姿に驚いた。いつも丹念に手入れされているはずの髪はぼさぼさで、目の下にもくまが出来ていたのだ。少し痩せたようにも見えるし、明らかにまともな状態ではなかった。
「ブリュンヒルデ」
シャノンが声をかけると、俯きがちだった彼女はびくりと肩を震わせた。
その様子は、まるでこれから親に叱られる子供のようだった。
どうやら彼女は、シャノンが自分を改めて糾弾しに来たとでも思っている様子だった。今回の件でどのような落とし前をつけるのか、話を詰めに来た――という感じに思っているのだろう。今世では子供の頃からの付き合いだが、こんなにビクビクと脅えたブリュンヒルデを見るのはシャノンも初めてだった。
「立ってないでとにかく座れ」
「う、うん……」
ブリュンヒルデが対面のソファに座る。
彼女はやはりシャノンと目を合わせようとしない。ずっと気まずそうな顔だ。
シャノンは自分から話を切り出した。
「ブリュンヒルデ、今日はお前にはっきりと返事するためにここに来た」
「……返事?」
彼女はようやく、少しだけ顔を上げた。
「ああ、そうだ。お前の気持ちに対する、オレの正直な返事だ」
そう言ってから、シャノンは彼女に頭を下げた。
「すまない。オレは――お前の気持ちには応えることができない」
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