81,返事

「え? え?」

 急に謝罪され、ブリュンヒルデは困惑して狼狽え始めた。

 まぁ確かに、これから自分が糾弾されて恨み言を言われて、とことんなじられるとばかり思っていたのに、相手が急に謝ってきたら――それは困惑もするというものだろう。

「ちょ、ちょっと待って。何でシャノンがわたしに謝るの?」

「お前、オレに好きだって言ってくれただろ。だから今日はその返事に来た」

「返事って……わたしのこと、責めに来たんじゃないの? あんな嘘吐いて、色々大変なことになって……」

「とりあえず今はそれについてはどうでもいい」

「どうでもいい……?」

「ああ、どうでもいいことだ。それより、お前の気持ちにはっきりと答える方が大事だってことに気付いた」

 きっぱり言い切ってから、シャノンは再び頭を下げる。

「お前のオレに対する気持ちは嬉しい。でも、オレはお前の気持ちには応えられない」

「……」

「でもな、お前はオレにとって大事な人間なんだ。どうでもいい人間じゃない。何て言うか……家族みたいな感じなんだ。だから、こんな状況になってるお前のことは放ってはおけない。とりあえずオレが何とかする。だから、もうしばらくは我慢していてくれ。必ずオレが何とかする」

「な、何とかって……?」

「それは正直、オレにもまだはっきりと分からない。でも、このままウォルターとつまらん政治闘争をおっ始めるつもりはないし、かと言ってあいつの好き放題させるつもりもない。どうにか落とし所を見つける」

「……」

 シャノンはとても真面目な様子だった。

 それが逆に、ブリュンヒルデにとっては理解し難いようだった。

 彼女は自身が感じた戸惑いと疑問を、そのままシャノンにぶつけた。

「……なんで、シャノンがそんなことしてくれるの? こんなことになったのは、全部わたしが悪いのに……なんでわたしのこと、守ってくれようとするの?」

「言っただろう。お前はオレにとっては大事な人間なんだ。どうなってもいい、どうでもいい相手じゃない。確かにお前の嘘のせいで色々厄介なことにはなっているが……まぁいずれは、オレはウォルターとどこかでぶつかることになっていただろう。今回のことは、単にそれが早まっただけというだけのことだ」

「……わたしのこと、責めないの?」

「そもそも、これはお前一人が悪いって話じゃない。そうでも言わなきゃ、お前はウォルターと政略結婚するしかなかったはずだ。望まない結婚を押しつけられて、お前一人が泣く羽目になっていただけだ。お前は嫌なことは嫌だと言っただけだ。よく考えたら、これはただ、それだけのことだ」

「……」

「まぁ、『嫌だ』というのも許されないのが貴族社会ってやつだけどな……だが、そこはオレが何とかする。約束する。だからもう自分を責めるな。仮にお前がオレに罪悪感を感じているっていうなら、オレは全部許す。だから、お前がオレに罪悪感を感じる必要はない」

「……なんで」

 ブリュンヒルデの目からぽろぽろと涙がこぼれはじめた。

 彼女はすぐに目元を袖で拭ったが、涙は止まるどころかどんどん溢れてきた。

「何でよ。何でそんな優しいこと言うのよ……そんなこと言っといて、気持ちには応えられないって……何なのよ、もう!」

 今度は涙だけでなく感情も溢れ出した。

 ブリュンヒルデはそれこそ、本当に子供みたいに泣き始めてしまった。

「あんたは何で昔からそうやって優しいのよ……そのくせ自分はアホみたいなフリして自分で自分の評判下げるし、そのくせいっつもわたしやヨハンのことは助けてくれるし……そんなやつがいっつも近くにいたらさ、そんなの好きになるに決まってるでしょ……あんたがいたら、他の男なんて目に入らないのよ! なのになんであんたはわたしのこと全然見てくれないの!?」

「悪い」

「うう、謝るなぁ~! 余計みじめになる~!」

 ブリュンヒルデはテーブルに突っ伏してわんわん泣いた。

 シャノンは少し困った顔をしたが、そっと彼女の頭を撫でた。

「……本当に悪い。でも、お前の気持ちは単純に嬉しかった。ありがとう」

「――わたしの気持ちを断る理由は?」

「え?」

 ブリュンヒルデは顔を上げ、真っ赤な目でシャノンを睨んだ。その顔にはいつものブリュンヒルデの気配がわずかに戻っていた。

「往生際が悪いのは分かってるけど、あんたがわたしの気持ちに応えられない理由を教えて」

「いや、えっと、それはさっきも言っただろ? お前は家族みたいなもんだって……」

「家族みたいなもんなら、夫婦だって家族でしょ。でも夫婦にはなれないってことよね?」

「いや、そういうアレじゃなくて、兄妹きょうだいっていう感じというか……」

「そんな理由じゃ納得できない」

 ブリュンヒルデは真っ直ぐにシャノンを見て、

「あんたさ――エリカ・エインワーズのこと、本気で好きなんでしょ?」

 と言った。

 すると、シャノンは明らかに狼狽する様子を見せた。

「は? な、何でここであいつの名前が出てくるんだよ?」

「あんたのあいつに対する態度とか見てたら分かるわよ、それくらい……あんたっていっつも女の子には愛想良いけど、いまいち本気じゃなかったわよね。ちゃんと相手を見てないっていうのか……っていうのか、うまく言えないけど……なんかいっつもそんな感じだったもの」

「……」

「でも……あいつと話してる時のあんたはいつもと全然違った。それでさすがにわたしも分かったわよ。あの女が、あんたにとって〝特別〟なんだろうなって……あいつが好きだから、わたしの気持ちには応えられないのよね? わたし知ってるのよ? あんたが実は、そういうところ真面目だってこと」

「……」

 シャノンは答えなかった。

 答えを迷っている――という様子ではない。

 ただ黙っているだけだった。

 その様子が、ブリュンヒルデにとってはもはや答えのようなものだった。

 彼女は一瞬、寂しげな笑みを見せると――目元を拭って、姿勢を正して、それから真っ直ぐにシャノンを見た。

「……今回の件、わたしが正直にウォルターに全部話すわ。それでウォルターの機嫌が直るわけじゃないだろうけど、少なくともシャノンに矛先は向かなくなるはずよ」

「いや、それはやめておけ。これ以上火に油を注いだら、本当にディンドルフ家は潰されるぞ。あいつならそれが出来るし、実際にやりかねない」

「だとしても、これはわたしの蒔いた種だもの。自分で決着をつけないと……」

「それについては、さっきも言ったようにオレが何とかする。だからお前は下手に動くな。どうにか……落とし所を見つける」

 と、シャノンは真面目な顔を見せた。

 適当なことを言っているわけではなく、本気でどうにかしようと思っている顔だった。その気持ちは、嫌と言うほどブリュンヒルデに伝わった。

 ……だから、余計にブリュンヒルデは嬉しくなり――そして、悲しくなってしまった。

(シャノンはみんなが思っているようなクズじゃない。こいつはなのよ。こんなの、好きにならない方がおかしいでしょ――?)

 こんな状況でも、自分を責めることなく、むしろ守ってくれようとするシャノンに対し、ブリュンヒルデはさらに自分自身の彼に対する気持ちが大きくなるのを感じた。

 ……だが、その気持ちが大きくなればなるほど、胸が苦しくなって、色々と押し出されそうになって、それが涙となり――また、泣きそうになってしまうのだった。

 この時、ブリュンヒルデは嫌でも悟らざるを得なかった。

 何があっても、もう自分の思いは届かないのだと。

 シャノンが自分を好きだと言ってくれることはないのだと。

 それはとても悲しいことだったし、今の彼女にとっては、そこがまるで〝終わり〟のようでもあった。

 しかし、彼女はこの時、自分でも知らない内に、新しい場所へと一歩を踏み出していたのだ。

 彼女自身がそのことに気付くのは、まだもう少し後のことだ。

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