第13章

79,アサナトス

「マルコシアス様、最後の部隊が到着しました」

「……ようやく揃ったか」

 薄暗い洞窟の奥に、蠢く影があった。

 光源である炎は、火元もないのにゆらゆらと空中で揺れている。

 一際大きな影がのそりと立ち上がると、空中で揺らめいていた炎が明るくなり、洞窟の中をはっきりと照らした。

 かなり大きな空洞だった。

 そこに〝化け物〟の姿があった。

 人よりもずっと大きく、人がよく知るどんな猛獣よりも大きい。

 ともすれば魔獣と見間違う者もいるだろう。

 だが、そいつは魔獣ではなく――れっきとした魔族だった。

 魔族には色んな種族がいる。

 その中でも、妖狼族リュコスと呼ばれる種族だった。

 姿形は二足歩行をする人間に似ているが、全身は毛で覆われており、顔は人間とは似ても似つかない。〝狼〟のような顔だ。

 体躯はかなり大柄だ。人間からすれば見上げるほどの大きさである。

 ――殺戮のマルコシアス。

 そいつは100年も前から人間たちにそう呼ばれ、怖れられている魔族だ。  

 魔王の右腕とも呼ばれていた男で、かつては魔王軍幹部の一人だった猛将だ。

 マルコシアスは部下に命じた。

「全ての〝戦士〟をここに集めよ」

「はっ」

 部下はすぐに姿を消した。

 さほど時間は経たずして、魔族の戦士たちが大きな空洞に集い始めた。

 魔族の国ゲネティラの崩壊、そして魔王軍の瓦解――生き残った魔族はみな故郷を完全に追われ、世界中に散り散りになった。

 集団は色んな派閥に分かれた。だが、そのどれもが人間から隠れ潜む道を選んだ。

 人間には勝てない。

 人間は恐ろしい。

 人間は――絶対に敵に回してはいけない。

 全ての魔族がそのことを心に刻んだ。

 人間ほど生物として脆弱で――そして、恐ろしく強大でな存在は他にいない、と。

 そんな中で、ただ唯一、未だに人間たちとの〝戦争〟を続けている集団――それが〝不滅アサナトス〟を標榜する一派だった。

 この場に集った戦士の数はとても多かった。ざっと見ただけでも数百人はいるだろう。そして、巨大な空洞にはあちこちに横穴が開いていて、そこからも大勢の戦士が顔を見せていた。

 ここは人間の感覚で言えば、まるで大きなすり鉢状の議場のようだった。ここは彼らが持つ隠れ家の一つだ。元々から巨大な内部構造を持っていた天然の洞窟を、魔法により掘削してさらに大規模構造化させたものである。

 マルコシアスは中央に立ち、居並ぶ戦士たちの顔をぐるりと見渡した。

 ここにいるのは、ほとんどが〝戦後〟生まれの戦士たちだ。

 マルコシアスのように〝戦時中〟から残っている戦士は、もうかなり少数派である。

 だが……生まれながらに故郷がなく、人間に虐げられてきた若い戦士たちは、誰もが人間への憎悪に満ちあふれていた。それこそ、マルコシアスたちのような歴戦の戦士たちと同じくらいに。

「……諸君、よくここに集まってくれた」

 マルコシアスの低い声が、大空洞の中に響いた。

「かつては地を埋め尽くすほどだった我ら魔王軍も、いまやこの程度だ。人間共が〝終戦〟とほざいてからもう100年にもなるが……この100年は、あまりにも長かった。わたしが生きてきた300年の中で、この100年は途方もなく長く、そして恥辱と苦しみに満ちていた。この100年で、さらに多くの戦士が〝神々の世界アスガルド〟へと還っていった。生き残った我々は諦めずに戦い続けたが、得られたものなど何一つなかった。さらに多くの同胞が散っていっただけだ。だが、それでも我々は戦わなくてはならない。この命が尽きるまで。それだけが、先に散っていった我らが同胞に報いるただ唯一の方法であり、この御霊が〝神々の世界アスガルド〟に導かれる唯一の道であるからだ」

 マルコシアスはいったん言葉を切り、さらにこう続けた。

「――我々はこれより、最大目標である敵の中枢――あの憎き〝勇者〟の母国であるアシュクロフト王国の王都に総攻撃を仕掛ける。この日のために長い準備が必要だったが……それもようやく揃った。そして、も」

 マルコシアスは中央にある土製のテーブルに手をかざした。

 すると、彼の魔法によって卓上に変化が生じ、まるでミニチュアの模型のようなものがいくつも生成され始めた。それらは全て土魔法で生み出した生成物だ。

 これは作戦領域を立体的に可視化した地図だった。彼はそれを使って、作戦の概要を説明し始める。

「まずは最近防備が手薄になったこの砦を攻め、その施設が持つ探知機能と連絡手段を全て破壊した後、一気に防衛網の内側に入り込む。やつらの情報伝達は魔術道具を介して行われるため、通信設備は全て、迅速かつ徹底的に破壊する必要がある。もしそれが失敗すれば、我々の襲撃は即座に王都に伝わる。それでは失敗したも同然だ。だが――それさえうまく行けば、我々は無防備な王都に一気に襲撃を仕掛けることができる。まずは騎竜兵きりゅうへいが先行して攻撃をしかけ、敵を混乱させつつ城門を抑える。地上部隊の移動速度では、到達前に人間側に必ず探知されてしまう。だが、騎竜兵きりゅうへいの速度なら探知される前に一気に到達できるはずだ。第一部隊は対空兵器の無力化、そして第二部隊が城門の制圧だ。地上部隊が到達するまでに第二部隊は必ず城門を制圧せよ。そして――地上部隊は王都に突入した後、

 と、マルコシアスはあくまでも淡々と言った。

 最後の指示については、もはや作戦でも何でもなかった。ただ虐殺を命じただけだ。

 かつては知謀と戦略を駆使して人間と渡り合ってきたマルコシアスであったが、今回のに至っては、そんなものは全くなかった。

 この作戦は帰還について考える必要がまったくない。

 決死の襲撃で王都内へ侵入し、ただ手当たり次第に人間を殺す――それだけが目的の作戦だ。

 これは勝つことを目的とはしていない。

 目的は人間に対する復讐と報復である。

 これはもうまともないくさですらない。

 もはや、ただの玉砕である。

 指揮官が下すにしてはあまりにも正気からかけ離れた命令だ。

 ……だが、彼はすでに正気ではなかった。

 そんなものはもう100年も前にとっくに失われている。

 彼は、自分が支え、そして忠義を尽くすべき相手を人間たちに奪われたのだ。

 それだけではない。

 家族、同胞、故郷――その全てを人間たちに奪われた。

 かつて、彼が人間との融和を望んでいた穏健派であったことなど、もはや誰も知る由もないだろう。

 そして、この場に集った全ての戦士たちも、マルコシアスと同様だった。

 彼らが求めるものは人間への報復だけだ。

 それ以外に求めるものなど、何一つありはしないのだ。

「そうだ、殺せッ!! 命ある限り、一匹でも多くの人間を殺すのだッ!! あの邪悪な種族をほんの少しでも、一匹でもいいからこの地上から減らせ!! やつらの血肉を先に散った同胞たちへ、そして我らの神々へと捧げるのだッ!!」

 血走った眼でマルコシアスは声を張り上げた。

 戦士たちが呼応するように吶喊とっかんする。まるで地震でも起きたように空間が震えた。彼らの怒りは空気を、大地を、そして自分たちの心を大きく震わせていた。

 マルコシアスもあらん限り叫んだ。

 これまでの怨嗟を全て怒りに変えていた。

 いま、この地上で人間たちをもっとも憎んでいるのは、間違いなくマルコシアスだろう。

 誰よりも多くの人間を殺し、誰よりも長く人間たちと戦ってきた。

 人間どもに与えられた忌名いみなは〝殺戮〟。

 もう彼を止められる者は誰もいない。

 彼には誰の言葉も届かない。

 ――もし、唯一、マルコシアスを止められる者がいるとすれば……それは、かつて彼が仕えた偉大なる〝王〟だけだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る