40,ウォルター第一王子と異端審問会

 シャノンの背中が見えなくなると、傍にいた50代くらいの男が機嫌良さそうにウォルターへと話しかけた。頬がこけて目元の窪んだ、妖しい雰囲気の男だ。

「いやはや、相変わらずシャノン殿下はご自分の立場をよく分かっていらっしゃるようですな。これなら無用な後継者争いも起きぬことでしょう」

 その男はヘルムート・ブリュックナーという人物だった。

 ヘルムートの肩書きは〝異端審問会〟の長官だ。異端審問会とは、人間社会に紛れ潜む魔族を炙り出して処刑すること――つまり〝異端狩り〟を行うための国家機関だ。

 異端審問会はそもそも、

 そう、かつて魔王を倒した〝勇者〟の最期は、魔族に暗殺されるという悲惨なものだったのである。

 それまで対魔族に関することは全て騎士団の管轄だったが、やはり騎士団だけでは人間社会に隠れ潜む魔族への対処は難しかった。

 人間社会に隠れ潜む魔族のことは〝異端者〟と呼ばれるが、これはただの魔族よりもよほど厄介だ。外から攻めてくるのであればただ外敵として排除するだけで済むが、異端者は影で人間社会に食い込み、人知れず害を及ぼす。ブルーノを暗殺した魔族も、完全に人間に擬態し、長い年月をかけて王宮に入り込んだと言われている。

 そのような異端者と呼ばれる存在を見つけ出し、処刑することが異端審問会の役割だった。その特殊な職務の性質上、異端審問会の仕事には機密が多い。現在では、表向きの魔族への対処は騎士団が管轄し、いわゆる〝裏の仕事〟は異端審問会が担当する――というのが暗黙の了解となっている。

 最近になってウォルターの派閥が急速に勢力を増しているのは、この異端審問会の暗躍も大いに関係していた。

 つまるところ、ようは証拠をでっちあげて、政敵に異端者の嫌疑をかけたり、もしくはその協力者であるというを嫌疑をかけるのだ。処刑まではせずとも、嫌疑をかけるだけで相手の地位は勝手に下がる。そうすれば引きずり下ろすのは容易い。

 もちろん、それを行うヘルムートは相応の見返りをウォルターから与えられている。ヘルムートとウォルターは、互いに蜜月関係にあるというわけだ。

 ただ……ヘルムートはあまり優秀な男ではなかった。

 あくまでも、ウォルターにとって扱いやすい駒の一つでしかない。気に入らなければ長官あたまをすげ替えるだけのことだ。

「……貴様、それは本気で言っているのか?」

 じろり、とウォルターが側近を睨んだ。

 あまりの冷たい視線に、ヘルムートは自分が何か失言でもしたかと少し焦りを見せた。

「も、もし訳ありません。何かお気に障るようなことを言ってしまったでしょうか……?」

「あいつの〝道化〟はただの演技だ。あれはもっと――頭のキレるやつだ」

 ウォルターは淡々と言った。それはただ、事実を言っているだけ、というふうに見えた。そうかもしれないと疑っている――というわけでなさそうだった。

 だが、周囲の人間はついお互いの顔を見合わせてしまっていた。

 ヘルムートは、懲りずに再び口を開いた。

「お言葉ですが……ウォルター殿下、それは考えすぎではないでしょうか? シャノン殿下は誰の目から見てもまぁ、何と言いますか……率直に申しまして出来が悪い。とてもウォルター殿下と張り合えるほどの頭脳などあるようには思えません。仮にそうだとして、だとしたらこれほど自分で自分の悪評を振りまくようなことをするとも思えません。これがウォルター殿下を出し抜く策なのだとしても、悪評が強すぎてやっていることが本末転倒でございますよ」

「〝普通〟に考えればそうだな。〝普通〟に考えれば――な」

 ウォルターは意味深なことだけ言って、再び歩き出した。側近たちは彼が結局何を言いたかったのかよく分からないまま、でも聞き返すこともできなかったので、ただ黙って後に続いた。

(……あいつは〝爪〟を隠している。それは間違いない)

 ウォルターは優秀な人物だった。

 だが、彼はその優秀な頭脳を、より良い国作りのために使うということはまったくしていなかった。それができる立場と能力を持ちながら、彼は日々、水面下での政治闘争と権謀術数を繰り広げていた。

 彼はすでに自分が王位を継いだ時の足場固めは行っているところだった。

 将来的に邪魔になりそうな相手は今のうちから排除するか、もしくはその手立てを考え、外堀を埋めるという作業をしている。いつ王位を継いでもいいよう、今からあらゆる状況を想定しているのだ。

 だが、そんな深謀遠慮を水面下でめぐらせているウォルターが、唯一排除できていない〝敵〟――それがシャノンだった。

 シャノンを思うように排除できていないのには様々な理由がある。もっとも大きな理由は、相手は自分と同じ王族という立場の人間だからだ。大貴族が相手でも手段さえ揃えばどうとでもできるウォルターであるが、さすがに王族――しかも兄弟ともなると、がないと引きずり降ろせない。

 ならば水面下で悪評でも広げてやろうにも、シャノンは自らそれをバラ撒いている。すでに評価は最低だが、それは逆に言えばこれ以上は下がりようがないということだ。今さらスキャンダルの一つや二つが出たところで、誰も気にも留めないだろう。

 だったらもう放っておけばいい――と、誰もがそう思うだろう。勝手に自滅してくれているのだから、こちらから何かをする必要はない、と。

 だが、ウォルターはそう思ってはいなかった。

(――あいつという存在が生きている以上、俺にとっては常に〝敵〟であることには変わりない。生きている限り、あいつを脅威対象から外すことはできない)

 もしかしたら、いまの状態こそがシャノンの狙いである可能性も否定はできない。

 これ以上は評価が下がりようがないのだから、これも逆に言えば、ここから評価を上げていくのはむしろ簡単だ。心を入れ替えました、とか言って真面目に振る舞って見せればいい。これまでシャノンに手を焼いていた連中は、きっとようやく改心してくれたかと喜んで、シャノンの変化を好意的に受け入れるだろう。そうなったら、本当は自分に対して快く思っていない連中も、シャノンを都合良く自分たちの旗頭に担ぎ出すかもしれない。それだけで十分に厄介な〝派閥〟が生まれてしまうことになる。

 さすがにこれは考えすぎか? とはウォルター自身も思うことがある。

 しかし――彼の直感は、シャノンのあの態度が演じられた〝道化〟であることを、否応なく見抜いていた。良くも悪くも、ウォルターは楽観というのができない性格なのだ。

(あいつが何を考えているのかまでは、さすがに俺でも分からんが……あいつがつまらん演技をしているというのは間違いないだろう)

 シャノンほど心の内が読めない相手はいない。人心掌握に優れた能力を持つウォルターだが、その能力を以てしてもシャノンはまるで何を考えているのか分からない。考えれば考えるほどに不気味でさえある。

(何とかシャノンを決定的に、そして徹底的に蹴落とすチャンスがあればいいのだが……あいつにも〝異端狩り〟を行う口実さえあればな。しかし、そういった隙はまるでない。あいつの場合は取るに足らんようなつまらんスキャンダルばかりだからな。まったくもって鬱陶しい存在だ)

 どうやってあの目障りな邪魔者を排除しようか考えていると、ウォルターの元に近づいてくる男がいた。

「ウォルター殿下、陛下がお呼びでございます」

「父上が? 分かった、すぐに行こう。お前たちは先に戻って仕事をしていろ」

 ウォルターは家臣たちに命じると、自分はすぐにアルフレッドの自室へと向かった。

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